第28話 六角宿 小串麹や 多良街道 

文字数 844文字

 徳川家光の時から鎖国が始り、佐賀藩は隔年に長崎の警備を命じられた。鍋島藩主は利
便性を考え、長崎街道の牛津宿から脇街道の多良海道沿いに、藩内の宿場を設置した。
  肥前白石駅の近くの踏切を越えると、昔の宿場の面影を感じる狭い道で、両側に家並み
がある場所に着いた。ネットでは六角神社があり、その周辺が宿場だと説明されている。
 車から降りた喪服姿の男性に「ここは六角宿ですか」と訊ねた。「ええ、そうです。こ
の道が多良海道です。昭和30年までは六角村といい、警察署や村役場がありました」と
男性が答えた。
 通りを歩いても宿場らしい標識は全く見当たらない。由緒ある地名が消え、白石町東郷
に吸収されてしまったらしい。洪水の多い蛇行する悪名高い六角川や六角神社の名前は健
在である。遺跡も歴史を語る掲示板すらもない悲しい元宿場となった。住人だけはここが
六角宿であった証言する。
 通りの中ほどに「大串麹や」の看板が目についた。店のシャターは下りているが、横奥
の玄関を掃除してる女性がいた。玄関の上部に注連縄が飾ってあり、横脇に石の恵比須が
置いてある。
 箒を持った女性は「江戸の頃からこの地で商売し、主人は7代目になります」という。
表間口は狭いが、奥に長く工場が繋がっている。妻が「味噌汁好きなので、土産に買いた
いのですが」と尋ねた。「味噌や麹は予約制で作っています。あいにく今日は日曜で休業
なのですよ」と応えた。 
 江戸時代には全国の町村には味噌屋があった。六角宿では味の原点である「大串麹や」
だけは生き残っている。もし六角村に実力者がいて、逆に白石村を合併していれば、六角
宿の思い出を残していたことだろう。白石町役場のホームページに六角宿の記載はない。
 線路を渡ると鎮守の森に六角神社があった。稲刈り後の田んぼの風景は、宿場の子供の
凧揚げ姿が似合ったことだろう。
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