アクアラング細胞 前編
文字数 2,725文字
アクアラング細胞:医学的作品
3回に分けて掲載
以下本文
彼は息苦しさに必死に耐えながら、その美しいコバルトブルーの光がゆらゆらと波打つ様子をぼんやりと眺めていた。
だけどその光も徐々に輝きを失い、いつしか彼の目の前には真っ暗な闇だけが広がり始めた。
彼は意識を失おうとしていたのだ。
その日、彼は恋人と二人で海に来ていた。
だけどそこは遊泳禁止の場所だった。サーフィンの名所だったのだが、そこには強い離岸流があり、泳ぐにはとても危険な場所だったのだ。
実は彼は、泳ぎには自信があった。
だけど皮肉にもそのことが彼に悲劇をもたらす結果となった。
彼は無謀にもその海に入り、そこで泳いでしまったからだ。
そして程なく、その離岸流が彼を飲み込んだ。
離岸流とは「ダシ」とも呼ばれ、水泳選手でもかなわないような猛烈な速さで沖へと向かう潮の流れだ。その流れの中で彼は必死に岸へと泳いだ。
だけどいくら彼が必死で泳いでも、その流れには全く逆らえなかった。
そして彼は岸からどんどん遠ざかり、やがて力尽きた彼はコバルトブルーの波に飲み込まれてしまったのだ。
離岸流から逃れるには、一度岸と平行に泳げばよい。
離岸流の幅は広くても三十メートルほどなので、岸と平行に泳げば、やがてそれから脱出できる。
そしてゆっりと岸へ向かって泳げばよかった。
しかしそんなこと知る由もない彼には、全くなすすべもなかった。
そして遠ざかる意識の中で、彼は考えていた。
(こんなところで泳いだ僕がばかだったんだ。だけど僕はやり残している事がいっぱいある。まだ死にたくない! 神様、僕はまだ死ぬのはいやです。お願いです。どうか僕を助けて! ああ、だけどもうだめだ。やっぱり僕はこのまま死ぬのかな。もう息も苦しくなくなってきた。もう何も見えない。何も聞こえない。一体ここは、どこなんだろう…)
海で若者が溺れたという知らせが警察と海難救助隊に届いた。
サーファー達が知らせてくれたのだ。
もちろん彼らも助けようとしたのだが、離岸流に飲み込まれた彼はサーファーらの目の前で力尽き、あっという間に海に沈んでしまったのだった。
それから恋人が心配そうに岸から見つめる中、船とヘリコプターでの捜索が始まった。
そしてダイバーが海の底に沈んでいた彼を発見したのは六時間後のことだった。
それから彼は船で岸まで運ばれた。
恋人は彼にすがり付き、何度も彼を揺り動かし、何度も彼の名前を呼んだ。
だけどもちろん彼は目を開けることも、まして返事をすることも無かった。
それから彼は心肺蘇生を受けながら、救急車で病院へと運ばれた。
六時間もの間、彼は海の底に沈んでいた…
救急外来でその報告を聞いた担当医は、とてもじゃないが救命は不可能だろうと、最初は思っていた。
だが救急外来に運ばれてきた彼を見て、担当医は奇異に思った。
妙に血色が良いのだ。
何と言うか、いわゆる「重篤感」が全く感じられなかったのだ。
早速担当医は彼の胸に聴診器を当てた。
すると心音がきれいに聴こえてきた。
それから彼の胸には電極が着けられたが、もちろん心電図モニターの波形にも問題はなかった。
ただし彼はほとんど呼吸らしい動作をやっていなかったので、気管内挿管の準備が行われ、同時に血中の酸素濃度測定も行われた。
しかしその数値はそれほど悪くはなかった。
それから気管内挿管が行われ、すると大量の海水が吸引出来た。
それをひとしきり吸引した後、担当医はバッグで人工呼吸を開始した。
そしてしばらくバッグを押し、また海水を吸引する。
そしてバッグで人工呼吸をする。
そういうことを繰り返したのだ。
やがて緊急検査の結果が報告され、それを見た担当医は点滴の内容を指示。
彼の血圧や脈拍は安定していたので、ひとまず人工呼吸器をセットし、それからICUへと運ばれた。
数時間後、彼の意識が戻ったとの報告が担当医の元に届いた。
担当医はICUに駆けつけると、すぐさま気管内チューブを抜いた。
それから程なく、彼は話せるようになった。
もちろん付き添っていた彼の恋人は、涙を流して喜んだ。
しかも翌日には彼はすっかり元気を取り戻し、それからしばらくの間、彼はいろいろな検査を受けた。
しかしほとんどの検査で彼は全く異常を認めなかった。
ただ胸のレントゲン検査で、右の肺の一部に少しだけ影が写っていた。
それは小さなスリガラスのような影だった。
担当医は彼が海水を吸い込んだ際、軽い肺炎を起こしたのだろうと考え、数日間抗生物質を点滴した。
そして数日後、彼の状態はもう完璧と言える程良くなっていた。
それで担当医は彼の退院を決めた。
退院の日。
彼はもう一度、胸のレントゲン検査を受けた。
例のスリガラスのような影が良くなっていることを確認するためだった。
だけど全く良くなっていなかった!
