第59話 大橋宿の大正懐古的な店   中津街道

文字数 1,113文字

 大鶴酒店の女将に教えて貰った道が中津街道で大橋宿だった。車2台が通れる道だ。
 無関心な人に訊いても「知らない」とつれない返事。更に歩くと、「餅や」と書い
た古ガラス戸が少し開いていた。薄暗い中に90歳過ぎの男女が世間話らしい。訊ねる
と「此処が中津街道です。うちの店も3年前までは、餅を作り売っていたのよ」奥が仕
事場で道具類は健在、だが職人さんが年老いたという。杖を持った老人は「隣りに住ん
でおり、子供の頃から遊びに来ている。街道を突き当たると、石碑があり”東ー小倉道・
西ー藤元道”と刻んである」と教えてくれた。※この石碑こそが江戸時代に作られた物で
大橋宿がこの場所に存在したという証拠物件である。宿場を回って見て建物は破壊され
新しい住宅街に生まれ変わっている。書類は紛失し歴史的にここが宿場であるという事
事を証明するものがない。行政の学芸員さんが熱心な所は履歴が残っている。石碑は腐
らないので証拠物件としては貴重なものである。行政も良く調べ、由来を立て看板にし
後世まで遺産を残す処置をして貰いたいと切にお願いします。※
 突き当たりの店は古色蒼然。木枠の大ガラス戸の奥に老女二人が座っている。小柄な
店番の女性が機敏に立ち上がり挨拶した。土間はタタキで、奥は昔風の居住空間が障子
で仕切られている。木製の骨董的な看板が掛かっている。鬢付け油、資生堂石けん、油
屋など時代がかった黒い看板が四方に飾ってある。「まるで昭和レトロですね」と連れ
がいうと「いいえ、この看板は大正からの物です」と誇らしげに言う。店の跡取り娘で
昔からの商売を引き継ぎ、ガラス陳列台、奥は勘定台など大正時代の商売道具である。
親からの身代を守り抜いたものだ。大正懐古記念館にしても良さそうな雰囲気の店と店
主である。
 商売ではなく、古い馴染み客が遊びにきて、古きを懐かしむ。「昔、宿場通りはお客
さんで一杯だったのよ。今はひな祭りに商店街の音頭で賑わう。3ヵ月前のだけど、チ
ラシを挙げます。店に訪れ懐かしいとチラシを喜んで貰って帰るの」と言う。
 昔の商店の家作り、こんな店を残してもらいたい。お母さんが居なくなったら、消え
てしまう。江戸時代は繁盛した宿場だったのに、時代の流れで取り壊されて、思い出も
消え去っていく。
 ヨーロッパの古都に行くと石畳の広場に石造りの家が建ち並び、人が200年前の家
に住み、一階は店を開き観光客を呼び寄せている。日本の宿場も整備された所は一部分
ある。しかし大半は消滅している。
 古き良き時代を懐古できる、地方の宿場保存を推進する政策が必要である。
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