第6話 木屋瀬宿記念館と遠賀川 長崎街道

文字数 833文字

  木屋瀬宿記念館で案内人が「江戸参勤交代は各藩主が財力を増やし徳川家へ
反抗の狼煙を上げないよう、散財浪費させるのが目的だった」と仰る。2年に一度、
藩主は徳川将軍に拝謁しなければならない。そのお供は加賀藩百万石は2千人
付いてくるという。福岡の黒田藩でも300人位のお供が付いてくる。街道筋にばら
まく費用は莫大な金額になったことだろう。
 今のコロナ禍にたとえると、国の経済政策のゴーツー・トラベルで地方が商売で
潤い、国民に活力を与えるのに似ている感じがした。
 大名旅行には宿場が必要であり、本陣に殿様が泊り、脇本陣や旅籠が必要となって
くる。宿場には数々の店が並んでいた。今や消滅した馬屋・船屋・牛馬の鞍屋・鍛冶
屋・鋳掛け屋・指物職・車挽き・桶屋・両替屋・麹屋・油屋・飴行商・麩屋・など店
は200店はあった。木屋瀬宿で嫁入り道具の全てが揃うというほど繁盛したらしい。
 ミニチュアの家並みがあり、ボタンを押すと建物の在処を示す。遠賀川は南から北に
流れ、芦屋港で玄界灘へ注ぐ。木屋瀬宿は遠賀川の傍である。どうやって対岸の中島
に渡るのか分からなかった。大井川では駕籠かきが担いで川を渡るイメージがある。
幕府は橋を作らせなかったという。川幅は広いし水量もある。300人もの参勤交代の
人たちがどうやって渡ったのか。
 案内人の説明で謎が解けた「川には帆が付いた船が何隻もある。船庄屋というのが
いて、黒田藩より24隻の船を預かり、木屋瀬から芦屋迄年貢米を運ぶ仕事をしていた」
という。渡し舟は民間の業者がやっていたらしい。江戸の中期からは筑豊では石炭が出
ており既に五平太舟で運んでいた。木屋瀬には船庄屋という人が仕切っていたのだった。
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