雪国
文字数 3,552文字
大晦日の夜。
ぼくはお父さんといっしょに凧を作った。
昼間のうちに竹を切ってきて、細長い骨にして、たてよこななめに組み合わせて糸で結ぶ。
出来上がった骨組みに紙をはり、糸目の中心を考えて糸を付け、新聞紙を細長く切ってしっぽにすれば出来上がり。
明日はお正月。小学校の運動場で飛ばそう…
除夜の鐘を聞くころに、ぼくは眠くなり布団に入り、凧揚げのことを考えていたら、いつのまにか寝ていた。
お正月の朝。
ぼくらは凧を持って小学校の運動場。
西から風がぴゅーぴゅー。
運動場に落ちていた、枯れた葉っぱが何枚か、かさかさと地面をすべっていく。
お父さんが凧を持って、ぼくの東側へ行き、ぼくは背中に風を受け、そしてお父さんが凧を離すと、すーっと舞い上がった。
どんどん高くなった。
ぼくは糸を伸ばし、それで凧はどんだん遠くへ、そしてだんだん高くなった。
けっこう大きな凧を作ったつもりだったけど、青空の中であんなに小さくなった。
右に左に、ゆらゆらと、ひらひらとゆれていた。
もう大空で、一人前の空飛ぶ凧になった。
そしたら突然の大風。
ぼくの後ろから吹いた。
ぴゅーぴゅーじゃない。ごーごーの大風。
それで凧はどんどん高くなり、そして遠くへ行こうとした。
お父さんはとても丈夫なたこ糸を用意してくれていたから、凧は大風にバタバタとあおられながらも、糸は切れなかった。
だけどものすごい力で、凧がぼくを引っ張り始めた。
ぼくは必死で糸を持ち、だけど凧が糸を引き、その糸がぼくを引いた。
ぼくは運動場の地面でふんばったけれど、凧が引く力がすごくて、だからぼくは地面で引きずられた。
そしてすぐに、ぼくはふんばれなくなった。
ぼくの足が地面から離れたからだ。
そしてぼくは浮かび上がった。
それから足をばたばたさせた。だけどぼくはお父さんより少し高いところまで浮かび、凧に引かれ東へと進み始め、お父さんの少し上を通過し、お父さんは手を伸ばし、ぼくの足をつかもうとしたけれどそれが出来なくて、だからぼくはだんだん高く登りながら、どんどん東へと進んでいった。
進んでいった、というか、飛ばされていったんだ。
ぼくがばたばたさせている自分の足を見ると、そこにはもう小学校はなく、中学校。
だけど中学校も通り過ぎると街が見え、道路が見え、歩く人も車ももう、おもちゃみたいに小さくなった。
そして街を通り過ぎると松林で、それを過ぎると海。
それからぼくは顔を上げ、糸、それから凧を見ると、風にバタつきながら順調に飛び続け、この凧のやつ、一体全体どこまで飛ぶつもりだ、なんて思っていたら、遠くに一つのこんもりとした雲が見えてきた。
それからも凧は飛び続けた。
その雲に向かっているのかなと思ったら、それより高く飛んだ。そして雲を飛び越えようとしていた。
ぼくはと言うと、糸に引っ張られているから凧より低く飛び、だからちょうど雲の高さ…、と思ったらずぼっと雲に入り、辺りが真っ白になり、そして突然糸が切れたみたいで、それからぼくはまっ逆さまに?
いや、ぼくはそれから少し落ちて、そしてどしゃんと背中から、とにかくどこかへ落ちた。だけどあまり痛くはなかった。
ぼくはどうやら柔らかい物の上に落ちたみたい。
そこは雪国だった。
ぼくは積もった雪の上に背中から落ちたんだ。
それからぼくが耳を澄ますと、子どもたちも遊ぶ声が聞こえてきた。
それでぼくは立ち上がり、その声の方へ少し歩くと、子どもたちが雪合戦をしていた。
ぼくは南国育ちなので、雪合戦なんてやったことない。
でも他の子供達の様子を見て、ぼくはすぐにやり方がわかった。とにかく雪をつかんでぎゅっと固めたらいい。
おにぎりみたいに。
その雪で出来たおにぎりを、それからぼくは、作っては投げ作っては投げ。
だけどときどき、ぼくの方へも飛んでくるから、そのときはドッジボールみたいに、ひらりと身をかわすんだ。
それからかまくらが見えた。
しばらく雪合戦して遊んで、そしたら向こうに、いくつかのかまくらが出来ていたんだ。
白くて丸いかまくら。
丸い小さな入口があって。
それからぼくがあたりを見渡すと、雪合戦は終わったみたい。そしてみんな、かまくらの中にいた。
それでぼくも歩いて、その一つに入った。
中は暖かかった。
たき火があって、それを囲んで何人かの子がいて、そのたき火にはお雑煮が乗っかっていた。
ぐつぐつぐつぐつ。
湯気が上がっていた。
おいしそうな匂い。ゆずのかおり。
それから女の人が、みんなにお雑煮をついでくれた。
ぼくにもついでくれて、それからぼくはふーふーふーふー。
かもぼこしいたけ。
こまつなうずらのたまご。
とりもも肉におふに三つ葉。
そしてゆずのかおり。
それからもぼくはふーふーふーふー、そしてもぐもぐ。
みんなもふーふーもぐもぐ。
ゆずのかおりがきいて、とてもおいしい。
みんなもとてもおいしそう。
だけどその女の人は、なんだかさみしそう。
ぼくらにお雑煮をついでくれた人。
なんだかさみしそうに、そしてぼくをじっと見ている。
ぼくだけをじっと見ている。
どうしてだろう?
