第3-2話 小倉宿の旦過市場

文字数 2,509文字

北九州市を代表する旦過市場が取り壊され、新しく建て替えと新聞で報道された。
 小倉の魚町銀天街に続き、信号先に旦過市場がある。昭和35年頃建築の小さな商店
が200店舗以上も軒を連ねる。鮮魚・青果・精肉・惣菜などを扱う。裏通りの飲食店が
若者の人気を呼んでいる。個性豊かな小店が並び、韓国や中国からも観光客も訪れる。
テレビのロケでも使われるレトロな雰囲気である。商う人の様子を眺めるのも楽しい。
 旦過とは修行僧の雲水が宿泊する場所で、東曲輪の屋敷と小笠原家の宗玄寺や開善寺
を結ぶ橋が架けられ、小倉城下の南玄関に通じる。 大正時代、隣接する神嶽川から魚の
荷揚げ場と成り、その後、田川・中津方面からの野菜の集積地となり、市場となった。
 中央の通路を挟み川側(丸和側)は建物が神嶽川の上にせり出して建っている。裏
通りは古いトタン屋根やむき出しの古配管など、改造を重ねた跡が残る。
 戦後の商店街の面影を懐かしみ、毎日多くの人が出入りし買い物また地元料理屋
も仕入れる。看板も古く、表面のひび割れも味がある。間口1間の店に店員が2人いて、
お客に「元気しとる」と対面販売の人情味溢れる遣り取りが飛び交う。
 脇道に入るとホルモンの店があった。親父さんは話好きな年寄りだった。「北九州市
が44億円の予算で、旦過市場移転新設を予定している」という。古いところに良さが
ある商店街を新築しても多分、人は戻ってこないと思う。
 「土地の持ち主は、だいぶ前の亀井県知事で、1間幅の店舗を作りどうぞ使ってくだ
さい」と宣伝したという。「昔、神嶽川で魚を下ろし、陸軍の大所帯へ納品していた」
「馬車で荷を運び、金を貰うまで、この場所で大勢が待っていた。この先の店は馬小屋
だったんだ。何十頭の馬が繋がれていた」。
 「川へでっぱり部分は違法建築で、川の上だから税金もかからない」。「所有者は
いろいろ変わっているが登記は出来ない。持ち主は家賃をもらう」。「メインの通りの
商店は1間口は8万円、2間口だと16万円する」それでも儲かるらしい。
 「私も40年ここで商売している。11時に店を開き17時には帰る」。「市職員が
各店に交渉始めている。我々は営業権があり、それを払って貰えば立ち退く。200万
円と提示するが、0が一つ足りん」。「40億予算で1店200万円が限度だ。新聞
では直ぐ移転建設というが、我々は何も交渉していない」。「来年から交渉でも始まる
が値段が折り合わず。もう10年以上前からもこの移転の話はある」。
 店主も高齢化してる「私は年中無休でここを開け、正月だけは休み」。昔の商売人
さんだ。
「令和4年4月19日午前2時過ぎ、旦過市場40店超焼く」と新聞の一面と三面に出た。先月、小倉に行ったついでに、市場のアーケードを歩いたばかりだ。全く様子が変わってしまったのではないだろうか。市場通りから奥に入った「新旦過横丁」のエリアらしい。そこは飲食店が建ち並んでいて遅くまで商いしている所だ。ホルモン販売の親父さんの店はアーケードから入って直ぐの所にあるが、被害はなかったでしょうか、お見舞い申しあげます。17時に店を閉められているから、怪我はなかったのでしょう。「今年度から仮店舗への移転交渉に向けた補償交渉に入り、年度内に最初のエリアで解体に着手、27年度の区画整理完了を目指す」と新聞には書いてあった。ホルモンの親父さんは補償金が一桁少ないと言っていたが、予定通りにはいかないみたいだが今後、どうなるのだろう。複雑な権利関係になっているようだし、うまく解決してもらいたい。「北九州の台所」として親しまれ旦過市場と同じような、人情的なレトロを感じる複合商業ビルが完成し、変貌することを祈ります。
※火事の4日後、小倉京町文学セミナー受講で、作文を厳しく指導され、表層部で終わりでなく、その奥深くを考え表現するべしと喝が入った後、魚町銀天街を通り、旦過市場へ向かった。
入口は進入禁止の表示がされていて、アーケードの奥の方で裸電球が見え、人の動く気配があった。道路を迂回して行った。途中に店では消防署が侵入する為壊されており、その向こうに焼けた黒焦げの残骸が折り重なり崩れていた。途中の通路を行くと昭和映画館は健在だった。その先の道を行くと、市場への脇入口に人が入っていった。突き当りのレトロな商店は半分は営業再開、入り口部分の裏側の飲食店街が火事を出していた。焼け跡の匂いは、ここでは感じなかった。店はいつものように店員さんが頑張って店をやっている雰囲気を感じられた。ホルモン売り屋のおやじさんは元気だった。冷蔵庫に向かって仕事をしていた。娘さんらしい人が店売りをし応対していた。お客は多いようだ。娘さんは「親父さんは元気にやっているよ」といってくれ、てきぱきお客と対応されていた。100年床付けのサバにと肉やさんのコロッケを買った。今晩の夕食に相方と食べよう。
※R4・5.28文章セミナーの帰り旦過市場へ寄った。魚町から続く旦過の入口も解放されていた。入口左側の20軒分位は壁で閉鎖されていた。焼けた場所に当たるのだろう。大勢の人々が市場のメーン通路を歩き、昔の活況が戻っていた。前回買った百年床付け美味しかったので、それとコロッケ屋と卵焼き屋の品を買い、今夜の晩飯のおかず。これらも美味しかった。スーパーの物とは違う手作り、魚町銀天街も平日だが、人通り多く、昔に戻った感じがした。セミナーの人が近くのマンションに猫と暮らしていて、夜中2時半頃、鳴いて彼女を起こしたという。そのまま寝てしまったらしい。5時頃、窓を開けると炎が見え、焦げ臭かったと話した。
※R4・8・10旦過市場で二度目の火災。普通では考えられない。あれだけの大火災を経験しながら、火についての意識が欠如していたのではないか、行政としても、対応に厳しさがなかたのではないか。二度あることは三度あるということわざもある。旦過市場の商いの人全員が気を付け、三度と火事を起こさないよう、頑張ってまた復興してください。昨日、義援金1万円送りました。

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