時の止まったあの日 後編

文字数 5,352文字

前半から続く

 驚いた僕が振り返ると、そこにはいかにも「天才科学者」、というか、博士という感じのおじさんが立っていた。白衣を着て白髪で、少しはげていて、そして優しい目をしていた。
「…君はどうしてそこに、そうしているのかね?」
 それで僕は電車を降りてから、これまでのいきさつを全て、その博士に話した。
「そうか…、つまり君は私の作った時の制御装置から除外されたんだね」
「時の制御装置? それに除外ですか?」
「時の流れる速さは制御出来るんだ。ただし、多分君は除外されているから、私と同じ時の中にいるんだ」
「同じ時の中に?」
「まあいい。こんな世界で君も随分と不自由しただろう。ともかく、私の研究所へおいで。それとも、こんなのんびりした野球をずっと見ているつもりかい?」
 
 それで僕は博士と一緒に、すぐ近くにあった、その研究所へと向かった。それは外から見ると、高い塀のある、ただの豪邸という感じだった。だけど建物の中に入ると、変電所みたいな大がかりな設備があった。
 そして沢山の部屋があり、多くの部屋には機械が沢山あって低くうなりを上げ、そのうちの一つは応接室みたいな場所で、テーブルとソファーがあった。
 それからその部屋に入り、僕らは話を続けた。

「ここにある建物全体が時の制御装置なんだ」
「凄い施設ですね。だけどなぜ、時を制御しているのですか?」
「もうすぐ巨大地震が起るんだ」
「巨大地震?」
「今からあと6秒後に起る」
「6秒後?」
「といっても、僕らの時の流れでは、あと6時間後だ」
「やっぱり1秒が1時間だったのですね!」
「どうしてそれが分かったんだい?」
「あそこで野球を見てて、それでピッチャーの投げるボールの回転速度が…」
「ああ、分かった。ピッチャーの投げる球の回転数から、時の流れる速さの違いを推定したんだね」
「はい!」
「そうか。君は賢いね」
「そうでしょうか?」
「普通の子はそこまで考えないさ。まあいい。とにかくあと6秒で、この地域に巨大地震が発生するんだ」
「だけど、どうしてそれが分かったのですか?」
「時の制御装置は地震を予測することも出来るんだ。地震を起こす地殻の歪みは、電磁波を発生して時空に影響を与える。それが時空の歪みになる。そして時の制御装置はその時空の歪みを測定出来るんだ。だから地震が予知出来る。それで、これから起る地震、とりわけ巨大地震を予測して、その直前に時の流れを遅くするんだ」
「時の流れを遅くすると?」
「さっきも言ったように、1時間に1秒しか進まないようにしてあるんだ。1時間は3600秒だから、時の流れる速さは3600分の1だ。そして時の流れを遅くすると、巨大地震の被害を大幅に減らせるんだ」
「どうして?」
「それは、例えば震度7の地震だって、時の流れを遅くすれば地震の加速度が小さくなる。単純計算では3600の二乗分の1になるのだけど、時の遅い世界の中で、そこにいる人々にとってそれがどうなるかはまた別問題なんだ。これまでの実験によれば、時の流れの速さを3600分の1にすれば、そこでの加速度が圧倒的に小さくなることだけは、間違いないのだけど」
「それは体に感じない程の、小さな地震ですか?」
「いや、私の理論と、それからこれまでの地震における実測値から推定すると、震度6が、震度2くらいに軽減されるだろうね。だから被害も圧倒的に小さくなる。だから今回の巨大地震のために、この時の制御装置を作動させることにしたんだ」
「それじゃ、今までに起った大きな地震のときは?」
「この装置を巨大地震のために作動させるのは、今回が初めてなんだ。完成したのは2年ほど前だ」
「そうだったんですか」
「この装置は長い年月を掛けて開発した。もちろんこれまでにも、いくつかの地震のときに試験的に作動させたのだけど、こんなに大きな地震のために作動させるのは、これが初めてなんだ」
「今回は、そんなに大きな地震なのですか?」
「おそらく」
「そうなんですか」
「ところで、どうやって時を制御するのですか?」
「時の制御装置は、時空に高エネルギーの電磁波を送り、時の流れに強力なブレーキを掛けるんだ…」

 それから僕は博士の研究所の装置を一通り見せてもらい、そして住居スペースへ案内され、そこで食事を食べさせてくれて、お風呂にも入らせてもらった。
 固くなくい普通の食事と、普通に流れる水が僕には妙に懐かしく、そしてとてもありがたく思えた。
 それと、そこには「普通に動く」時計もあり、僕は妙に感動した。その時計は午後4時を過ぎていて、それがこの施設での時間らしかった。
 それからしばらく休んでいると、僕はとても疲れていたみたいで眠くなり、そこにあった柔らかいソファーでしばらく眠った。