ぼくは見たことのない、その女の人。
でもその人はぼくを見ながら、とうとう泣きはじめた。
どうしたの?
ぼくがそう声をかけようとしたそのとき、とつぜんかまくらの地面が消え、いや、かまくらも、みんなも、そして女の人も消えて、そしてはるかかなたに地面が見えた。
ぼくはとつぜん無重力になった。でも無重力といっても、ふわふわ宇宙遊泳しているわけではない。
ぼくは落ちていたんだ。
だって、もともとそこは雲の上だったし。
それからもぼくはどんどん落ちていった。
ぼく、どうなるのだろう?
地面に落ちたら死んじゃうの?
どんどん落ちながら、足の方からびゅーびゅー風がふいてきた。
すごいスピード。
ぼくは足をばたばたさせた。
やっぱりぼく、落ちているんだ。
それも雲の上から、すごい勢いで…
だけどとつぜん、ゆずのかおり。
そうなんだ。それからなぜか、ゆずのかおりがしてきたんだ。
もしかして、さっき食べてたお雑煮もいっしょに落ちているのかな、と思ったらぼくは目がさめた。
目がさめても、やっぱりゆずのかおり。
ぼくがふとんの中からのぞきこむと、お父さんが台所でなにやら料理していた。
ゆずのかおりがした。そしてお雑煮のにおい。
それでぼくはおどろいて、ふとんから出て、お父さんのところへ行った。
「お雑煮作ってたの?」
「そうだよ。お母さんの作っていた、ゆずのかおりのお雑煮なんだ」
「お母さんが?」
「前にも話しただろう? お前のお母さんは…」
「うん。ぼくを生んだとき、死んじゃった?」
「大変な難産だったんだ」
「なんざん?」
「お前を生むのが、とても大変だったんだ」
「そんなこと言ってたね」
「お前が生まれて、とてもうれしかったけど、だけどお母さんが死んでしまってね」
「うん…」
「それで…、いつもお正月に、お母さんはお雑煮を作って、ゆずのかおりのね」
「そうなんだ」
「それでね。お母さんがお前を生むす少し前に、お母さんに、そのお雑煮の作り方を訊いていたんだ。レシピだってちゃんと作ったんだ」
「すごいじゃん」
「だけどお母さんが死んでしまって、だからとても辛くて…、だからそのお雑煮は作れなかった。お父さん、ずっと作れなかった」
「そうだよね。とてもつらいよね」
「だけどね。お前が小学校へ入って、だから長い年月が過ぎて、そしてだんだんと、お父さんの心の整理がついて、そしたら無性にあのお雑煮が食べたくなったんだ」
「むしょうに?」
「だから今朝、思い切って作ってみた。そっくりに出来たと思うぞ。ばっちりレシピどおり」
「レシピどおり?」
「そうだ。だからお母さんが作っていた、あの柚乃香のお雑煮だ」
それからぼくはお父さんといっしょに、そのお雑煮を食べた。
とても美味しかった。
ふーふーふーふーもぐもぐもぐもぐ。
それはあのかまくらの中で食べたお雑煮と全く同じだった。
それからぼくは、お父さんと、大晦日に作った凧を飛ばしに小学校の運動場へ行った。
西風が吹き、たこは順調に飛んだ。
もちろんぼくは飛ばされなかった。
そして凧はお正月の空に舞い、それから遠くの東の空に、あの雲が見えた。
あの雲の中で雪合戦をして、かまくらに入って、お雑煮を食べて。
だとしたら、ぼくにお雑煮をついてくれたあの女の人は…
だとしたらあの泣いていたあの女の人は、もしかして、もしかして、ぼくがまだ見たことのない、ぼくのお母さん?
お正月の朝に、お父さんがお雑煮作るのを、空から手伝ってくれてたのかな?
