第91話 八屋宿の立派なお年寄り 中津街道

文字数 1,180文字

八屋宿を西に下がって行くと、小さな川があり橋を渡ると南に鳥居が見える。街道沿いには民家が並び、2階建ての家が三軒続きもある。古民家だが外壁塗装がされ、かつては白壁に藁屋根の家だったろうと想像できる。昔の商店の透明ガラス戸に似たガラスに「御正忌報恩講 11月12・13日景幽寺」と紙が貼ってある。隣組長の表札もある。呼び鈴を押すと老婦人がゆっくり引き戸を開けた。「御正忌の意味を教えて頂けますか」と言うと、「私は腰が悪いので、あなたもそこの椅子に掛けてください。今はゆっくりお話ができますので」。広い土間に折畳椅子があり老婦人は簡易車椅子に対面に座った。「前の道は中津街道で、昔は豊前の中心地で役所、警察、商店街があり、賑やかな通りでした。家業は御茶の販売でした」「菅原神社の祭りは御輿や踊り車が出た。御輿は神社からそこの広場まで担がれてきて、一泊される。テントが設営され多くの人が集まりお祭り騒ぎとなる。家の前に神輿や踊り車が来るとお祝儀を渡すのが仕来り、年5回くらい行事があり、合計で2万円のお祝儀を渡していた。私の家で休憩し、居間に上がり飲食をさせていた。向かいの家々も大きな商売をされて金持ちだったが、東京へ移住され土地は手放された」と地元の祭りを紹介してくれた。「お尋ねの御正忌(ゴショウキ)とは親鸞聖人の浄土真宗での命日にする行事です。近隣のお寺は浄土真宗が多く、毎年この行事をお寺で行うのが仕来りなのです。850年前生まれの、親鸞さんが浄土真宗を広められた。この近辺は特に多い。豊前で30寺もあるのですよ」。もうじき米寿と言われるが、お元気そうである。話も説得力がある。「姑さんが60歳で亡くなり、お寺さんの世話をすることになり、段々理解できるようになった”人は病気で死ぬのでない、事故で死ぬのではない、その人の寿命がきたから死ぬのである”とお坊さんは言いいます。私はそれを信じています。わたしも今病気を持っているが、”先のことをくよくよ悩まない。悩んだら馬鹿らしい”」と言う。体は衰えてくるが、老人ホームには入りたくない、徐々に衰え苦しみ死んでいくより、自宅で動ける間、はここに留まり生活する。病気で入院すれば、そこで往生するまでです」と心構えを語る。「外へ出て自分の力量より少しだけ基準を上げ歩く。老いの進行を出来るだけ、進まないように心掛けている。腰が悪いので車いすを自分で押しながら、買い物をする。小さい庭での畑仕事が好きです。種を植え、双葉が出てくるのを見るのが一番好き」。知人が来れば、玄関で椅子に座り、外を見ながら話をされるのだろう。長く商売をされていて、お話にも無理のない説得力をお持ちのようだ。「隣組長の任務と来年の米寿の春まではとりあえず頑張りたい。後は寿命を信じ、煩わされず、人生を楽しみたい」という立派な考えのお年寄りだ。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み