第37話 湯江宿の光宗寺女性僧侶  多良街道

文字数 989文字

  多良宿と竹崎宿で面白い出会いや経験をした後、午後3時ごろ訪ねた湯江宿では少し探求心の気合が薄れてしまった。
 多良宿から有明海沿いのルートを走った。諫早市の境界を超えた途端、おとぎの世界の「フルーツバス停」が次々に登場する。スイカ・いちご・メロン・みかん・トマトの5種類がある。1990年長崎旅博覧会の際、設置されたという。バス停で写真を撮っていた家族連れもいた。
 湯江の光宗寺も事前に調べていた。海道から坂道を上り寺を確認したが誰もいない。歩いて戻ろうとすると、坂道で軽自動車に出会った。中年女性が運転していて、窓を開けた。「なにかご用ですか」と問う「宿場を探しているのですが」と言うと「うちが殿様を昔、宿舎としてお泊めしていました所でもあります」とさらりと言う。お寺の住職さんだろう黒い僧衣を羽織っている。「この所、檀家さんのお詣りが多いもので、今戻ってきたところです」先祖代々からのお寺を継がれたのであろう、凛とした感じの女性の和尚さんである。若い頃は、相当の美人であったろうとお見受けした。
 「下の道の左先に女郎屋が3軒ありました」女性の坊さんだがケロリという。女性差別とか言われそうだが、気にしない感じである。「境内の階段を下りて右のほうに上使屋跡がありますよ。現在は人が住んでいますけれど」。坂の途中であり、車を止めわざわざ説明を頂いた。本来だったら、もっと詳しく、江戸時代のお寺のお話などお聞きしたかった。「境内を通って、少し行くと左手に、街道へ下りる道があります。そちらから、どうぞ」と仰る。「ありがとうございます」と挨拶し、境内を通って行くと、小さな女の子2人が遊んでおり「こんにちは」と挨拶してくれた。子供から挨拶されることがあるが、こちらも丁寧に優しく「こんにちは」と返す。ほのぼのとした感情に包まれる。後ろに品のいい中高年の男性が本堂の階段に座っていた。住職のお婿さんかもしれない。
 「湯江宿の上使屋跡」の証拠物件を発見した。今は人の住む民家であるが、看板に「この家が上使屋として使われた」と書いてあった。 宿場としての規模は200mと小さい感じがした。すでに午後4時となっており、疲れが出たのか、宿場探索の根気が薄れたようだ。これから3時間かけて家まで帰る。
 途中、鞍手町の店で牛ビビンバを食べた。人気店で若い家族が焼き肉に舌鼓をうっていた。
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