第14話 小田宿 関川家住宅 長崎街道 

文字数 1,171文字

 小田宿の略図を頼りに出かけた。肥前山口駅に駐車し、店で尋ねると「この先の斜め
道をズート行くと多分あります」と言う。ズート田圃が広がり、農家を訪ねても「宿場
など知らない」と老人が言う。
 「歩きは諦め、車で探そう」妻の発案でスマホに「馬頭観音」を入力し走った。段々、
駅から遠ざかる「違う所へ行くのかな」。5km離れた所に到着すると楠の木があった。
シーボルトの江戸参府紀行に出てくるのが楠と馬頭観音である。「蓮の花に座り逆立つ頭
髪の上に馬の頭が突き出ている」と描写する。
 ご主人を見送った奥様に聴くと「ここが小田宿です。関川家を案内しましょう」と先
に歩いた。三階建て白壁家屋の扉をガラリと開け「関川さん、北九州の方から来られた
よ」と声を掛けた。時代劇がかった室の奥から老夫人が出てきた。「明治初期、先祖が
農民銀行を作り、金融・運輸・商社をしていた。家は佐賀県遺産になっています」と語る。
 庭から仰ぎ見る屋根瓦と漆喰壁は堂々たる伝統美である。関川夫人は庭の道標を「追分
石でながさき美(み)ち 古(こ)くらみちと彫られ安政5年に建てられたものよ」と話す。
※後から思うとこの庭の石碑は貴重なものだと分かった。近くから移設し保存していると
いうが、これこそ小田宿の存在を証明する遺跡となる。建物は有難いことに行政の補助で
存続している。行政で石碑に立て看板を建てその由来を後世まで語り継げるよう処置して
貰いたい。※
妻が花を「かわいらしい。珍しいですね」と問えば「綿の花よ。持って帰ると良い。」と
白い小綿付の枝を切ってくれた。
 次に案内奥様は道路の向かい側の門を開け敷地へ入った。「建物は無いけど岩見屋は鹿
島藩主の定宿で小田宿本陣だった」裏庭の湧水の中に亀の形に丸石を積み、上に松を植え
た鶴亀池園がある。更に奥様は隣の裏庭に入り「池田屋は脇本陣、ここも池園がある。売
却するので目に納めた方がいい」と薦める。
 馬頭観音に戻ると奥様は、自宅からビニール袋に水を浸し「切った小枝を入れて」と妻
に渡した。なんて優しい人たちなのだろう。小田宿の人たちは本当に親切。先祖の皆さん
も長崎街道の旅人を気遣い温かく対応されていた事でしょう。
※R3年3月、関川住宅へお伺いしたとき、ご婦人が庭に咲く綿の花を妻に「持って変えるといい」と小綿付きの枝を切って下さった。それを我が家の庭の鉢に妻が挿し木した。また、綿をもいで中を見ると、黒い種が取り出せた。その種を鉢に蒔き、日々水やりし年を越した。妻は花を見るのが好きである。鉢の土の表面から芽が出てきたときは感激したようだ。それが徐々に大きくなり、今年は遂に、花が咲き綿をつけてしまった。関川夫人から頂いた、綿が我が家にも咲いた。R4.4
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