きっとそうだ!
ぼくはお父さんといっしょに凧を作った。
昼間のうちに竹を切ってきて、細長い骨にして、たてよこななめに組み合わせて糸で結ぶ。
出来上がった骨組みに紙をはり、糸目の中心を考えて糸を付け、新聞紙を細長く切ってしっぽにすれば出来上がり。
明日はお正月。小学校の運動場で飛ばそう…
除夜の鐘を聞くころに、ぼくは眠くなり布団に入り、凧揚げのことを考えていたら、いつのまにか寝ていた。
お正月の朝。
ぼくらは凧を持って小学校の運動場。
西から風がぴゅーぴゅー。
運動場に落ちていた、枯れた葉っぱが何枚か、かさかさと地面をすべっていく。
お父さんが凧を持って、ぼくの東側へ行き、ぼくは背中に風を受け、そしてお父さんが凧を離すと、すーっと舞い上がった。
どんどん高くなった。
ぼくは糸を伸ばし、それで凧はどんだん遠くへ、そしてだんだん高くなった。
けっこう大きな凧を作ったつもりだったけど、青空の中であんなに小さくなった。
右に左に、ゆらゆらと、ひらひらとゆれていた。
もう大空で、一人前の空飛ぶ凧になった。
そしたら突然の大風。
ぼくの後ろから吹いた。
ぴゅーぴゅーじゃない。ごーごーの大風。
それで凧はどんどん高くなり、そして遠くへ行こうとした。
お父さんはとても丈夫なたこ糸を用意してくれていたから、凧は大風にバタバタとあおられながらも、糸は切れなかった。
だけどものすごい力で、凧がぼくを引っ張り始めた。
ぼくは必死で糸を持ち、だけど凧が糸を引き、その糸がぼくを引いた。
ぼくは運動場の地面でふんばったけれど、凧が引く力がすごくて、だからぼくは地面で引きずられた。
そしてすぐに、ぼくはふんばれなくなった。
ぼくの足が地面から離れたからだ。
そしてぼくは浮かび上がった。
それから足をばたばたさせた。だけどぼくはお父さんより少し高いところまで浮かび、凧に引かれ東へと進み始め、お父さんの少し上を通過し、お父さんは手を伸ばし、ぼくの足をつかもうとしたけれどそれが出来なくて、だからぼくはだんだん高く登りながら、どんどん東へと進んでいった。
進んでいった、というか、飛ばされていったんだ。
ぼくがばたばたさせている自分の足を見ると、そこにはもう小学校はなく、中学校。
だけど中学校も通り過ぎると街が見え、道路が見え、歩く人も車ももう、おもちゃみたいに小さくなった。
そして街を通り過ぎると松林で、それを過ぎると海。
それからぼくは顔を上げ、糸、それから凧を見ると、風にバタつきながら順調に飛び続け、この凧のやつ、一体全体どこまで飛ぶつもりだ、なんて思っていたら、遠くに一つのこんもりとした雲が見えてきた。
それからも凧は飛び続けた。
その雲に向かっているのかなと思ったら、それより高く飛んだ。そして雲を飛び越えようとしていた。
ぼくはと言うと、糸に引っ張られているから凧より低く飛び、だからちょうど雲の高さ…、と思ったらずぼっと雲に入り、辺りが真っ白になり、そして突然糸が切れたみたいで、それからぼくはまっ逆さまに?
いや、ぼくはそれから少し落ちて、そしてどしゃんと背中から、とにかくどこかへ落ちた。だけどあまり痛くはなかった。
ぼくはどうやら柔らかい物の上に落ちたみたい。
そこは雪国だった。
ぼくは積もった雪の上に背中から落ちたんだ。
それからぼくが耳を澄ますと、子どもたちも遊ぶ声が聞こえてきた。
それでぼくは立ち上がり、その声の方へ少し歩くと、子どもたちが雪合戦をしていた。
ぼくは南国育ちなので、雪合戦なんてやったことない。
でも他の子供達の様子を見て、ぼくはすぐにやり方がわかった。とにかく雪をつかんでぎゅっと固めたらいい。
おにぎりみたいに。
その雪で出来たおにぎりを、それからぼくは、作っては投げ作っては投げ。
だけどときどき、ぼくの方へも飛んでくるから、そのときはドッジボールみたいに、ひらりと身をかわすんだ。
それからかまくらが見えた。
しばらく雪合戦して遊んで、そしたら向こうに、いくつかのかまくらが出来ていたんだ。
白くて丸いかまくら。
丸い小さな入口があって。
それからぼくがあたりを見渡すと、雪合戦は終わったみたい。そしてみんな、かまくらの中にいた。
それでぼくも歩いて、その一つに入った。
中は暖かかった。
たき火があって、それを囲んで何人かの子がいて、そのたき火にはお雑煮が乗っかっていた。
ぐつぐつぐつぐつ。
湯気が上がっていた。
おいしそうな匂い。ゆずのかおり。
それから女の人が、みんなにお雑煮をついでくれた。
ぼくにもついでくれて、それからぼくはふーふーふーふー。
かもぼこしいたけ。
こまつなうずらのたまご。
とりもも肉におふに三つ葉。
そしてゆずのかおり。
それからもぼくはふーふーふーふー、そしてもぐもぐ。
みんなもふーふーもぐもぐ。
ゆずのかおりがきいて、とてもおいしい。
みんなもとてもおいしそう。
だけどその女の人は、なんだかさみしそう。
ぼくらにお雑煮をついでくれた人。
なんだかさみしそうに、そしてぼくをじっと見ている。
ぼくだけをじっと見ている。
どうしてだろう?