実は彼が救助されて以降、
「六時間、海の底に沈んでいた青年が奇跡的に一命を取り留めた!」
こんな記事が新聞に掲載され、テレビでもニュースでそのことが放送された。
彼は「奇跡の人」として一躍有名になっていたのだ。
そんなこともあり、退院予定の日にはたくさんの新聞記者やカメラマンや花束を持った女性らが病院の玄関に殺到していたのだった。
その空気を読み担当医は、
「まだ肺炎が治っていないので退院は延期です」
などという無粋なことなど、とても言えなかった。
しかも彼は全く元気だったし、咳もしていない。
熱もない。
採血のデータも完璧だった。
だからやっぱり予定通り退院し、薬を持って帰ってもらって、一週間後に外来に来てもらい、もう一度レントゲン検査をやろう。
担当医はそう判断したのだった。
彼の退院後、担当医は彼が六時間も海水中に沈んでいたにもかかわらず、一命を取り留めることが出来たその理由について、いろいろと調べた。
しかしこれについては全く見当も付かなかった。
担当医は彼が再び外来にやって来るであろう一週間以内にそのことを突き止め、彼に説明しようと思っていたのだが。
ところが彼はその一週間後、病院に来なかった。
どうやら「時の人」としてマスコミに引っ張りだこで病院に来る暇もなかったらしい。
それから後も、彼はずっと病院には来なかった。
「最近、少し息苦しいんです」
一年後、彼はひょっこり担当医の元を訪れた。
中篇へ続く
3回に分けて掲載
以下本文
彼は息苦しさに必死に耐えながら、その美しいコバルトブルーの光がゆらゆらと波打つ様子をぼんやりと眺めていた。
だけどその光も徐々に輝きを失い、いつしか彼の目の前には真っ暗な闇だけが広がり始めた。
彼は意識を失おうとしていたのだ。
その日、彼は恋人と二人で海に来ていた。
だけどそこは遊泳禁止の場所だった。サーフィンの名所だったのだが、そこには強い離岸流があり、泳ぐにはとても危険な場所だったのだ。
実は彼は、泳ぎには自信があった。
だけど皮肉にもそのことが彼に悲劇をもたらす結果となった。
彼は無謀にもその海に入り、そこで泳いでしまったからだ。
そして程なく、その離岸流が彼を飲み込んだ。
離岸流とは「ダシ」とも呼ばれ、水泳選手でもかなわないような猛烈な速さで沖へと向かう潮の流れだ。その流れの中で彼は必死に岸へと泳いだ。
だけどいくら彼が必死で泳いでも、その流れには全く逆らえなかった。
そして彼は岸からどんどん遠ざかり、やがて力尽きた彼はコバルトブルーの波に飲み込まれてしまったのだ。
離岸流から逃れるには、一度岸と平行に泳げばよい。
離岸流の幅は広くても三十メートルほどなので、岸と平行に泳げば、やがてそれから脱出できる。
そしてゆっりと岸へ向かって泳げばよかった。
しかしそんなこと知る由もない彼には、全くなすすべもなかった。
そして遠ざかる意識の中で、彼は考えていた。
(こんなところで泳いだ僕がばかだったんだ。だけど僕はやり残している事がいっぱいある。まだ死にたくない! 神様、僕はまだ死ぬのはいやです。お願いです。どうか僕を助けて! ああ、だけどもうだめだ。やっぱり僕はこのまま死ぬのかな。もう息も苦しくなくなってきた。もう何も見えない。何も聞こえない。一体ここは、どこなんだろう…)
海で若者が溺れたという知らせが警察と海難救助隊に届いた。
サーファー達が知らせてくれたのだ。
もちろん彼らも助けようとしたのだが、離岸流に飲み込まれた彼はサーファーらの目の前で力尽き、あっという間に海に沈んでしまったのだった。
それから恋人が心配そうに岸から見つめる中、船とヘリコプターでの捜索が始まった。
そしてダイバーが海の底に沈んでいた彼を発見したのは六時間後のことだった。
それから彼は船で岸まで運ばれた。
恋人は彼にすがり付き、何度も彼を揺り動かし、何度も彼の名前を呼んだ。
