第27話 寂しき鳴瀬宿、鳴瀬味噌 多良街道

文字数 847文字

 鳴瀬宿は、当初は長崎街道の宿場の一つであった。曲がりくねった六角川の畔にあり、地域
の特産物である大甕や陶器、薪、木炭などを積みだしていた。川岸には蒲池藩の御蔵もあった。
 しかし度々の洪水で宿場全体が水害にあったり、参勤交代の行列が川を渡れないことが多く
北方町に宿場が移された。1705年に塚崎道が開通し小田ー北方ー塚崎宿を通るようになった。
 今ではさびれた町になっているが、近くの六角川から物資を船で運び、陸へ上げて宿場は繁
盛していたらしい。度重なる洪水被害を避けるため近代になり川の流れを20m先に変更した。現在は昔流れていた川に水が無く、窪んだ川底が見える。名残で底から陸地へ上がる古い石段
が残っている。
 鳴瀬味噌は現在も従業員を抱え営業している。江戸の頃より味噌づくりをしていたという。
どの宿場も江戸時代に味噌屋があり、現在でも地元の味噌屋は存続している所が多い。朝食で
味噌汁は現代人でも欠かせない。
 田舎の歴史ある店には中高年の男女4人がいた。商売は成り立つのだろうかと心配したが、
鳴瀬味噌は時々名前は聞く。営業努力もあり、需要があるので続けられるている。若い女性が
溌溂とリフトを運転していた。多分、事業の跡を継ぐ娘さんなのだろう。
 味噌を買い、店員に話を聞くと「会社の敷地内に鳴瀬宿の説明看板があります」とそこまで
案内をしてくれた。商売が繁盛した宿場の様子が描かれているが、今や寒村の鄙びた風景とな
ってしまった。紺の事務服の女性が「そこが昔、川だった所ですが、今は干上がった居ます。
石段はその時上り下りしたものです」と説明してくれた。川幅は狭く、大雨で満潮の時は水に
飲まれた事を容易に想像出来た。
 近くの神社に登ると、その横に西岸寺というのがあり、ここが本陣の代わりに宿泊設備とし
て使われたらしい。既に300年の歳月が過ぎ、寂しげに佇む寺院の感じがした。
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