第92話 姪浜宿住吉神社 唐津街道

文字数 858文字

姪浜宿らしき所に、車で着いた。宿場の道が狭い、昔は大きな町ではなかったようだが、最近は高層マンションも建ち並び、昔の宿場や唐津街道の名残は段々、無くなっていっている。建物を潰した後に、コイン駐車場があった。曇り空だが、散策にはちょうどよい季節である。路地には狭い店のパン屋さんがあり、人気の店のようだ、お客が並んでいる。十字路に着き、左右が唐津街道らしい。東搆口は今はないが、その方向へ進むと姪浜住吉神社があった。宿場の雰囲気がいくらか残っている感じがする。神社前に看板があり姪浜の歴史的地区が写真入りで説明されている。あまりにも歴史的な逸話が多く、覚えきれない。この地から神功皇后が三韓征伐へ出発し祭礼を行った場所があるという。またの機会に、その場所を訪ねてみたいと思う。鳥居をくぐると住吉神社の河童伝説が表示され、石の河童像も歓迎してくれる。社では七五三のお祓いが行われている。そばにテントが張られ、長テーブルの向こうに3人の羽織袴の男性が座っている。「今日は何かのお祀りですか」と訊ねると、恰幅の良い男性が「七五三のお祀りをやっています」という。「宿場に興味があり、教えてください」と言うと、椅子から立ち上がり、日陰の場所に移動し説明してくれた。名刺を貰うと、姪浜住吉神社 小戸大神宮 総代会長とあった。姪浜の歴史研究家の方だった。詳しい話を聞くのに、最適の方にお会いしたことになる。街道の人々のブログを書くときにピッタリの情報を提供してもらえるのは有り難いことです。お話を聞くにつれ、この地の歴史の壮大さに、びっくり仰天。邪馬台国がこの姪浜であったのではという、仮説をたてられ、実証を試みておられる。博多湾は口を開けた歯の型(ハガタ)のような形をしている。口があれば目があり、鼻があるのではないか。地元生まれの、地元育ち、子どもの頃から姪浜の歴史に興味を持ち、数々の町起こしやら、歴史の実証による発信をされている。早良王国研究会の代表:川岡保様にお会いした。後日、連絡して歴史的説明をしてもらえそうだった。
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