第122話 中津宿は何処に

文字数 1,526文字

歴史博物館に共通券で入った。新しい建物で特別展示が行われていた。中津城とか中津城下の掲示物がないかと探したが、見当たらなかった。受付に「中津宿は何処にあるのでしょうか」と訊ねた。即、答えがあるかなと思っていたが、首をひねる。「お待ちください。学芸員に訊いてみます」と別室に入っていった。「暫らく懸かるようなので、館内の展示を見て、帰りに寄ってください」という。諭吉館と中津城など歩き、疲れたので椅子に座り、飲み物を頼んだ。大ガラス越しには、城の石垣がそのまま残されている。歴史の町を感じる。
帰りに、受付けに立ちよると、学芸員を呼んでくれた。江戸時代、日本中を測量して回った伊能忠敬が、中津城近辺に測量に来た時の日誌をコピーして、来られた。「これによれば、伊能が泊まったのは、中津駅前のアーケード街のあたりのようです。この辺りが宿場だったのではないでしょうか」と言う。詳しくは分からないようだ。貴重な資料のコピーを有り難く頂いた。
歴史館を出たころ、昼時だった。前に時代がかった塀にかこまれ、広い庭と古民家がある。カレー&コーヒと看板があるので入ってみた。冠木門を潜ると、かつては、豪勢な日本庭園だった感じのする広い庭があり、大木や紅葉が赤みがかったものもある。池に水はないが小さな石橋が掛かっている。古民家の引き戸を開け中に入ると、廊下があり下駄箱もある。上がって「ごめん下さい」というと、料理場のほうから、女将さんのようなお人が現れた。「このうちは江戸時代、相当な偉い人が住んでいたのですか」と聞いた。「いえ。ここは昔は劇場だったのです。歌舞伎役者なども来場し、城下町でかなり賑やかだったようです」
「現在は私の家です」という。カレーとコーヒを頼んだ。先客に老年配の男性が一人、廊下の角のテーブルで食べていた。L字型の廊下はガラス窓で庭の全貌が見える。座敷には和テーブルが三台置いてある。天井から透明にビニールがぶら下がっている。コロナ対策なのだろう。
連れと私は、廊下側の籐椅子に座った。庭の植えられた木々は、あまり手入れはされていないようだ。昔は立派な庭だったろうと想像する。角でカレーを食べ終わった男性が、我々に声かけた「どちらから来られました」「北九州の近くからです」というと「私はこの近辺に住んで二十年になります。城や城下町などの風情がいいので、気に入り、歴史などを調べています。地理不案内な観光客がいらしたら、案内しています」と語る。宿場のこともご存知だろうかと思い、興味を持った。
「赤壁の家があります。黒田長政がこの地の実力者を騙し、その娘と結婚するということになり、宴会をしているときに、刺殺した。家臣で赤壁の家に集まって居た者達まで、皆殺しにしたという。その家はもともと白壁に囲まれていたが、長政の軍勢が攻撃し、全員絶滅させた。その時の血しぶきが、何年経っても消えない、新たに白壁に塗っても、赤い色が滲み出て来る。いまだに赤壁である」と昔話を語ってくれた。「大分に私の知合いの女性の脚本家が居て、これを題材に東京の歌舞伎座で公演するシナリオを書いた。私が案内した母子は娘が鹿児島で母は東京から来て、中津を観光した。私が赤壁の話をすると、母は東京の歌舞伎座でその演目を見ましたと言う。面白いこともあるものです」と物語ってくれた。
先にその客は帰って行った。女将さんが、カレーを運んできた。「先ほどの男性は、観光案内の人ですか」と訊ねると、「いいえ。初めてのお客さんです。観光案内は登録制になっていてボランティアがいます。あの人は違います」という。
なにか、狐に合ったような、古い建物と女将さんと、一人者の観光案内人と。なんだか面白い体験だった。
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