第39話   松原宿の田中鎌 長崎街道

文字数 828文字

松原宿には鍛冶屋が十軒ほど、かつては、あったという。松原刃物といえば、刀鍛冶の世界でも有名である。時代は変わり現在は、家庭用包丁を主に作り上げる三軒の鍛冶屋が存続している。「田中鎌」は有名である。全国からの注文があるという。日曜で店は休み、工場の方も休日で止まっていた。広い敷地で農業もされているという、昔は一町あったが今は一反だけでを持っているという。稲の苗を庭で育てられていた。広い玄関があり、中に入り「包丁のことを知りたいのですが」と言うと、年配の女性が、「今日は工場も休みで、誰も居ません」という。諦めて、帰ろうとすると、老婦人は降りて来て、サンダルを履いた。事務所の方へ入って行くので、付いて行くと、研いだ包丁の刃物部分が並び、研磨機のようなものもある。「国内外から注文がある」という。近くに佐世保米空軍基地があり「一度、要請されて米軍基地で包丁の展示会をやった」。それ以来、土曜日、鍛冶場見学ということで、マイクロで来るようになった。「帰国するので、土産として持ち帰りたい」とのことらしい。国内の東京と、大阪の業者が海外で注文を受け、田中鎌さんが製作する。自社と外国の直接の取引はない。老婦人は嫁に来たときから、焼き入れの手伝いや柄の取り付けをした。鍛冶場では1800度の熱で、鉄を溶かし、刃を挟む込む。包丁の形をしたものを、180度の湯につけることを、「焼きを入れる」というらしい。その熟練の技により、刃が切れるか、切れないかが左右される。 三代目の家に嫁いで、工場に入り、焼きを入れようになった。今は四代目の息子と孫が鍛冶をやる。32工程がある。五代目の孫である青年は、結婚して間がないのか赤ちゃんがゆりかごで眠っている。何代も続くと言うことは、時代の変化に対応し、それで生活ができるという、いいことである。「松原周」と刻印された包丁を一本買った。家で玉葱を切ると、スパットと見事に切れた。刀のような包丁である。大切に愛し、使い続けたい。
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