第116話 徒然草は仁和寺の暴露本

文字数 1,373文字

仁和寺も真言宗の総本山である。弘法大師はたまた空海といわれる僧侶が創設した寺であるという。この寺も広い敷地で、五重の塔まである。色々な由緒があるのだろうが、私は一途に兼好法師を探し求めた。仁和寺の法師が稚児と遊んだとか、僧侶の修業が終わり、祝宴で余興のつもりで、銅製の鼎と言われるものを頭に被り、踊りでて喝采を浴びた。終わって鼎を外そうとしたが、外れない。皆で引き剥がしたはいいが、鼻や耳がちぎれ、その後、大患いをしたということが仁和寺の逸話として徒然草に描写されている。この寺も天皇が位を譲渡したあとに住まれたという歴史があるのか、右近の桜に左近の橘が植えてあり看板がある。建物には外廊下が付き、広い庭は掃き浄められ、五重塔が木々の向こうに映える。御室桜の庭園があるというが、今は花弁が散ってしまっていた。半月前は見事な花盛りだったという。一つの建物を見学後、御朱印を受け付けている若い法師に尋ねた。「吉田兼好の事で何か、遺跡とかはありませんか」と訊くと「彼が住んでいた所があるようです。入口の山門から見て向こうの山に住んでいたと言います」後ろの女性に確認していたから、間違いなのだろう。お客が次々入ってくるので、礼を言って外に出た。境内の奥の方へ歩いて行かれる墨染衣姿の僧侶の方がいたので「吉田兼好の何か残っている物が、門の外にあるそうですがどの方角でしょうか」と訊ねた。「徒然草ですね。あの当時、ここの法師の事を面白おかしく書いていますね。今とは違った環境だったのでしょう。兼好法師がこの寺に何か残したという物はありません。しかしこの山門から南の山に兼好法師は住んでいたと言われてます」と言う。私の釣り糸にばっちり喰いついた。「その山は、どの方向ですか教えて下さい」と声を弾ませて畳みかけると「分かりにくいので、地図を書きましょう」と私の手帳にざっとした図を描いた。「山門をまっすぐ進むとランラン駅で踏切を渡ると、「どんつき」になり、左へ行くと大きな道に交差する。その道を右に行くと、吉田兼好という石碑があります。行って楽しんで下さい」と笑顔の挨拶で送ってくれた。この僧侶も兼好のことに興味があり、かなりの知識を持たれているようだった。今日、どんつきという言葉は何回か聞いた。標準語なのだろうか。栃木で働いて居たとき、地元の人は、場所の説明でどんつきという言葉を使っていた。どんと突き当たるという意味らしい。面白い表現だと思う。普通は「その道を突き当たって、左に行きます」とかいうようだが。兼好のことを書いた石碑があるのか。ようやく兼好先生の実在を証明する石碑の会えると思うと心が躍った。大きな道の角に文具屋があった。店の高齢の女店主に、確認した。「それだと、右に行くと小さなお寺があり、そこに兼好の墓があります。右に行くと学校があり、その前にも石碑があります」と教えてくれた。途中に公園があり、石碑があった。「この地はオムロンが創業し、最初に工場があった所です」と表示。工場は移転したようで、跡地は公園になっている。そういえば直方市にオムロンの工場があり、姪が事務員で勤めていたことを思い出した。体温計や血圧計などを作る会社である。仁和寺の地名は御室といい御室桜などもある。社長が御室の出身で、それをオムロンと名付けたのだろうと推測した。
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