ぼくは見たことのない、その女の人。
でもその人はぼくを見ながら、とうとう泣きはじめた。
どうしたの?
ぼくがそう声をかけようとしたそのとき、とつぜんかまくらの地面が消え、いや、かまくらも、みんなも、そして女の人も消えて、そしてはるかかなたに地面が見えた。
ぼくはとつぜん無重力になった。でも無重力といっても、ふわふわ宇宙遊泳しているわけではない。
ぼくは落ちていたんだ。
だって、もともとそこは雲の上だったし。
それからもぼくはどんどん落ちていった。
ぼく、どうなるのだろう?
地面に落ちたら死んじゃうの?
どんどん落ちながら、足の方からびゅーびゅー風がふいてきた。
すごいスピード。
ぼくは足をばたばたさせた。
やっぱりぼく、落ちているんだ。
それも雲の上から、すごい勢いで…
だけどとつぜん、ゆずのかおり。
そうなんだ。それからなぜか、ゆずのかおりがしてきたんだ。
もしかして、さっき食べてたお雑煮もいっしょに落ちているのかな、と思ったらぼくは目がさめた。
目がさめても、やっぱりゆずのかおり。
ぼくがふとんの中からのぞきこむと、お父さんが台所でなにやら料理していた。
ゆずのかおりがした。そしてお雑煮のにおい。
それでぼくはおどろいて、ふとんから出て、お父さんのところへ行った。
「お雑煮作ってたの?」
「そうだよ。お母さんの作っていた、ゆずのかおりのお雑煮なんだ」
「お母さんが?」
「前にも話しただろう? お前のお母さんは…」
「うん。ぼくを生んだとき、死んじゃった?」
「大変な難産だったんだ」
「なんざん?」
「お前を生むのが、とても大変だったんだ」
「そんなこと言ってたね」
「お前が生まれて、とてもうれしかったけど、だけどお母さんが死んでしまってね」
「うん…」
「それで…、いつもお正月に、お母さんはお雑煮を作って、ゆずのかおりのね」
「そうなんだ」
「それでね。お母さんがお前を生むす少し前に、お母さんに、そのお雑煮の作り方を訊いていたんだ。レシピだってちゃんと作ったんだ」
「すごいじゃん」
「だけどお母さんが死んでしまって、だからとても辛くて…、だからそのお雑煮は作れなかった。お父さん、ずっと作れなかった」
「そうだよね。とてもつらいよね」
「だけどね。お前が小学校へ入って、だから長い年月が過ぎて、そしてだんだんと、お父さんの心の整理がついて、そしたら無性にあのお雑煮が食べたくなったんだ」
「むしょうに?」
「だから今朝、思い切って作ってみた。そっくりに出来たと思うぞ。ばっちりレシピどおり」
「レシピどおり?」
「そうだ。だからお母さんが作っていた、あの柚乃香のお雑煮だ」
それからぼくはお父さんといっしょに、そのお雑煮を食べた。
とても美味しかった。
ふーふーふーふーもぐもぐもぐもぐ。
それはあのかまくらの中で食べたお雑煮と全く同じだった。
それからぼくは、お父さんと、大晦日に作った凧を飛ばしに小学校の運動場へ行った。
西風が吹き、たこは順調に飛んだ。
もちろんぼくは飛ばされなかった。
そして凧はお正月の空に舞い、それから遠くの東の空に、あの雲が見えた。
あの雲の中で雪合戦をして、かまくらに入って、お雑煮を食べて。
だとしたら、ぼくにお雑煮をついてくれたあの女の人は…
だとしたらあの泣いていたあの女の人は、もしかして、もしかして、ぼくがまだ見たことのない、ぼくのお母さん?
お正月の朝に、お父さんがお雑煮作るのを、空から手伝ってくれてたのかな?
きっとそうだ!