第13話 飯塚宿 今は石碑だけ、馬場さん 長崎街道

文字数 953文字

 江戸時代の飯塚宿は、通りに商店がびっしり並んでいた。象も泊まった所でもある。
明治のはじめから、石炭産出が始まり伊藤伝衛門や麻生家の炭鉱会社が隆盛を極めた。
 宿場の古い店並みは、全て新しいタイプのアーケード街に変化した。今ではシャター
街に落ちぶれてしまった。宿場は跡形もなく消え去っている。
 白水橋あとに長崎街道の掲示板がある。茶屋本陣、中茶屋副本陣、問屋場、番所、構
口の石碑が昭和44年頃に設置されているだけ。なんとも味気ないものだ。行政の歴史
に対する認識が薄すぎたのだ。麻生副総理のお膝元である。東構口から西構口まで約
600mあった。
 宿場で馬場さんという人に会った。構口の場所を訪ねると、街道に詳しく、次々と体
験談が出てくる。お互いに知っている情報を語り合った。立ち話で時の過ぎるのも忘れた。
 私の方は昨年の3月頃から宿場巡りに目覚め、今年2月から「街道の人びと」をエッセ
イに書き始めたばかりだ。馬場さんとはキャリアが違い教わることが沢山ありそうだ。先
週、私は街道の人々用の名刺を作ったのでお渡しし「メールアドレスもあります。連絡し
てください」とお願いした。
 馬場さんの話は現地に足を運び体験に基づいており面白い。ノベルデイズにエッセイで投
稿してもらえば、私も読者になりたいと思っている。
 目下、研究されているのが「神功皇后に関する情報を現地で調べ、地元の人に確認し、
整合性があるか比較されまとめられて」いるようだ。
 私も九州北部の宿場を訪ねているうちに、仲哀天皇と神功皇后の足跡が、あちらこちら
に由緒として伝えられており、これは単なる神話とか作り話でなく、実際にあった話では
ないだろうかと思うようになっていた。仲哀天皇を纏め一つの物語を作れば面白いかなと
思っていた所である。
 私は下関の忌宮神社を訪れたこともある。神宮皇后と仲哀天皇が滞在し、熊襲征伐に船
で向かい芦屋宿に着き、岡湊神社にもその旨、由緒があり、埴生神社にも寄った。黒崎宿
の一宮神社にも寄り皿倉山は皇后が「更に暮れる」からくると言われる。香椎を本拠地に
して南下した。大隈宿の乳房の森の水も皇后であり、野町宿の手前の大己貴神社(おおな
むち)にも皇后が来た。
 私の体験と馬場さんの体験と考察が一致することが多かった。
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