猫の惑星のぴゃーさん 上

文字数 6,565文字

   1
 それは夏休みの、ある日の夕方。
 ぼくがメタボのお父さんのウォーキングにお付き合いし、近所の公園を歩いているときだった。
 その公園には木立の生い茂る涼しい散歩道があり、そこは、クワガタなんかを採るのにちょうどいいカシの木もあった。
 ぼくらがそこを歩いていると、ぼくはそのカシの木の幹にいるクワガタを見つけた。
 それでぼくはそれを捕まえようと、その木に近づいた。でもお父さんはそんなぼくに気付かず、そのままウォーキング続け、すたすたと歩いていった。だからぼくは、クワガタを捕まえたら、すぐに走って、お父さんに追いつこう思っていた。
 
 それからぼくはその木の根元に近づいた。だけど突然そこに大きな黒い穴が現れ…
 と思ったら、いきなりぼくはその穴に吸い込まれた。
 それからぼくは、なぜか真っ暗な宇宙のような空間に浮いていた。
 だけど同時に、ぼくは物凄い勢いで不思議なトンネルの中を移動しているような感覚にも襲われた。
 いや、きっとぼくは物凄い速さでその宇宙のトンネルのような、宇宙空間のようなところを移動していたにちがいない。
 そしてしばらくすると、どしゃんと背中からどこか固い場所に落ちた感覚があり、気が付くとぼくは見知らぬ街の、うらぶれた路地にいた。
 見渡すとそこは、ちょっと風変わりだけど、街裏の狭い路地という感じの場所で、両側に建物の壁があった。
 ぼくが振り返ると、その壁に黒い穴が見えた。だけどその穴はどんどん小さくなり、やがて消えてしまった。
 そして路地のむこうから西日(?)が差し、ゴミ箱のようなものがあり、その周りにゴミが散乱し、そして猿というか原始人というか人間というか、とにかく変な生き物が二、三人、薄汚れた格好であぐらをかいてゴミの中にあったらしい食べ物のカスのようなものをむしゃむしゃと食べていた。
 その向こうには、やはり薄汚れた「類人猿」が何人か寝そべっていた。
 それを見て、ぼくは薄気味悪かったので、彼らに目を付けられないうちにそこを離れることにした。

 それからぼくは少し歩いて、その街のきれいな大通りという感じの場所に出た。
 そこにはきれいな大きな建物がたくさん並んでいた。
 そして歩道を歩く人、人、人…
 いや、人ではない。みんな猫だ!
 それもきれいな、そして大きな猫だ。それに何と、二足歩行をしている! ぼくよりもずっと背が高い。ライオンくらいの大きさはありそうだったけれど、やっぱり猫で、みんな優しそうな顔をしていた。
 長くてきれいな毛並みをふさふささせて歩いている猫や、洋服を着た、毛の短そうな猫なんかが、当たり前のように歩道をぞろぞろと歩いていたんだ。二足歩行で!
 そして通りには自動車のようなものも…、だけどぼくが知っている自動車とは似ても似つかない、でも、見たら自動車としか思えない、そういう不思議な物体が走って、中では猫が「運転」していた。
 だからやっぱり自動車だ。
 いや、猫車と言ったらいいのかな。
 とにかく街は歩道を歩く猫と、車道を走る猫車!
 その歩道に沿って、沢山の店が並んでいた。魚屋が多い。ネズミ屋とでも言うべき店もあった。そこにはちんぷんかんぷんの文字が書いてある、看板のようなものに、(きっと猫語)ネズミの絵が描いてあったから、きっとそうだ。
 ぼくが歩道からのぞいたら、店の中にはネズミの干物のようなものや、紐のついたネズミのおもちゃのようなもの(ねこじゃらし?)もあった。
 とにかくネズミにまつわるいろんな物があるようだった。
 もちろん魚以外の食べもの屋もあった。それと洋服屋なんかも。
 
 そんな街を歩いていると、何とさっき路地で見かけたような類人猿が、薄汚れた格好で、きょろきょろと辺りの様子をうかがいながら、食べもの屋の中をのぞいていた。
 そして驚いたことにその類人猿は、食べもの屋から出てきた猫が持っていた、食べ物の入った袋を素早く奪うと、すばしっこく逃げるように走り、ぼくがさっきいたのとは別の路地へ入っていった。
 それからぼくがその路地の入口から見ていると、その類人猿は食べ物の袋を破り、中身を出してむしゃむしゃと食べ、あとは袋ごとぽいとその辺に投げ捨てた。
 見てみると、その類人猿の周囲にもゴミが散乱していた…

