コントロールコントローラー1

文字数 2,682文字

 作品概要 投手のコントロールが良くなるという触れ込みの機械。はたして・・・
 全3話に分けて連載
 以下、本文


 試合の後彼は、行き付けの飲み屋のいつものカウンターにいた。
 この日彼は三点リードの九回表ツーアウトランナーなしの場面で登板し、ストレートのフォアボールを三つ出したところで、ピッチングコーチにボールを取り上げられていた。
 ちなみに彼の後は、一発病を持病に持つ某投手が、華々しく締めくくっていた。

 彼はうなだれて一塁側ベンチに下がるとグラブをいすに叩き付け、つぎに壁にある扇風機を叩き壊し、それからベンチ裏へ消えるや、そこのごみ箱をぼこぼこにし、次に何を壊そうかと思案しているところを他の選手たちに取り押さえられ、ピッチングコーチに、

「こんなときはガムでも噛みなはれ」

と、なだめられ、親会社のペンギンの絵の書いてある、やたらスースーするガムを大量に口の中に押し込まれ、しかし、これを噛んでいると口の中が南極のように涼しくなり、同時に頭も少し冷やされてきたのか、少し気が収まったようで、それで彼はロッカーで着替え、潮風を受けながら球場を後にしたのだった。


 行き付けの飲み屋のカウンターで、彼はいつもの水割りを一口、口に含んだ。
 いつものように一人静かに、憂うつな気分に浸りたかったのだ。

 ところが彼の口の中にはメンソールの効きまくった大量のペンギンガムの余韻が残り、やたらとスースーするだけで、ウイスキーの味などほとんど解らなかった。
 とにかく! とても飲めたものじゃなかったのだ。


「ちくしょう歯江鳥の奴め、ガムなんか食わせやがって。それもいっぺんに十二枚もだ!」

 歯江鳥コーチとは彼の口に大量のペンギンガムを押しこんだ、その人だ。
 ともあれ彼は仕方なく大好きな水割りを傍らに置き、つまみのキャベツばかりをかじってた。
 で、ともあれ彼は憂うつだった。


 彼は三年前に社会人の名門チーム「プリンペランホテル」から、ドラフト一位で即戦力としてジャガーズに入団していた本格派右腕だ。
 ところがここへ来て、彼はコントロールに悩んでいたのである。


 もともと彼は、コントロールがあまり良い方ではなかった。
 それでもまあ「試合になる」程度のコントロールは十分にあった。
 ところが入団二年目の夏、歯江鳥コーチに、

「もう少しコントロールがよくなれば、来年も、ジャガーズで雇ってもらえるかも知れないぜ♪」
なんて、へらへら笑いながら言われたものだから、その頃からコントロールを意識するようになったのだった。

 まあ、コントロールを意識して、それが良くなるのなら良いのだが、実は彼の場合、不幸にしてコントロールがおかしくなってしまったのである。
 まあ、歯江鳥が彼にいらぬプレッシャーをかけたのがいけないのだが…

 とにかくだ。
 普通何も考えずに、目標に向かって「エイヤッ」とボールを投げれば案外思ったところにボールは行くものなのだ。
(嘘だと思ったらあなたも実際にやってみると良い)

 ところがコントロールを意識しすぎると、なんだかロボットのようなぎこちないフォームになってしまい、球は走らないわ、ボールはとんでもないところへ行くわ、「もう最悪!」の状態になってしまうのだ。
 彼はまさにそこへはまっていたのである。

「なんとかならねえのかあな。俺のコントロール…」

 彼は憂うつだった。
 で、それから彼は、テーブルの片隅にある先ほどまで彼が噛んでいた巨大なガムの噛みかすに、針ねずみのように無数の爪楊枝を刺しながら、物思いにふけっていた。
 彼は憂うつだった。

「なんとかならねえのかあな。俺のコントロール…」


 そのときだ。
 この夜の対戦相手の、大阪の猛打を誇るの某チームの応援団長が、山猫のような顔をして彼に話しかけてきたのだ。

「そないなときは、ガムを噛みながら投げるとええおまっせ。うちの前山なんか、前はノーコン言われとったけどな。ガム噛むようになってから、えらいコントロール良うなりおったで。だいたいガムを噛むとでんな、気ぃが静まるんですわ」
「やかましい! 俺はガムが大嫌いなんだ!」
 彼は感情的になってそう言った。

「さよか。ほったらあかんわ。そらあきらめなしゃあないわな」

 そう言うと応援団長は、すごすごと店を出ていった。

「やっぱり、なんとかならへんのやろか、俺のコントロール…」
 彼は憂うつだった。
(畜生、あの山猫野郎のしゃべり方がうつったじゃあねえか。ばかやろう!)
 彼は舌打ちした。
 ともあれ彼は憂うつだったのだ。


 そのときだ。今度は別の、やや色の浅黒い小柄な紳士が、彼に声を掛けてきたのだ。
「そんなことはないですよ。実は耳寄りな話があるのです。まあ、ここでは何ですので、ちょっと、よろしいですか?」
「ちょっとよろしいですかって、あなた、一体僕に何の用ですか?」
「まあいいじゃないですか。耳寄りな話ですよ。へへへ」

 ともあれそれで、彼はとりあえず、その男の話を聞くことにした。
 今のところ、彼のコントロールが良くなる見込みはまったくなかったし、その「耳寄りの話」で良くなるんだったら、それこそもうけもんだ。


 で、彼はその男に案内され、近くの駐輪場へと向かった。
 駐車場ではない。
 駐輪場だ。

 その駐輪場に止めてあった男の車は高級車!というにはやや小さかった。
 そもそも「車」ということ自体に、大いに語弊があった。
 まあ、はっきり言ってしまうとそれはホンダの九〇CCのスーパーカブだったのだ。


 それからカブ号は二人を乗せ、夜の街を走っていた。
 さすがは九〇CCのスーパーカブだ。
 加速は原付きのカブ号とは比べものにならない。


 そしてスーパーカブは夜の海岸通りを走った。
 遠くにイカ釣り船の明かりが見えていたのだが、二人ともそれには気が付かなかった。

 それはともかく、夜風が心地よかった。
 彼は先程まで彼の頭の中を支配していた、あの、もやもやとした嫌な気分が、その夜風とともに吹き飛ばされて行くような感じがしていた。

 それからドカヘルをかぶらされた彼は、唇に力を込め、口が開かないように注意した。
 口が開くとその口の中に風が入り、スースーするからだ。

 スースー、じゃない、スーパーカブはその海岸通りをしばらく走ると、隣町の中心部の、とあるうらぶれた雑居ビルに到着した。

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