第63話 芦屋宿に昔あった大国座と芦屋釜 唐津街道

文字数 749文字

 芦屋町は航空自衛隊と芦屋競艇が有名である。だが昔はもっと繁盛した町だったようだ。
 芦屋橋西の信号傍に船着き場跡の石碑がある。直進して100mの所に金台寺への小径が続く。寺は”時宗”という平安朝のころ流行っていた”踊る宗教”を引き継いでいる宗派である。
 1600年頃、金台寺の周辺に踊る念仏衆が住み付き、芦屋役者として筑前一円に興行をしていた。その集団は70所帯あったという。その流れを継ぐ役者をもとに、明治33年に客席千人規模の大国座が建設された。廻り舞台、両花道を備えた本格的な劇場で歌舞伎が演じられた。遠賀や筑豊の方から船や陸路で観劇にきたと言う。
その後、火災にあい昭和23頃規模を縮小して劇場が再建された。遠賀町から芦屋迄、芦屋鉄道が敷設され、大国座への観客をも運んだ。近所の奥さんに尋ねると「女学校の修学旅行で芦屋駅から遠賀駅までこの汽車で行った」と証言した。今では公民館と石碑がポツンとあるだけだ。
芦屋宿は唐津街道の中心的役割もしており、伊万里焼を仕入れ芦屋から全国へ売って歩くという商売も隆盛を極めていたという。
 竹下内閣で、各市町村へ”ふるさと創生一億円事業”の補助金がでた。芦屋町は”芦屋釜の郷”を建設した。600年前から、芦屋中ノ浜で茶道で使う蘆屋釜を造っていた。中国の工人が住みつき、高い技術、特に鋼の釜を薄く作る技術を持っていて、希少価値の茶釜を提供していたことが発掘調査で証明された。
 今回、芦屋町が個人所有の蘆屋釜を2億7千万円で購入し、展示している。久々に行って見た。結婚式の花嫁花婿が邸内で写真どりをしていた。正式な茶席もあり、立席や日本家屋の大広間、池や庭の眺め手入れされ立派に管理されている。
 連れと抹茶を頂き、茶室見学をし、堪能させてもらった。
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