金縛りと巻き戻し1

文字数 2,613文字

 作品概要~野球小説 タイムマシンと魔法使いの勝負!
 4話に分けて掲載
 以下本文


 その日のゲームを終え、彼は球場の駐車場へと、とぼとぼと歩いた。野球の道具の入ったバッグが肩にずしりと重かった。

 彼は駐車場に着くと愛車のトランクを開け、そのバッグを中に入れた。
 プロ野球選手だからベンツ?  いやいや、彼の車は長年愛用のカローラレビンだ。彼の年棒からすると、この辺が妥当なところだ。

 ところでその車、なぜかきれいな若草色に塗装してあった。だからここではその車の事を「草レビン」と呼ぶことにしよう。

 で、彼はその草レビンのトランクをパタンと閉めると運転席の方へ歩き、ドアにキーを差し込んだ。

 と、そのとき、彼は人の気配を感じ顔を上げた。
 彼の目の前に立っていたのは、中年の風変わりな学者風の男だった。
 くたびれたグレーのズボンを履き、よれよれのカッターシャツを着ていた。

 男はこう切り出した。
「あの…、もしかして、チャンスに強いバッティングが出来るようになりたいのじゃ、ありませんか?」
 自分の心を見抜かれているようなその男の言葉に、彼は少し動揺した。


 彼は入団四年目の内野手だ。いや、内野手というよりは「代打男」だ。彼は昔から打撃センス抜群の選手だった。
 ただ、守備は御世辞にもうまいとは言えなかった。
 だから彼がプロでやっていくには、打撃を活かす以外方法はなかった。

 実際、彼は時々代打で出場し、そこそこの成績を残していた。
 ただし、あくまでも「そこそこ」だった。

 というのは、彼は代打として最も大切な、ある物を持っていなかったからである。
 すなわち彼ははっきり言って、「ここ一番」に弱かったのである。

 この日の試合、彼は九回の裏ツーアウト満塁の大事な場面に代打で登場していた。
 監督の采配ミスで代打の切り札を使い果たし、もう代打は彼しかいなかったのだ。

 まあ言ってみれば、彼もチームではそのくらいの存在でしかなかったわけだ。まあそれはよい。

 だけど、ここで一発、いや、一本出れば、得点差はわずか一点だったわけだし、サヨナラヒットでお立ち台だったはずだ。

 しかし彼は、その打席で左投手の投げた外角低めに外れるチェンジアップに手を出し、見事に空振り三振を喫していたのである。

 実はその打席、たった一球だが打てるボールが来ていた。
 カウント1~1からの三球目だ。
 ピッチャーは彼の膝元にまっすぐを投げようとしたのだが、それが少し抜けて、ド真中の棒玉となっていたのだ。それははっきり言って絶好球だった。

 投げた瞬間、ピッチャーの顔が硬直しているのが、彼にも分かった。
 ピッチャーはその後に起こるであろう悪夢のような出来事、すなわち打球が野手の間を抜け、サヨナラヒットとなる。球場は歓声に沸く。劇的なサヨナラのシーン…ピッチャーはそれを思い浮かべ、またそうなることを覚悟していたのである。

 そして彼はと言うと、もちろんその瞬間、「しめた!」と思った。
 彼の脳裏には、お立ち台にいる自分の姿が思い浮かんでいたはずだ。

 だけど前にも言ったように、彼はどちらかというと「ここ一番」に弱かったのである。
 とにかくその瞬間、彼は見事に金縛りに会い、したがって、彼にとってはよだれの出るようなその絶好球を呆然と見送ってしまったのだ。
 そして最後に、例のチェンジアップで空振り三振だ。

 もしかすると、あの絶好球を見送ったあの瞬間、そのピッチャーが彼に「金縛りの魔法」を掛けたのかも知れない…

(そんなわけないか)


 それで、そのつい今しがた、彼に話し掛けた中年の風変わりな学者風の男は、くたびれたグレーのズボンを履き、よれよれのカッターシャツを着ていた。
 その男は話を続けた。

「あの三球目が全てでしたよね。あれを打っていればねえ…」

 だけど彼は、ややむっとした表情で答えた。
「そんなこと、他人のあなたには関係のないことでしょう!」

 しかし、男は食い下がった。
「あの三球目、打ちたかったんじゃないの?」

 痛いところを突かれ、彼はやや態度を軟化させた。
「…そりゃそうですけど」
「だったら、今度からは打てば良い」
「そんなこと分かり切っていますよ。それが出来ないから悩んでるのでしょう?」
「いや、あなたはもうその悩みからは、完全に解放されます」
「どうして?」
「どうしてでもです」
「何かうまい話でもあるんですか」
「そうです。ばっちりその『うまい話』です」
「何ですか、それは」
「まあ、立ち話もなんです。もしよろしければ御一緒に…」

 男は自分の車のほうへ歩こうとしたが、と言って彼の草レビンをこのまま球場の駐車場に置いておくわけにもいかず、(駐車場の管理人のおじちゃんに叱られるからだ。決して草レビンがイナゴの集団に襲われるからではない)ひとまず彼は草レビンを運転して自分のアパートへと向かい、その後を男の車が続いた。

 ちなみに、男の車は彼の草レビンよりは若干新しいものの、やはりなぜかカローラレビンだった。
 色は白に少しピンクと銀色が混ざったような不思議なものだった。
 何だかイカのような色だ。
 だから、ここではその車を「イカレビン」と呼ぶことにしよう。

 で、草レビンの後をイカレビンが続いたわけだ。
 しばらく走ると草レビンは彼のアパートに着いた。
 彼はアパートの駐車場にそれを置くと、今度は男のイカレビンの助手席に座った。

 二人を乗せた車は夜の町をイカのように走った。
 しばらくすると車は海岸通りに出た。遠くにイカ釣り漁船の明かりが見えた。
 男は自分の車がその光におびき寄せられないよう注意しながら、運転しているようだった。

 それから彼は自分の草レビンには無くて、男のイカレビンにはしっかりと付いていたパワーウインドーのスイッチを若干の劣等感とともに、ちょっとだけ押した。

 すると少し開いた助手席の窓から、心地よい浜風が入って来た。
 それで彼は先程まで彼の頭の中を支配していた、あのくさくさとした気分が、その浜風とともに吹き飛ばされて行くような気がした。

 イカレビンはその海岸通りをしばらく走ると、隣町の中心部の、とあるうらぶれた雑居ビルに到着した。

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