第90話 八屋宿の街道の洋裁屋さん 中津街道

文字数 971文字

 八屋宿の石碑から数軒先に、すりガラス越しに裁縫をしているご婦人がいる。「どうぞどなたでも入ってください」というようなオープンな感じである。中に入り、「宿場に興味があるのですが」とお願いすると、布を縫いながら、昔話をしてくれた。家の隣に賢明寺への通路がある。「この家は昔、会所(カイショ)と言っていた。私はまだここにきて50年だから江戸時代のことは分からないけど」と会所の意味を教えてくれた。「お寺参りに遠くから来る人のお世話をする所です。商売でやっているのではなく、御正忌(ごしょき)といい1年に一度、秋の収穫が終わり、農閑期に遠くから、賢明寺の御正忌(ゴショキ)にやってくる。昔は、車がなく皆さん歩いて遠くからやって来る。お詣りの行事があり夜遅くなるので、この会所で食事をし泊まっていく。色々な人が来るので1週間くらいこの会所で参拝者のお世話をする」。旅館とは違うらしい。縫物の手は休めず、話は流暢で、面白い。私は土地の知識が無いので「そうですね」と相槌が打てないのがくやしい。77歳のご婦人は四日市の生まれだという「あそこは別院が東と西がある。”おとりこし”などあるがと、見世物や茶碗や露店の行商が並びそれは賑やかなもの、子供の頃は楽しみだった。今でも四日市ではやっているので、一度見に行った方が良いですよ」と薦める御正忌・会所・おとりこし・四日市、理解が十分できない。何としても、四日市に行って実態を見たくなった。街道の向かいは広い新設の駐車場となっている。「あそこに4年前までは、江戸時代から呉服屋をやっている2階建ての家があった。大きな商売をされ、一度二階に上がったが、暗い部屋に和服が一杯あった。その家の向こうは劇場があり、長物・下駄屋・劇場・バス停・千疋屋など沢山の店が並び、バスも通っていた」と昔の宿場交じりの話を語ってくれた。緩い下りになり左右に戦後の建物が並ぶが、江戸時代は大変な賑わいだったらしい。八屋は八軒の大金持ちがいて「八屋八棟」ともいうらしい。親鸞聖人とも関係があるらしい。このお店には看板はないが、洋服を縫ったり直しを商いとしているようだ。今でも中高年女性の社交の場でもあるという。洋裁店を出て、街道を下っていくと家の窓越しに「御正忌10月13日」と紙が張ってあった。その家の人に聴いて理解することになる。
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