第17話 飛び地の田代宿、高札場 長崎街道 

文字数 990文字

 コロナの緊急事態宣言が取り消された日曜日に佐賀県鳥栖市の田代を尋ねた。
 八坂神社の東西が長崎街道で、ここが対馬藩の“飛び地”田代宿だった。飛び地は、
豊臣秀吉の朝鮮出兵の折、対馬領主が大いに働き、その功績で、この一角が下賜され
た。西に進むと高札場(官報掲示板)があった奥を見ると広い庭にバラや観葉植物が植え
られ雰囲気の良い家がある。
 上品な老婦人が手入れをしていたので「見てもいいですか?」と尋ねると「どうぞ」
と気さくに応えた。花木に囲まれた庭の小径を行くと、反対の道路に出る。「右手が
田代小学校の校庭です。かつて対馬藩の代官が領地の実務を行っていた代官所跡地です。
大名の宿舎の上使屋 は西隣にあったと聴いています」現存しない旧跡を想像のスクリ
ーンで説明してくれた。「気を付けて見学して下さい。角を曲がると案内板がありま
す」と本当に親切だった。
 田代宿は、交通の便が良く定期に市が立ち野菜や嗜好品が売られていた。蝋、油、
酒、薬の店も藩の許可を得て商っていた。大陸の漢方が対馬藩に伝わり、田代にも広
まった。
 街道沿いに久光製薬の社長邸宅と工場がある。1847年に久光仁平が創業し代官
所の医者から丸薬製法を習い製造販売を開始した。昭和初めサロンパスを生産し現在
に至る。工場を拡張、古家を買収し駐車場が方々にある工場の敷地の芝生には芸術的
銅像が見える。久光家は遺産存続には無関心だったようだ。
 外町に追分石があり「左、くるめ 右、さが」と彫ってある。和菓子屋に入るとレ
ジの前は天井から透明ビニールが下がっている。栗最中を買った後「近くにコンビニ
はありませんかトイレに行きたくなったので」と尋ねると奥さんは「家ので良ければ
どうぞ」と言う。頭を下げトイレを使わしてもらった。
 歴史的な物は追分石だけだったが田代宿は親切な人が多く、感謝の気持ちで一杯に
なった。
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