第78話 松江宿の中川味噌屋 中津街道

文字数 1,180文字

 豊前松江駅で宿場の情報を探し、人に聴いたが、重要な話は手に入らなかった。宿場には必ず
麹味噌屋がある。ここで幻の宿場の話を聞けるかもしれないと思った。松江駅の先の踏切の近くで、地面は3m位も下った場所に、中川味噌店がある。味噌だけを袋詰めして売っている。奥さんが応対し、昔話をしてくれた。「私が子供の頃、家の傍に引き込み線があった。何か海産物でも載せる為だったのだろうと思う。この家は大正時代、祖父が江戸時代からやっていた酒と醤油の店を買って引き継いだらしい。30年前、酒の小売店は次々と閉店し当店も酒はやめ味噌だけになった」という。※後日談だが、この店の味噌は常温で展示し売っていた。店主は「味噌は常温で保存できるものです」という。我が家では冷蔵庫に入れて保管しているが、昔は常温保存が常識だったらしい。連れが毎朝、味噌汁を作り、「中川味噌は今までで一番美味しい味噌汁になった。また買いに行きたい」と言う。※「宿場の詳しいことは分からない。近くに良く研究している、”シンちゃん”がいるので連れて行ってあげます」と坂を登り、3軒先の家を案内してくれた。「お客さんよ」と中に声をかけ「私はこれで失礼します」と店に帰って行った。シンちゃんは70歳後半の”真吾さん”といい子供の頃から地元の行事や歴史に興味を持ち、ペン画に色付けした用紙をファイルしていた。「江戸時代の宿場のことを教えてください」というと、奥の方から5冊位ファイルを持ってきた。宿場の明治時代の店舗の屋号を書いたものも作画されていた。江戸時代の宿場の俯瞰図を"お腰掛け"台から見た松江宿という題で描かれていた。「江戸時代のことは見たことがないので、私の空想も入っています」大分合同新聞も取材にきたという。手書きの宿場の案内図が街道、家並み、松林、海と分かりやすく描かれていた。親切に、熱心にファイルや写真を説明してもらった。「コピーをあげます」と仰った。その作図を参考に宿場を歩くことにした。道は二股に分かれ右が中津街道左は畑のほうへ行く。街道沿いの家並みの向こうに海がある。松江駅の近くに馬継場があった。それを中津方面へ行く上り坂がある。駅から100m先の丘に登ると草を刈った敷地があるそ。そこが、昔大名が通り休憩し"お腰掛け"ていったという言い伝えを古老から聴いたという。さらに伝説で神功皇后が旅の途中"お腰掛け"られたともいう。 近くの道の駅は”豊前おこしかけ”と名付けられている。道の駅で謂れや宿場について看板は掲示されていない。ホームページには少し載っているいるが、宿場の案内板を設置してくれれば観光の手立てになると思った。真吾さんの宿場や地元愛に基づく、作図が地域の方々にじっくり広がっているのを、後で会う人の話から窺えた。
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