 ぼくが人間の世界にいた頃、公園なんかにもゴミが落ちていた。時々煙草をくわえたいい大人が、公園の草むらにぽいとゴミを投げ込んでいるのを見たこともある。
 そのとき一緒にいたお父さんは、
「ああいうのは人間のクズだ。ああいう人間になっては絶対にダメだよ」と言った。
 ぼくは、路地でゴミをぽいと投げ捨てたその類人猿を見て、お父さんのその言葉を思い出した。
 とにかくぼくは、ここには悪い類人猿がいると思い、それで彼らには気を付けなければけないと思った。

 それからしばらく、ぼくは街の様子を観察した。
 とにかく猫の街だ。猫猫猫。猫の店。猫車。
 そして薄汚い類人猿たち…
 だけどぼくはあることに気付いた。
 それは、とにかくぼくはとんでもない世界に紛れ込んでしまったのだということ!
 
 ぼくはお父さんのウォーキングにお付き合いして、公園のカシの木にいたクワガタを捕まえようとして、そして不思議な穴に吸い込まれ、それからあの路地にどしゃんと着いてしまった。
そしてたぶんぼくは、帰れそうにない。
 しかもここは猫の世界みたいだし、しかもあの悪い類人猿たち…
 つまりぼくがいた世界と逆なんだ。
 人間の街に野良猫がいる。ところがこの猫の街では、野良は類人猿。
 そうすると、ここではぼくも野良人間だ。

 何ということ!

 だとすれば、ぼくはこの世界でどうやって生きていくのか?
 あの類人猿たちみたいにゴミ箱をあさったり、猫がめぐんでくれた食べ物のかけらをもらって生きていくのだろうか?
 これはえらいことになった。どうしよう…
 ぼくは途方にくれた。
  
   2
 それからばくは街をさまよった。
 見てみると、互いに話をしながら街を歩いている猫たちもいた。
 ぼくが気を付けて声を聴いてみると、猫たちの言葉は「みゃーみゃー」ではなく、何だか人間の言葉みたいだった。だけど、ぼくにはまったく意味が分からない。
 そしてほとんどの猫たちはぼくを無視していたけれど、ときには、人間か類人猿の真似をしたのか、「うぉー」とか、声を掛けてくる猫もいた。
 ぼくらが人間の世界で、通り掛かった野良猫に「みゃー」と声を掛けるのと同じなのかもしれない。
 だけどぼくよりずっと大きい猫だし、少し怖かったので、声を掛けられてもぼくはそのまま歩いた。
 しばらく歩くと公園のような場所があった。
 草が生えて、あちこちに猫じゃらしも生えていた。
 そこにはベンチのようなものもあり、二匹の猫が仲良さそうに座って、猫語で楽しそうに語らっていた。
 何となく邪魔をしてはいけないような気がしたので、公園のすみにあった、なんというかキャットランドみたいな仔猫が登って遊ぶような遊具? があったので、ぼくはそれによじ登って、それからしょうがないので、その上で運動会のお山座りみたいに座った。
 そうしているうちに日が暮れて、辺りがだんだんと暗くなった。
 だけど公園の明かりが灯って、それ以上暗くはならなかった。
 それにここは暖かい場所なのか、暖かい季節なのか分からないけれど、とにかく、それほど寒くもならなかった。
 とにかくぼくは、今夜はここで寝るしかない。
 だけどお腹がへった。でも食べるものがない。
 だとするともしかして、あの類人猿たちが路地でやっていたように、ぼくもゴミ箱をあさって、食べ物を見付けないといけないのかな…
 そう考えるとぼくはだんだん悲しくなって、涙が出てきた。
 だけど仕方がないので、キャットランドの上で猫みたいに丸まって、ぼくは眠りに着いた。
 
