第20話  黒崎宿 西構口 長崎街道

文字数 820文字

 週1回、身体の老化防止を目指し黒崎のフィットネスクラブに行く。マシーンで歩行しな
がら窓の外を見る。道路向かいに石垣があり、黒崎宿の提灯が並ぶ。その後ろは曲里の松並
木が続く。昭和20年頃には、長崎街道の木屋瀬宿まで多くの松並木が残っていたそうだ。
 石垣の前に黒崎宿本陣周辺の看板がある。入り口から出口の絵俯瞰図が描かれている。
徳川時代は参勤交代という、幕府が諸大名に1年おきに領地と江戸を往復するよう命じた制度
が作られていた。江戸への行程に街道があり、1日歩いて移動した後に殿様や家来が泊まる
場所があった。宿場は道の両側に商店や旅籠が建ち並んでいた。黒崎宿もその一つである。
 宿場の入口を「西構口」といい、現在の岸の浦信号から黒崎駅方面に向かう右手に石碑
がある。熊手アーケード街が今は寂れているが、江戸時代は店が立ち並び賑やかであった。
大看板が当時の街並みや人々の生業を描写している。北九州市は街道を整備し、歩道に石
標を埋め込み長崎街道を案内する。
 オランダ出島商館長はカピタンといわれ、洋装の館長たちが侍に護衛され行進している図も
当時を偲ばれる。アーケードを抜け宿場通りを横切ると代官通りとなり、春日神社がある。
 黒崎宿・藤田地区の鎮守神として栄え、後に藩祖・黒田如水および初代藩主・黒田長政を祀
る。7月に黒崎祇園祭りで8基の山笠が走る。黒崎駅前は歩行者天国で山笠・出店・観客で
大賑わいになる。高校の同窓生と会い、近くの居酒屋へ行くのが僕らのならわしである。春日
神社にも祭りのときは奉納されるらしい。祇園祭に春日神社を一度は参拝したいと思った。
 代官通りを進み3号線とJR鹿児島線を横切ると、出口である「東構口」通りとなり最後に
石碑があり宿場出口となり小倉藩までの道のりが続く。当時はこの辺りまで海が広がっていた。
 黒崎は子供の頃から断片的な知識があり思い出多い場所である。長崎街道で自分の頭の
中で、一本の道筋が繋がったような思いがした。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み