第75話 街道の人びと エッセイ

文字数 3,945文字

 特に目的も定めず街中を散歩するのが、近頃の趣味になっている。思わぬ個人的な発見や人との出会いを体験する。日曜の昼前、折尾駅の近くに車を止め、歩き始めた。
 折尾駅も近代的駅舎に建て替わり、周辺道路も倍の広さになった。目覚ましい変貌を遂げている。その反面、多くの家々が立ち退きを強制させられ犠牲となっている。大正、昭和年代半ばまで折尾堀川沿いは、石炭の運搬路として繁盛した。現在は赤煉瓦塀と古い立派な木造住宅が3軒だけが残り、昔を偲ばせる。古い者は壊され、新しい物に建替えられていく。新しさは必要であり気持ちも良い。しかし古い物だが残したい物まで消え去ってしまうのは寂しいことである。
 JRの踏切を渡ると長崎町内の案内図板があり、丘へ登る細道に赤い線が付してある。連れが興味を示し「行ってみよう」と言う。半間のコンクリート階段の傍に「長崎街道進」と石碑がある。「こんな所に街道があるの?」と不思議だったが兎に角登ってみた。正面にお堂があり中央四国第12番の看板が掛けてある。脇には大正九年建立と刻んだ弘法大師石像がある。西暦800年頃、中国で学び真言宗を日本へ普及させた僧侶である。全国に5千の石像があり、偉い僧侶で今でも信仰は続き現世の老人の悩みを救ってくれる。四国七十七箇所巡りで有名である。裏手に細い地道が続く。緑木が繁り、覆い被さる中、落葉を踏みしめ丘を登った。「これが昔の街道で、江戸時代の人々が歩いた道なのだ」という思いと「よく残されていた」と感慨深いものがあった。道はどんな辺鄙な所でもアスファルト舗装と思っていたのに、江戸の公道は「こんなに狭い地道だったのか」と今更ながら驚いた。
 丘の峠には広場があり石の祠がある。旅人の寛ぎの場だったのだろう。下り坂になっても細道は続く。幻想的な世界へ迷い込んだかのようだ。「未知の世界の道」と駄洒落ながら連れと二人で進んだ。突然、道がきれいに掃き清められ、民家が出現した。崖下に家々がある。往路では誰一人として出合わなかった。遂にアスファルト道路と現代住宅群の町に合流した。
 逆戻りして車まで行かずに、大きく迂回して、元の場所へ戻ることにした。国道3号線の県の合同庁舎が見える場所だった。先の交差点を左折すれば折尾駅へ行く。一回り2時間かけて、街道の一部を歩いたことになる。
 帰宅後、地図で道を確認、赤ボールペンでマークした。「長崎街道を訪ねて、面白いテーマだ」と好奇心の虫が話しかけてくる。
 長崎街道は小倉から長崎まで27の宿場があるという。今の状態はどうなっているだろうか。長崎街道の元宿場の現状を全て見聞したくなった。未知への興味が湧いてきた。
 遠賀川堤防を飯塚方面に車で向かうと、小竹の旧市街に入る。車から、ちらっと見えた鳥居に、古風な風情を感じた。旧街道の手掛かりはないかと車を止め、付近を探索した。車1台通れる道を挟み両側に古い家々が連なっている。かつての写真屋、酒屋、醤油屋などの昔の商家の面影を感じる。貴船神社の石鳥居には享保八年と刻まれている。
 最近の神社は、跡を継ぐ人もなく荒廃した所が多い。石段を上がると箒で落ち葉を掃いている男性がいた。「この前の道は長崎街道ですか」と尋ねると「そうですよ」と答えた。今時の70歳代の男性は、気力も体力もあり生活費の心配はないが、世間と関わりたいという人が多い。この男性も同じに違いない。熱心に長崎街道の説明をしてくれる。
 「木屋瀬宿を出て飯塚宿まで長い道程なので、小竹は小休所(こやすみどころ)といい、一服した所です。珍動物も通り住民は大喜びだったそうです」1728年、八代将軍吉宗へ献上するため象が中国唐人の船で運ばれてきた。ベトナムから長崎に着き、陸路を江戸まで歩かせたという。宿場では象のための飼料と随行員のため必要なものを準備した。吉宗が象を見て喜んだのは勿論、庶民も街道を歩く巨象を間近に見、大騒ぎし、楽しんだに違いない。
 「掃除はボランティアですか?」と尋ねると「もう15年続けています。子供の頃、チャンバラごっこした懐かしの遊び場です」人に神社の由緒を尋ねられる事が多く、この地域の歴史も勉強したという。ある観光客から「神社は立派だけれど、草茫々ですね」と言われた。恥ずかしくなり、それから神社の掃除を始めたと語る。
街道の遺産を見物するのも興味深いが地元の人の昔話を聞いていると、江戸時代の情景が頭に浮び、面白さが倍になる。江戸時代は参勤交代で全国の藩主が1年おきに江戸と領地とに居住させられた。2年に一度は徳川将軍に拝謁する義務があった。藩主以下何百人もが行列を組み街道を歩き、宿場に泊まる。宿場は商人のまちである。
