第65話 赤い琴線に触れる エッセイ

文字数 2,040文字

  父は晩年、「死んだら何も無くなってしまうからな」を口癖にしていた。「亡くなった後は、極楽浄土へ往生するのだよ」と説いても、聞く耳を持たない。臨済宗は死ねば無と教える。最近はDNAが発見され、「父さんのDNAが私や孫に受け継がれ残っている」というが説得力に欠ける。
 あれから7年経ち、実際に面影が薄れてきた。引き継いだ仏壇だけは毎日、線香を上げ父母の元気な頃の写真を見て懐かしみ拝む。
 過去に興味がなかった父は先祖のことを「覚えんなあ」と語らなかった。しかし久留米梅林寺には彼岸と盆にはお参りに行った。仏壇を整理した時、我が家の家系図の巻物が出てきた。古い時代からの跡継ぎの系図である。真贋はさておき、江戸時代の先祖が何処に住み、何をしていたのか調べてみたくなった。
 下村市之亟は元亀3年1572、戦さで敵の首級を持ち帰り、褒美に甲冑1枚を貰った。小出吉英君主の岸和田移封に付いて行った。その後福知山の有馬豊氏君主に従った。嫡子の九左衛門は豊氏公に仕え慶長17年1612に闘死した。元和6年1620、有馬豊氏公は丹波福知山藩8万石から久留米藩21万石の初代藩主として移封となり、先祖も付いて行った。久留米と江戸に居住したようで但馬国出石藩とも関係が深かった。明治になり、祖父は久留米から直方市に転居し酒の卸業を営んでいた。
 最近の趣味は町中を散歩することである。北九州市折尾駅の近くを歩いていると長崎町住所掲示板があった。丘へ登る細い道に赤い印が付いている。「登ってみたい」と妻が言う。入口に石碑があり「長崎街道進」と刻んである。「長崎街道は小倉から黒崎を通り木屋瀬のはずだが」と不思議に思った。
 木々が両側に茂り、地道が半間きちんと確保され、長崎街道という面影を保っている。「いまだに街道の現状が残っているのだ」と驚いた。長崎街道には小倉から長崎まで27の宿場がある。この全ての宿場を巡って、現状を確かめてみたいという好奇心が湧いてきた。
 参勤交代は何百人もの家来を引き連れ、殿様が2年に一度、江戸幕府へ挨拶に伺うことが武家諸法度で定められていた。1年江戸に住み、1年藩に住む。街道は整備され宿場は参勤交代や旅人関連の商売で繁盛していった。
 現在の宿場は商家は少なくなり、大半が住宅に建て替わった。山河の自然は昔からの雄姿を見せているが、建物や人は時と共に消え去り、新しいものに変わっていく。視界から無くなると、記憶から瞬く間に消滅していく。父の言う「死んだら何も無くなる」のである。
 宿場には江戸時代から住んでいる人々がいる。過去の先祖の生業を質問すると、目を輝かせ、
昔話を聞かせてくれる。一つの宿場に留まるのは3時間位だが、数人の末裔の人の話を聴く。写真を取り、メモもとる。数日間、頭の中に寝かせると、物語が出来る。。何度か考え、作り直し、それを講談社のブログに載せる。
 中でも赤い糸が繋がっていそうな出会いがあった。松崎宿という秋月街道の終点の宿場である。ナビで油屋旅館を設定し、現地に着いた。家から出てきた高齢男性に訊くと「ここは桜馬場と呼ばれ、その先に松崎城があった。いまは三井高校になっている。あの白い長い塀の家が庄屋で土地持ちだった」大体の説明をしてくれた。
 長い白塀で奥には古民家があり、漆喰の土蔵が昔の威厳を漂わせ建っている。思い切って玄関の呼び鈴を押す。2回目に高齢男性が出てこられた。「宿場を訪ねているのですが」と言うと、暫らく相手を値踏みするように見たあと「私の家は庄屋をしており、農民の年貢米を土蔵に集め、藩主へ奉納していた。家は古いだけの話しです」とさり気なく語った。
 馬場には掲示板がある。「1660年久留米藩の有馬忠頼2代藩主に子が無かった。初代豊氏藩主の娘が出石藩に嫁ぎ、その三男が、忠頼の養子になった。有馬康範という。その後、忠頼に嫡男が出来、第3代久留米藩主となったため、有馬康範は松崎藩を立藩し1万石を貰った。松崎城を作り、宿場と南北の構口を設け、城下の態勢を整えた」。お家騒動があり、16年間で取り潰しになったという。その後、康範は死ぬまで久留米城に蟄居した。
 此処にも有馬公の逸話があり、我らの先祖も何がしかの係わりがあったのだろう。松崎宿と何かご縁があるようで、貴重な思い出となっている。
 父が言うように「死んだら何も無くなる」のは事実である。何も無くなるが、確かにこうやって地球上に先人が存在していたことが、記録されている。特に有名人は記録に残り語り継がれる。名も知れぬ多くの人も、現実この世に生きていたのだ。江戸時代、ご先祖が居て、殿様に従って江戸や久留米で生活していたことを思うと何故が嬉しい。
 赤い糸で長く繋がり、時々琴線に触れ子孫が思い出している信号を、先祖は感じているのだろう。いつか、私も無になる日が来るのは事実だ。くよくよ考えても解答はない。今日1日を精一杯楽しく過ごし、「ケセラセラ」と生き抜くことを考えている。
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