 翌朝、ぼくはお腹ぺこぺこで目が覚めた。のどもからっからだった。
 そしてもう朝日が昇っていた。
 それからぼくがキャットランドの上から公園を見渡すと、「水道」があった!
 いや、多分水道だと思って近づいたら、やはり水を飲むための水道で、「蛇口」という感じのものがあったので、ひねってみたら水がじゃーじゃーと出てきた。
 それでぼくは水が飲めた。少なくとも、のどがからっからではなくなった。
 それからぼくはすることがないのでキャットランドに戻り、二度寝をしたら、いかにも子供たちという感じの声がぴーちくぱーちくと聞こえて目が覚めた。
 それは公園に遊びに来ていた「仔猫」たちだった。仔猫といってもぼくよりずいぶんと大きい。
 そして、その仔猫たちは袋に入ったお菓子、という感じの食べものを、楽しそうにみんなで分け合って食べていた。
 考えてみるとぼくのいた人間の世界で、公園に野良猫がいて、そこでぼくらがお菓子を食べていたら、「食べ物ちょうだ~い!」という感じで野良猫が近づいてきた。
 猫に餌をやってはいけない! なんていうけれど、野良猫たちは腹ペコなんだ。
 そして今、ぼくは多分「野良人間」で、しかも腹ペコだ。
 そしたらぼくはどうするか?
 やっぱりここにいる仔猫たちに「食べものちょうだ~い」って、お願いする以外、ぼくに生き延びる方法はなさそうだった。
 だってぼく、腹ペコでどうしようもなかったんだ。
 最後にご飯を食べたのは、ぼくの世界にいたときの昼ご飯だったのだから。
 それで、その仔猫たちに近づいて、覚悟を決めて、一生懸命、
「食べものちょうだ~い!」という仕草をしてみたら、一匹の仔猫が袋から取り出したお菓子を、ぼくの目の前にぽとりと落としてくれた。
 それでぼくはそれを拾うと、必死に食べた。
 少々生臭い、魚のような味だったけれど、でも腹ペコのぼくにとっては、涙が出るほどおいしい食べ物に思えた。
 
 そうやって、猫たちに食べものをもらいながら、その日、ぼくはその公園で生き延びた。
 だけどその翌日から、ほかの類人猿たちも餌を求めて公園に集まり始めて、ぼくはだんだんと居心地が悪くなっていった。
 仔猫がぼくにくれた食べ物を、類人猿たちがうばうようになったのだ。
 それに、類人猿同士でも食べ物をうばい合っていたし、それから類人猿が、その中でも弱そうな一人を寄ってたかっていじめたりもしていた。
 だからぼくは、なかなか食べものにありつけなくなっていったし、類人猿のいじめを見て、いたたまれない気持ちにもなっていた。

   3
 そんなある日。その日、なぜか公園の一角にかごのようなものが置いてあり、その中にはビスケットのような、おいしそうな食べものが入れてあった。
 ぼくは類人猿たちに食べものを奪われて腹ペコだった。
 だからそのかご、そしてその餌が、どういう意味があるのかも深く考えず、ぼくはかごに入り、無心にそのビスケットのような食べものを、がつがつと食べ始めた。
 と、そのとき、がしゃんという音とともにかごの入り口にあったフタが閉まった。
 ぼくはすぐに振り返り、かごの内側からフタを押したが、びくともしなかった。
 どうやらぼくは、捕らえられてしまったのだ!
 しかたがないし、どうしようもないので、ぼくはその夜、そのかごの中で寝た。
 
