第96話 ニュヨークのバスの中 エッセー

文字数 1,559文字

9年前、年金受給者の私は、趣味としてニューヨーク市ブルックリンに1週間、英語の個人授業を受けに行った。僅かな経験であるが「差別って何だろう」と考えさせられた。空港の迎えは、50歳台の黒人女性だった。白人ではない人と、話すのは経験がなく、少し途惑った。彼女の家に食事付きで泊まり、午前中授業で午後は自由行動の企画である。図らずも黒人家族の実情を経験することになった。ビルのアパートの4階で居間・食堂・トイレ・シャワー室があり、個人部屋にベッドとテレビもある。快適な住まいである。女性家庭教師は授業の中で、黒人差別について真剣に語った。カリブ海のドミニカ共和国から米国へ移住し、大学まで卒業、会計士として働いていたという。彼女のこれまでの人生に於いて、様々な差別的な仕打ちを経験したのだろう。
授業の一環として、60歳過ぎの夫のリチャードが、マンハッタンの観光案内をしてくれた。ニューヨークからブルックリン橋を歩いて渡った。バスで地下鉄駅まで行くのだが、経路や運賃が理解できず自分で利用するのは難しい。彼の手配で満員のバスへ乗り込んだ。周りを見ると、全員が黒人である。白人の国なのに「なぜ黒人だけが乗車しているのだろうか」と不思議に思った。偶然なのか、有色人種専用なのか不明だが異様に感じた。家庭教師は、「アメリカは差別の国だ」と力説する。私は、英語力も貧弱なので少ししか理解できないでいた。過去、アフリカ黒人が船で奴隷として、米国へ連れて来られ労働を強制させられた。人間としての権利・自由を認められず、私有財産の一部で売買の対象とされた。肌が黒い故に、違いが分かる。それが差別の続く一因だろう。今でも黒人入場禁止の飲食店や、便所は外の汚いトイレを使わせる所がある。米国では良い白人が大半だと思う。少数だが差別する人々がいるのだ。トランプ前大統領は白人優位を主張し、共和党の白人に絶賛され差別的考えが横行し始めた。日本の学校でも虐めが無くならない。差別は虐めの一種だと思う。「こんな奴に良い思いはさせるものか」という非人道的なやり方だ。バスの中で差別的行為があったわけではない。表面では分からない狡猾な差別が、何処かに有るのではないだろうか。侮辱されるのも、虐めだと思う。リチャードが、旧友でデパートに勤める男を紹介してくれた。背広・ネクタイ姿の売り場の人だ。何かの台に足を上げて私の方を見てリチャードと話す。「失礼な奴だ」と思ったが黙っていた。以前、一人でミュージカルを見に繁華街へ行った。屋台でバナナ2本買おうと10ドル紙幣を若い男に渡した。お釣りをくれない。「金を返せ」というが「貰ってない」と嘘をつく。争うが埒が明かない。頭に来た私は店頭の一房のバナナを分捕って立ち去った。彼らは私を侮辱していたのだ。日本だったら、正当性を主張し、非をなじるのだが、英語力がない。黒人はこんなことより、もっと陰湿で酷い仕打ちを経験しているのだろう。人間のエゴというか、子どもから大人まで、そういう輩が彼方此方にいるに違いない。学校のいじめも、可哀想な話である。我が家の近くに、空手道場がある。夕方になると若い母親に連れられた小さな子供が、白い道着を付け、大勢道場へ行くのを見る。武術を習い、自分に自信を付けてもらうのだと思う。学校で「空手道場に通っている」というと、いじめっ子も「こいつはヤバイ」と一歩引き下がるかもしれない。弱者を虐める悪い奴が多いのだ。黒人だけが乗っているバスに黄色人種の私が同乗した。見えない差別が日々、黒人に晒されているような気がした。テニスプレーヤーの大坂なおみが「黒人の命もまた大切だ」と訴えている。まだまだ差別が続いているということなのだ。バイデン大統領が差別打開策を強力に実行していくこと期待したい。
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