第63話 佐賀宿 徴古館主宰の歴史めぐり 長崎街道

文字数 1,272文字

 私が住む団地は40年前、造成され、1戸建ちが多く並んでいる。入居した時は中年だ
った人が、高齢者になり、売却される。空き家だらけになるはずだが、場所が良いのか、
次々に買い手があり新築し、子供連れの若い人が入居する。今風の黒白基調の建物で、
3台駐車でき、コンクリの庭があちこちに建設される。前の古い家はどんな形をしていた
のか、1年程前のことだが、全く想像できない。
 佐賀宿で、徴古館の歴史めぐりに参加した。奥深い詳細な説明には圧倒された。明治の
宿場の銅板画のコピーをもらった。江戸の面影を黒ペンで描いてある。横長の二階建ての
佐賀書籍会社で間口は10間、扉を外し、店内が見える。床の上に品物を並べ、売り子が
お客に商品を勧め、帳場に金庫番が座っている。街道には着物姿の女性や人力車や馬上の
人がいる。
 記録がなければ、この場所が過去はどういう状況であったか、全く想像できない。古い
資料は後世の記憶に引き継ぐために重要なものである。断捨離の中に、残すべき貴重な品
はないか考えるのも大切。
 受付時間には早かったので、近所を歩いてみた。近くに佐嘉神社があり、かつては周り
に商店が並び、賑やかだったらしい。取り壊されて、昔の商店がわずかに残っている。間
口は2間位で中は駄菓子やさんのようだ。親父さんが座っていた。話し好きなようで昔話
しをしてくれた。
 「子供の頃、家族でここに住み商売をしていた。道路からずっと佐嘉神社まで店が並ん
でいて、どの家も二階に住んで、1階が商売をしていた。店の種類も様々だ。子供の頃か
ら、朝起きたら、手伝わされ、夜遅くまで、逃げるわけに行かない。2階にいても直ぐ呼
ばれて店を手伝う。成人過ぎても、夜まで仕事がある。近くに映画館があり、そこが終る
まで遊んでいた」と懐かしむ。
 「今は、別の所に家を建て女房と住んでいる。もう90歳になるが、二人だと口喧嘩も
絶えんので女房が朝、昼弁当を持たせてくれ、店にでも行ってらっしゃいという」お父さ
んも此処でのんびりしてお客さんと話したり、テレビを見て暇つぶししている。
 佐賀城やそれを取り巻く商店街は広かったらしい。シーボルトの江戸参府紀行によれば
「九州で最も立派な人口の多いこの都会は城郭外の町を含めて長さ二里半、幅は一里はあ
る。沢山の通りが東西南北に交差している我々が進んでいった大通りは道幅も広くよく手
入れされていた。けれど一部は商店、一部は職人が住んでいる家々は低くて立派ではない。
沢山の小川や運河が町を分断している」と記述する。
 東構口が牛嶋にあるが、西構口までは鍵型道路になって、右、左、右、左、左と敵が攻
めてきたら、何処を走れば良いのか全く分らないと思う。私も地図上で長崎街道がどれか
捜すのに苦戦した。高橋餅やの傍が西構口だった。直線でも3キロ位ありそうだ。普通の
宿場は300mから1キロ位のものが多いのだが。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み