 翌日、いかにも「公務員」という感じの服を着た、短毛の猫たちが数匹やってきて、かごの外からぼくを見ていた。
 そして彼らは猫語で一言二言話してから、ぼくの入ったかごを抱えあげると、よいしょよいしょと運び、大きな猫車の後ろの、荷台のような場所に乗せた。
 そして猫車はどこかへと走り出した。
 猫車はしばらく猫の街を走った。魚屋やネズミ屋や、いろんな店も見えた。
 だけどそれどころではない。ぼくは一体どこへ連れて行かれるのだろう? と思っていたら、ぼくの乗せられた猫車が着いたのは大きな建物のある場所だった。
 そしてぼくはかごごと猫車から降ろされ、またよいしょよいしょと運ばれ、そしてぼくは、類人猿たちのいる、おりのような場所に入れられた。
 ぼくはそこにいる類人猿たちに襲われるのではないかと、とても心配だったけれど、彼らは、「また新入りが来たか」とでも言いたげな、無関心な表情でぼくを見るだけだった。
 そして、それからぼくはそこで「飼われる」ことになった。
 一日二回、粗末な、それはもうひどい味の「餌」が出され、ぼろぼろの洗面器のような容器に水が入れられ、ぼくはそれを飲むしかなかった。
 しかも他の類人猿たちも汚い口でそれを飲むので、水はどんどん濁っていった。
 ぼくはおりのような場所に入れられたと言ったけれど、そのおりはとても大きくて、細長い形をしていて、格子のようなものでいくつかの部屋に仕切られていた。
 そして公務員猫たちは毎日一回、その格子を一部屋分ずつ動かした。
 すると新しい空き部屋が出来、そこに新しく来た類人猿たちが入れられた。
 それじゃ、毎日新しい部屋が出来るのかと思ったら、そうではなかった。
 格子が進み、部屋が移動し、最後に行き着くところはガス室だったんだ。
 ぼくがそのことを知ったのは、ぼくがガス室に入る二日前。
 ガス室に入った類人猿たちは、毒ガスで殺されるのだ。
 そして死体を公務員猫たちが運び出し、どこかへ持っていく。
 多分、焼却処分されるのだろう。
 それでぼくは、この場所がどういう所なのかを完全に理解した。
 ここは保健所なのだ!

 ぼくらは街をうろついている「野良人間」で、餌を仕掛けたおりで捕獲され、格子で仕切られたおりに入れられ、毎日格子が進み、何日か過ぎたらぼくら「野良人間」は、ここで殺処分されるのだ!

 ぼくが人間の世界にいた頃、お父さんと保健所に行ったことがある。
 そこでは捕獲された犬や猫がおりに入れられ、そのなかで格子が進み、最後にガス室で殺処分される。
 ぼくの家には殺処分寸前にお父さんが引き取って、ぼくの家で飼っている犬や猫が何匹かいる。
 だから今ぼくがいるこの場所がどういう所なのか、いやというほど分かるし、あと二日したらぼくはどうなるのか、それもいやというほど予測できる。
 ぼくはここで殺されるのだ!
 ぼくがいた人間の世界で、保健所に捕獲された野良犬や野良猫のように…

 つまりぼくら類人猿は、この猫の世界、いや、猫の惑星で、街を汚す「野良」とみなされているのだ。
 その夜、それはそれはただでさえおいしくない粗末な「人間フード」だったけれど、いよいよぼくは、それがのどを通らなくなった。
 だけど他の類人猿たちは、与えられたフードをうまそうにがつがつと食べていた。
 彼らは自分たちを待ち受ける運命を知らない。だからあんなにがつがつ食べられる。
 何も知らないって、幸せなんだな…
 そんなことを考えながら、それからぼくは窓から外を、そして空を見た。
 そしたらその空に月があった! きれいな月だ。それは三日月だった。
 それは、ぼくが人間の世界にいた頃に見ていた、あの月だ!
 ぼくはこの猫の世界、猫の惑星に来て、それが宇宙のどこにあるのか、全く見当もつかなかった。
 ぼくの家の近くの公園で、カシの木の根元にあった黒い穴に吸い込まれ、真っ暗な宇宙のような空間の中に浮き、物凄い勢いで不思議なトンネルの中を移動して…
 だからぼくはどこに着いたのか、宇宙の中のどこに着いたのか、まったく見当もつかなかったんだ。
 そして公園にいたときも食べるのに必死で、類人猿たちが襲ってこないか心配で、だから空なんか見ている心の余裕もなかった。
 だけど今、ぼくは多分あと二日で殺される。きっと殺処分されるのだ。
 そう思って覚悟を決めたとき、ぼくに空を見る心の余裕が出来た。
 そして、あの月が見えるのなら、きっとここは地球だ!
 そして、この惑星を猫が支配しているのなら、人類は滅亡して、代わりに猫が地球を支配している。
 だとすればここはきっと…、きっと…、遠い遠い未来の地球のはずだ!
 きっとそれは、猫の惑星…
 そう思ったら、何だかぼくは少し安心した。そう思う自分が不思議だった。
 自分はあさって殺される。だけど、少なくともぼくの生まれ育った地球で死ねる。
 そう思うとなぜかぼくの心は平和になり、そしてその夜、ぼくはぐっすりと眠った。

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