第34話 芦屋宿 山鹿素行 唐津街道

文字数 951文字

 町中に住んでいると、たまには広い海を眺め、息抜きをしたくなる。
芦屋のマリンテラスに行きコーヒーを飲んだ。窓越しに、防波堤で囲った芦屋港に
係留した船が見える。ケンサキイカの釣りを業にしている柏原漁港もある。船首から
船尾まで、丈夫そうな電球が何個もぶら下がっている。昼間の港は閑散として人影も
ない。多分、昼寝て夜に出港するのだ。夜間ライトを明々と点けイカをおびき寄せ、
擬似バリで釣り上げているいるようだ。
 この辺りは、山鹿(やまが)という地名である。昔、この岬に海賊がいて、沿岸を
航行する船から通行銭を取ったと聞いたことがある。詳しいことを知らず、気になっ
ていた。此処は唐津街道の芦屋宿だったところである。
 コーヒーを飲み終え、高台から車で下った所に、歴史資料館があり「山鹿素行展」
の看板が目に付いた。疑問に思っていたことの手がかりが得られるかも知れないと思
い入館した。
 山鹿流の陣太鼓は、大石内蔵助が吉良邸討ち入りで鳴らした事を時代劇で見ていた。
それが芦屋町と関係があるのだろうか? 山鹿素行は江戸時代の著名な軍学者である。
 播磨国赤穂の浅野家にお世話になっていたこともあり、内蔵之助も感化されたのだ。
同士討ちを避けるため「山」と「川」の合い言葉を使うなど、山鹿流兵法を実践したら
しい。
 また幕末の吉田松陰も山鹿流師範の家に生まれ、毛利藩主の前で山鹿流「武教全書」
を講じ、天才ぶりを発揮したという。
 芦屋の安楽寺所蔵の「老騎歴に伏すとも千里にあり 鎮西将軍 山鹿秀遠(ひでとう)
裔(スエ)山鹿素行」という掛け軸が展示してあった。秀遠は芦屋の他、近隣を治める
平家方の地頭であり、九州一の水軍と称されていた。
 下向してきた安徳帝を温かく迎え入れた。壇ノ浦の戦いで、秀遠は船を500隻率い
て第一陣を任された。源氏に打ち負かされ平家一党は海に身を投げ滅亡した。
 芦屋港の山鹿という気になる地名、そこに歴史があり、詳細をしり納得がいった。
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