第89話 八屋宿 浦野醤油  中津街道 

文字数 1,648文字

宿場も消滅しつつある。八屋宿の詳細はネットで探しても見つからない。とにかく現地へ行って見たい。浦野醤油が有名である。住所を設定し東九州高速を走った。5年前は未開通道路があった。一般道では2時間以上かかる。ノンストップで快調に走り、途中ドライブインが出来セブンやトイレ休憩できた。国道10号線が近く、JR日豊本線が海沿いを走っている。周防灘、伊予灘方面になるのだろう。前の宿場の松江宿でも松江駅が宿場にあった。江戸時代の表示板は無かったが住民のかたは、宿場のイメージを大切に記憶の中にとどめられている。行政がもっと注目し、江戸時代の宿場の遺跡を残し標示して貰いたいと切に思う。八屋宿の唯一の江戸時代の商いを続け、当時の建物が堂々と存在している。そのほかの遺構はや建物は殆ど無い。しかし、この浦野醤油は160年前建築の太い梁に柱の骨格を持ち、外観は漆喰づくり、屋根瓦も勇壮なものである。よくぞ残っていてくださいましたという逸物である。4年前から国の調査があり、今年国の有形文化建物に認定されたそうだ。萩生田文科大臣の認定証が飾ってあった。宿場の建物で県の有形文化建物は随所にあるが、国のお墨付きは少ない。宿場の本道から脇道になる。車が2台離合できるかどうかの狭い道の途中に店と工場がある。車を止める場所が大変だ。観光客がくるという雰囲気ではない。しかし店構えは洒落た喫茶店風の感じが良い店である。醤油の小瓶がきれいに並びオリジナルの醤油もたくさんある。新しい試みの味噌玉が目についた。メニューの一つである麹と緑茶のスムージを飲んだ。カウンターや椅子席もあり、素通しのガラス窓から宿場の道や家並が見える。ちょっとのんびりできる。息子の嫁さんがここは切り盛りしているそうだ。女店員に「宿場に興味があり来ました」と言うと、即座に「女将さんに連絡しましょうか」と言う。有難いことだ宿場の情報と”街道の人びと”の話を聞くという、私の思いにぴったりだ。店の隣が車庫兼工場の出荷口になり、後部が工場と住居部分らしい、部屋の入口から元気そうな女将さんが出てこられ、「案内しましょう」と外へ出た。宿場の本道は数軒先であり十字路になっている。昔は商店があったのだろうが、今は取り壊され広場になって居る。掲示板が豊前市教育委員会が由緒を表示していた。石碑で是従中津方面、横に是従小倉方面と彫られた、江戸期の石碑である。宿場は明治以降をおろそかにされ、石碑も3分割され向かいの家に一部分が近くの寺に一部があった。女将さんが詳しく説明してくれる。「良く街道を訪ねて来られる方が居るので積極的に説明します」という。建築するとき土中の発掘調査で見つかり、当地に再現されたという。八屋宿の唯一の遺構である。構口の遺構はどこか分からない。北の方角は海辺になる。醤油店も浜近くで商売をしていたが、明治になり鉄道や道路もできたので、現在の場所へ移転したという。寺の前にも掲示板があり由緒があるようだ。城の門が移設されたユニークな話を説明してくれた。店に戻り、建物正面からの見どころを説明して貰った。補助金もなしに立派に維持されている。醤油、味噌、店舗など現代の需要に応じた商売をなさっている感じが伺えた。息子が跡を継ぐので、隣に店をひろげ、嫁が店舗やネット販売に力を入れているらしい。「スムージーも上品な甘さであり、酵母が造る甘さで砂糖は入っていません」と若い嫁さんはいう。日本人の食を支える味噌、醤油は宿場で生き残っている唯一の伝統産業である。頑張れ浦野醤油さんと言いたい。ホームページもあるようですから、アクセスしてください。近くであれば、この店のスムージ良いお味ですよ。八屋宿では4人の方にお話を伺った。いずれも興味ある話を、フレンドリーに語ってもらった。有難いことです。とても興味深く、久しぶりの宿場だったので、頭にインプットしたものを、早くアウトプットしたくて、乱文のままで申し訳ありません。まだ、宿場訪問は続けたいと思います。
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