第125話 八百重が語る江戸宿場の歓楽

文字数 1,508文字

 店主は東京で昔は仕事をしていた。50歳帰省し、八百重を継ぐ。55歳で脳梗塞で右手が麻痺、現在77歳、それなりに八百屋経営顧客があり、野菜を買っていく。
建物は宿場の町屋らしく間口は1.5間だが奥に10間くらいある。話好きで現在の糸島市は住みやすい町として、宣伝され若い人も居住してくる。伊都城が山にある。歴史は古い。
 宿場の事を訊ねると、熱心にこの地域の往時をしのんで語ってくれる。若い娘さんが、糸島の魅力を訊ねて来るが、あまり話したくないのでお相手をしない。あなたのように昔の宿場に興味のある人は好きだ。
 この前原宿は唐津街道の宿場町として、大変栄えたものだった。店が立ち並び、私らのような日常の食べ物を売る地道な店もあるが、歓楽の派手な商売もあった。
飯盛り屋というのがあった。
江戸時代、街道には宿場が五百メートルに渡り、参勤交代のために、殿様が泊まる本陣がある。家来の泊まる。副本陣、その他旅籠がある。人馬継ぎ所も幕府公認で、人や運搬の馬が泊まる。人が生きていくために必要な生活用品・食料品・飯屋・大工・鍛冶などのが店屋が立ち並ぶ。これらは幕府公認であり、どの宿場にもあった。
 幕府は、遊郭は吉原遊郭や特定した遊郭以外は、禁止していた。四里ごとにある、宿場では遊郭は禁止されていた。旅籠は宿泊のためであり、遊女を置くことは許されない。
 飯盛り屋は、食事するため認可されていた。この食堂のような所に、飯盛り女を二人まで置くことは許されていた。宿場では、男と女がそれぞれの役割を持って働いて居る。当時の平均年齢は、今の長寿と異なり三十才位が平均寿命だったらしい。
 生活は貧困で食事は一日二食、麦飯に味噌汁と沢庵を食べていた。良い生活をする者もいた、士農工商という制度は人の移動や職業移動を禁じられ、違反者は厳しく処刑された。農民は田で米を作り、幕府へ半分、自分たち家族の食い分半分で毎年を過ごした。
 お天道様が東から西へ移動する間働き、暗い夜は粗末な家で藁のような夜具で寝ていた。専制国家では、どこか都会に出て働くなど禁止、田舎で一生を田にかかわる仕事をし、生きて行くことが義務付けられていた。趣味とか楽しみとかはなかった。子孫を残す為、結婚は認められていた。
長男は、家邸や田圃を継ぎ、嫁を貰い生きていける。次男・三男はもらう者はなく、生涯、下働きとして生きて、死んでいく。長女は別の農家に嫁ぎ、子を産み子孫を残す。家事仕事に追われ、田の仕事にも必要な仕事があり一日中働き続ける。夜寝る時が、休息の時。結婚していれば夫と妻は性交渉をする。男にとり快楽であるが、女性は妊娠・出産・育児に家事に追い回される。
 十五・六で結婚し、子供を産み、三十位で亡くなる。この繰り返しが、当時の人生だった
縛られた人生を、人間だから悩みも多く持つ。三十年間なんてあっという間の人生だったろう。 
 自分の住んでいる地域しか知らない人生。周りを見ても、縛られた人生を全ての人が行っている。自分をこれが当り前だと納得させる以外に、考えられることはない。上を見れば、切りがない。下を見れば自分より下の境遇にいるものもたくさんいる。
 栄養失調で子供も早く死ぬ。七歳まで生きていれば神様のお陰だと喜ぶ。苦しい人生のなか、心を救ってくれるのが、お経を唱えるだけで、極楽浄土へ行けるという宗教がある。誰もが現世の苦しみを味わい、来世の花園をを願う。実際は、何もない天国だろうが、せめて心の中はそれを信じたい。
現代に生まれた人は、昔と比べれば、偉い違いだ。殿様のような生活をしていることになる。折角あたえられた人生。良い人生を過ごしていきたいものである。
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