 飯塚宿は存在していたが、石炭産業華やかな頃から破壊され、戦後はアーケード街となる。今や閉店したシャター街に落ちぶれた。昭和40年に作った石柱が遺跡の記憶を示す。国道200号を冷水峠に向かう手前に、飯塚市の飛び地内野町がある。国道から外れ、江戸時代街道が残り宿場の面影を留める。日本一の槍を飲みとった母里太兵衛が建設に当たった。西構口(山家宿側)から東構口(飯塚宿側)まで600mが残っている。
 新型コロナで緊急事態の時期、肥前屋旅籠の展示館は休館、人通りもない。脇本陣の長崎屋は休館だが木戸が開いていたので庭に入り、ガラス越しに内部を拝見させてもらった。シーボルトが立寄ったとの記録があり、長崎出島の商館長キャピタンと共に江戸へ武士に守られながら行進している図が見えた。内野宿の先祖は、殿様の行列や、多くの有名人が宿泊していく様子を子孫に伝承していった。
 佐賀県に神埼宿の西木戸口跡がある。宿場入口と出口に木戸を設け、朝6時に木戸を上げ夜10時に下げ宿場入出を管理したという。家並みは街道の雰囲気を漂わせており、突き当りの浄光寺は脇本陣として外国使節団の宿泊地だった。道は東西に分かれ, 西へ進むと突き当たり、更に北東に分岐、迷路で敵の攻撃に備えた。神埼の地名は景行天皇が西国巡行の折、当地の荒神を鎮め、神(かみ)幸(さち)を得て神埼と名付けられた。この荒神を祀るのが櫛田神社で、博多のお櫛田さんの本家神社らしい。
 街道に三百年の伝統を誇る老舗、多々良製麺所がある。ガラス戸を引き、男性がトロ箱を台車に乗せ出てきた。「それは何ですか」と尋ねると「これは亀で、汚れ落としに行く所です」と言う。水を張ったトロ箱に漬物石と日本固有種のクサ亀がいた。30年前、子供が亀を持ち帰り、店で飼っているという。多々良社長が「神埼そうめん」の歴史を語ってくれた。「約380年前寛永12年小豆島より行脚遍歴してきた雲水が病で倒れた。商人が手厚く看病し回復、お礼に手延べそうめんの秘法を伝授した。脊振山の良質な水と佐賀平野の小麦、水車の利用で製麺業が盛んになった」。喉越しの良さとコシの強さが持ち味。「今は後継者不足で廃業の店が増え、裏の工場も生産が減り寂しい」神埼ソーメン頑張れ!と言いたくなった。
 宿場を散策した後、店に寄ると、目元涼しい奥様が「どうでしたか神埼は?」と話かけてくれた。未知の地で、この対応は嬉しかった。店の奥に老女将が座っている。江戸時代から家業を継承している貴重な様子が伺えた。
 小倉宿を起点とする秋月街道の宿場で思い出に残る出会いがあった。秋月街道の千手(せんず)宿は嘉麻市の小学校の近くにある。里山の宿場通りに漆喰壁の民家があり、隣接した作業場に「筑前左・山本刃物」の手造りの板看板が見える。玄関で立ち話をしていた男女が「何かお探しですか」と問う。「ここは宿場ですか」と尋ねると「隣が鍛冶屋だった所です。どうぞご覧ください」と言う。
 倉庫の中は、昔の鍛冶屋の機械や道具が放置され残っている。「珍しいですね、使える状態の鍛冶屋は初めて見ました」と驚くと「祖父と父が鍛冶屋として働く姿を子供の頃見ていました」と言う。耐火煉瓦の炉がありコークスが燃え、火(ほ)床(くぼ)があったのだろう。煙突が屋根の外に突き出ている。炉の前の地面を堀下げ、その横にベルトハンマーが控えている。金床にある鉄を鎚で叩き鍛える。作業風景を彷彿とさせる。「小学校から見学に来た時、父が火を起こし鍛冶仕事を説明しました」娘はそんな父を誇らしく思った。
 大学を出て就職し博多に住んだ。彼女が28歳の頃、父が59歳で急死し、母は2年後に亡くなった。10年位、家は無人だった。家はずっと心の中に残っていた。故郷とは「鍛冶屋の父母が居り、田や山も所有、親戚もいる。百年以上の家も居心地が良い。ここが故郷」と言う。惹かれる様に帰郷の気持ちが募った。
 36歳の頃、知り合いの男性と結婚し、博多に住んだ。「故郷の古民家で鍛冶屋を残し、生活したい」と夫に相談した。妻の望郷を思い遣り「一緒にこの地で住んでみよう」と夫は決意してくれた。 妊娠中に移住し「生まれる子に自分が経験した里山で大らかに育ってもらいたい」いまでは4歳と2歳の男の子と4人暮らである。
 「家に上がって見てください」と言う。二階には鍛冶や刀剣に関する資料が曾祖父の代からある。刀鍛冶の左文字系の弟子となり刀鍛冶の職人をしていた。鍛冶の道具や炉や仕事場がその儘の状態で残る数少ない場所だ。ここを修復し「つなぐもの 鍛冶屋の記憶」として皆様に見てもらいたいと語る。
 宿場に先祖来来住む人の話を訊くと、心の中の昔話を迸るように話してくれる。人は過去のことを何らかの形で聞いてもらい、伝えていきたいという気持ちがあるのだろう。父母を含め先祖の思いを語る人が多い。そんな情景をエッセイで残してみたいと思った。
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