第77話 松江宿(しょうえ)の白壁の邸宅 中津街道

文字数 1,120文字

 松江宿の中程十字路の角家は、白壁造りが堂々とした構えである。これは歴史的に意義ある建物に違いない。思い切って呼び鈴を押すと娘さんが応対してくれた。「チョッとお待ちください」といって少々時間がかかった。
 お父さんが引き戸の鍵を開け、出てこられた。大きな家で奥行きが長く、後ろの新住宅の方から古民家の方まで、わざわざ出て来て頂いたのだった。
 道沿いに低い石積み壁があり、門柱の上に鉄のアーチがある。ご主人は「この家は質屋だった。鉄棒の塀が埋め込まれ、コンクリ地面にもドアー開閉の為、鉄レールが埋め込まれていた。戦時中に鉄の供出命令で全て剥がされ持ち去られた」そうだ。
 玄関は引き戸の格子戸である。その上に額があり、5文字横書きされている。昔からあるが御主人は読めないと仰る。スマホで写し、後で解読を試みたいと思った。家の中に上がらせてもらった。
 慶応年間に建築された家だという。玄関の間の天井の梁がものすごい。50cmの丸太:かつお節の親玉のような大木が土台になり、その上に太い丸太が横木で載せられ、更にその上に角材が切り込まれ乗っている。その上が天井になる。迫力のある構造である。
 奥の土間には、明治の頃、祖父の○○半九郎さんが愛用した人力車の現物が置いてある。未だに個人で所有されているのも珍しい。道路側の部屋は歴史的なものがたくさんある。その中の写真は白壁の建物の前の門前の着物姿の大人2人と子供が写った白黒写真である。大正時代のようだ。
 奥の居間も古い書院造で鴨居の上に表彰状が並ぶ。相当な年代物の褒章授与証で「松江村 ○○半九郎 繭 四等褒章 伯爵西郷従道(西郷隆盛の弟)明治18年」と書かれた本物の現物である。
 床の間には横額があり「伊藤博文」の名前がある。直接、本人にあって貰ったのではないが、伊藤博文の家事使用人を通じ書いてもらったという。祖父は東京帝大を出て弁護士となり東京で活躍したのだという。
 商人ではあったが仕込杖を持ち歩いていたと、ご主人が現物を取り出し、杖から刀を引っ張り見せてくれた。まだまだ昔の遺品がそのまま残してあるようだ。この家そのものは慶応時代の物で、残された物も時代を感じさせる。
 この古民家は、是非とも豊前市で文化遺産に登録し現状を永久保存して貰いたい。いずれは手に終えなくなり処分される日が近いかもしれない。
 古民家の父娘さん、歴史ある邸宅をご案内頂きまして有難うございました。
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