第44話 彼杵宿 彼杵神社の女性神主さん 長崎街道

文字数 941文字

彼杵神社の肥前鳥居の前に、看板があり、由緒書き「本陣跡が神社敷地にあり、通りに海産物の店が立ち並んでいた」とあった。"裏に庄屋があり、そこにシーボルトも泊まったという。石碑もあり、斎藤茂吉が詠んだ「旅にして彼杵神社の境内に遊楽相撲見ればたのしも」という句碑がある。左手に広場があり、木材を燃やしている男女がいた。挨拶すると、こちらへやって来た30歳後半の女性で神社の説明を積極的にしてくれる。神主さんだという。ソノギの謂れは、なんでしょうかと訊ねると「空の彼方から、杵がとんできて」と説明された。景行天皇が豊前の行宮にあった時、ソノギの神官が3つの玉(真珠)を献じた。天皇はその土地を具足玉国(そないだまのくに)と名付られたという。「そのぎ」はこれが転訛したとも、考えられた。二通りの謂れがあるという。女性は、正月に残った焚き木を燃したり、庭を掃いたりするので、軽快な普段着であるが、神社の状況を語ってくれた。「祖父は役場勤めだったが、彼杵神社の後継ぎがいなかった為、祖父が神官の免許をとり、後を継ぐことになった。その後、父が継いだ。男子が居なかったので三女だった私が継ぎましたと言う。熱田神宮の神官養成学校で免許を取得し、父の後を継ぐと、やるき満々である。実にいい話ですね。男が継ぐというのが、一般的だが、女性もどんどん色々な分野で活躍している。いいことですね。結婚した後、今は長崎諏訪神社の事務として勤務中とのこと。年中行事として、2月は初午、4月は春祭りに神輿、秋祭り、年末年始の祭りがあり、忙しいようだ。世話付きで、かつ実行力のありそうな方で、神社の事を専門的に、色々教えていただいた。今日は、日曜で会社も休みということで、ご主人と一緒に境内掃除にいそしんでおられた所だった。ご主人も人柄のよさそうな方で、奥さんの立場を理解されている。姉さん被りのお母さんも、「私は神官の仕事はできないので、家事や雑事専門です」と箒を持って掃除をされていた。娘の神主さんは「今日は普段着ですが、正月には神主の立派な正装をしています。是非、お詣りにおいでください」という、気さくな神主さんである。帰り際に、彼杵茶のパックまで、お土産に戴きました。今日も一日、良い出会いがありました。
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