第72話 失敗の先に変化がある エッセー

文字数 1,798文字

 失敗とは、目的が果たせず、うまくいかないことである。私の目的は、投稿した文章が採
用され、新聞に載ることだった。
 頭の中にある内容を書き表し、いい出来だと思っていても、選者は評価してくれない。
どうすれば評価してくれるのだろうかと悩む。地方の新聞だと応募者数も限られてくるのか、
偶然採用されることがある。毎日とか読売などメジャーな新聞でも、偶に投稿欄に載ったこ
とがある。しかし、朝日には載ったことがない。一度でいいから掬って貰いたいと言うのが
本音であった。
 朝日新聞と購読契約し読むことにした。「下手な鉄砲も数打ちゃ、当たる」とばかり毎日、
原稿用紙1枚の文章を作り、メールに添付して送った。1年間に200通は送っただろう。内
容が平凡だと、編集者も採用してくれない。
 政治や経済の門外漢なのに、生かじりの表現をしても「勉強し直してこい」と言われるだ
けだ。特殊な個人的経験によるものの掲載は多い。熊本地震をテレビで見ると大変な災害だ
という印象は受ける。
 私は車で3時間かけて、実際の被災地へ行って見た。数多の住宅が倒壊し悲惨な状況で
ある。自然の巨大な破壊力、人間の微力さを強烈に印象つけられた。現場でしか味わえ
ない臨場感はテレビとは全く違った。その状況と感想を書いたものは、地方紙に載った。
新聞記者が現場に飛び、状況を確認して記事を書くことの重要性を知った。
 しかし惨憺たる状況のなか「被災者の悲しみはいかばかりか」と思い、たかが文章書く為
取材するのは申し訳なく思った。「人が経験しないことを、自分が間近に見聞し文章にする」
のは、読む人も興味を持つのでは無いかと考えた。
 休日に、車を折尾駅近くに止め、付近を散策した。北九州市なのに長崎町という住居表
示板を見た。赤印の階段状の表示がある。どんな所だろうと気になった。
 石碑に「長崎街道進」と彫ってある。こんな場所に長崎街道が通っていないはずだ。細い
山道に従い歩いた。江戸時代はこんな細い道を、参勤交代で藩主以下何百人も歩いたのかと
不思議に思った。
 本物の長崎街道は小倉から長崎までの道程で、途中に27宿場がある。今はどんな状況に
なっているのだろうか。実際に宿場へ足を運び、どれだけ遺跡が残っているのか、江戸時代
からそこで商売を続けている人はいるのか。宿場の子孫の方へ聞き取りし、エッセイを書く
と読者も面白がるかもしれないと直感した。
 ブログに挑戦してみた。若者が出来るなら、高齢者だって出来るはず。脳細胞は残ってい
るし時間は十分にある。エクセルで文章を下書き、スマホの写真も画面に張っておく。ブロ
グは写真が多く、文章は付け足す程度である。見ごたえはあるが読みごたえがない。文は想
像力を働かせ、受けとる人により、違った想像になったりする。
 講談社のノベルデイズという小説やエッセイを書きたい人の文章で勝負のブログがあった。
私は「街道の人々」という題名でエッセイをスタートした。1話ごと原稿用紙2枚にまとめ
訪れた宿場の人の話をまとめる。歴史を問いかけると、水を得た魚のように、自分の歴史物
語をを語ってくれる。どの宿場に行っても、過去を問いかけると面白いように話し掛けてくれる。聞いた話を書くだけでも面白い。人の生き方は、全部違っている。人間は興味が尽きない
「何か」がある。
 自分のエッセイがチェックされた数字がでる。日々更新表示されるアクセス数が、書くこ
との励みになる。長崎街道の宿場訪問から始めたが、秋月街道、多良海道、中津街道と広が
っていく。近辺の宿場や往還道だけでも、相当な数があるし、マニアも多い。
 新聞での投稿不採用の失敗を繰り返すのを辞めた。宿場を訪ね、人の話をエッセイにまと
める。1日100回以上のアクセスも再三ある。誰かが読んでくれているのだろう。「街道の
人々」はただ今、第70話である。第100話を越え、300話まで作り続けたいと思っている。
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