だけどもちろん彼は目を開けることも、まして返事をすることも無かった。
それから彼は心肺蘇生を受けながら、救急車で病院へと運ばれた。
六時間もの間、彼は海の底に沈んでいた…
救急外来でその報告を聞いた担当医は、とてもじゃないが救命は不可能だろうと、最初は思っていた。
だが救急外来に運ばれてきた彼を見て、担当医は奇異に思った。
妙に血色が良いのだ。
何と言うか、いわゆる「重篤感」が全く感じられなかったのだ。
早速担当医は彼の胸に聴診器を当てた。
すると心音がきれいに聴こえてきた。
それから彼の胸には電極が着けられたが、もちろん心電図モニターの波形にも問題はなかった。
ただし彼はほとんど呼吸らしい動作をやっていなかったので、気管内挿管の準備が行われ、同時に血中の酸素濃度測定も行われた。
しかしその数値はそれほど悪くはなかった。
それから気管内挿管が行われ、すると大量の海水が吸引出来た。
それをひとしきり吸引した後、担当医はバッグで人工呼吸を開始した。
そしてしばらくバッグを押し、また海水を吸引する。
そしてバッグで人工呼吸をする。
そういうことを繰り返したのだ。
やがて緊急検査の結果が報告され、それを見た担当医は点滴の内容を指示。
彼の血圧や脈拍は安定していたので、ひとまず人工呼吸器をセットし、それからICUへと運ばれた。
数時間後、彼の意識が戻ったとの報告が担当医の元に届いた。
担当医はICUに駆けつけると、すぐさま気管内チューブを抜いた。
それから程なく、彼は話せるようになった。
もちろん付き添っていた彼の恋人は、涙を流して喜んだ。
しかも翌日には彼はすっかり元気を取り戻し、それからしばらくの間、彼はいろいろな検査を受けた。
しかしほとんどの検査で彼は全く異常を認めなかった。
ただ胸のレントゲン検査で、右の肺の一部に少しだけ影が写っていた。
それは小さなスリガラスのような影だった。
担当医は彼が海水を吸い込んだ際、軽い肺炎を起こしたのだろうと考え、数日間抗生物質を点滴した。
そして数日後、彼の状態はもう完璧と言える程良くなっていた。
それで担当医は彼の退院を決めた。
退院の日。
彼はもう一度、胸のレントゲン検査を受けた。
例のスリガラスのような影が良くなっていることを確認するためだった。
だけど全く良くなっていなかった!
実は彼が救助されて以降、
「六時間、海の底に沈んでいた青年が奇跡的に一命を取り留めた!」
こんな記事が新聞に掲載され、テレビでもニュースでそのことが放送された。
彼は「奇跡の人」として一躍有名になっていたのだ。
そんなこともあり、退院予定の日にはたくさんの新聞記者やカメラマンや花束を持った女性らが病院の玄関に殺到していたのだった。
その空気を読み担当医は、
「まだ肺炎が治っていないので退院は延期です」
などという無粋なことなど、とても言えなかった。
しかも彼は全く元気だったし、咳もしていない。
熱もない。
採血のデータも完璧だった。
だからやっぱり予定通り退院し、薬を持って帰ってもらって、一週間後に外来に来てもらい、もう一度レントゲン検査をやろう。
担当医はそう判断したのだった。
彼の退院後、担当医は彼が六時間も海水中に沈んでいたにもかかわらず、一命を取り留めることが出来たその理由について、いろいろと調べた。
しかしこれについては全く見当も付かなかった。
担当医は彼が再び外来にやって来るであろう一週間以内にそのことを突き止め、彼に説明しようと思っていたのだが。
ところが彼はその一週間後、病院に来なかった。
どうやら「時の人」としてマスコミに引っ張りだこで病院に来る暇もなかったらしい。
それから後も、彼はずっと病院には来なかった。
「最近、少し息苦しいんです」
一年後、彼はひょっこり担当医の元を訪れた。
中篇へ続く