 目が覚めると、時計は午後6時頃だった。それから少しして、博士が僕のいる所へやってきた。
「ぐっすり眠っていたみたいだね。よほど疲れていたんだね。君にとっては悪夢のような世界だったろうからね」
「いきなり時が止まって、みんな固まって、それで僕、パニックでした」
「それはそうだろう。大変だったね。僕が変な機械を作っちゃったから、君には迷惑を掛けてしまったね」
「いいんですよ。それより巨大地震の事の方が心配だし」
「そうだね。少しでも被害を減らさないといけないからね」
「ところで、どうして僕は固まらなかったのだろう?」
「僕もそのことを考えていたんだ。つまり君が時の制御から、どうして除外されたかだ。だけど僕にもよく分からない。でももしかすると、君がここへ来る運命にあったことが原因かも知れないね」
「運命? ところで博士は、どうして固まらなかったのですか?」
「それはこの建物全体が、時の制御装置が出す電磁波から遮蔽されているからだよ。それで、時の流れにブレーキを掛けた瞬間にここにいれば、時の制御から除外されるんだ」
「そうだったのですか。だけど博士は今、運命って言われたけれど、僕がここに来る運命だったから、それで僕も除外されちゃったのかな?」
「その可能性はあるだろうね」
「もしかして、ええと、これは僕の勘なんだけど、時の制御装置は、ある意味タイムマシンみたいなものだと思うから、時間の前後は関係なくて、ここに来る運命というだけで…、あ、それに僕、ここにスマホ持ってきていないから、僕の部屋に置いてきたから、それで僕のスマホは除外されなかったんだ。スマホの時計はまだ1分しか進んでいないんです」
「なるほどね。おそらくそうだろうね。やっぱり君は賢いね」
「ありがとうございます。僕のこと賢いって言ってくれたの、二度目ですね」
「君は賢いし、正直だ。それに若い頃の僕みたいだ。だから僕は、君をここへ案内する気になったんだ」
「僕が博士の若い頃に?」
「そうだね。そっくりだね」
「だけど、ええと、どうして僕が正直だと思ったのですか?」
「長いこと人間やっていれば、そのくらいのこと、すぐに分かるさ。それで実は、この施設は極秘なんだ」
「極秘?」
「時を制御するなんていう、途方もない機械だからね。悪い人間に知られて悪用されたら大変だ」
「悪用ですか?」
「時の流れを遅くしたこの世界だったら、泥棒でもテロでも、戦争だっていくらでも出来る」
「だけど、どうしてそんな重要なものを、僕に?」
「だから君が正直だって、一目見て分かったからだよ。それにあんなのんびり野球の観戦も退屈そうだったからね」
「そうですね。はっきり言って、退屈な野球でしたね」
「さて、あと2秒と少しだ。つまり、ここの時間で2時間余りで地震が起るんだ。地震の観測で、今夜は眠れないぞ!」
「僕も一緒に観測していいですか?」
「もちろんいいよ。それじゃ、コントロールルームへ行こうか」

 それから博士に案内され、僕は時の制御装置のコントロールルームに入った。そこには沢山の大きなモニターや、キーボードの乗ったデスクが、ずらりと並んでいた。
 あるモニターにはこの施設の時間と、外の制御された世界の時間が表示されていた。
 博士の予測では、巨大地震はこの施設の時間で午後9時頃に発生するらしかった。地震まで、僕らの時間で2時間余り。
 それから博士は、観測されている地殻の歪を示すモニターを見せてくれた。たしかに歪はどんどん大きくなっていた。それで、グラフが赤いラインに到達すると地震が起こるらしかった。そしてグラフは、その直前に達していたんだ。
 そのほかのモニターには、地震の震度や加速度や、津波の高さを示すグラフや、その他たくさんのグラフが並んでいた。もちろん地震が発生する前だから、それらのグラフは、まだゼロを示していた。
 そして博士は緊張した面持ちで、たくさんのモニターを監視していた。僕も何だか緊張してきた。

 それから2時間余りが過ぎた。見てみると、地殻の歪を表すグラフはすでに赤いラインを過ぎていた。
 そして、地震の震度や加速度を示すグラフが、ゆっくりと動き始めた。
 時の制御装置で時の流れを遅くしてあるからか、震度や加速度が立ち上がるまでに、僕らの時間で2時間ほど掛かり、もちろんそれは外の時間では2秒ほどで、そして地震は僕らにとっては延々と続いた。
 そしてグラフでは、外の世界での震度は2~3で、加速度は10ガル程度だった。つまり体に感じても、ほとんど被害の出ない程度の地震だったんだ。
 だけど博士の話では、時の制御装置がなければ、予測された震度は最大で7に、そして加速度は、最大で4000ガルを超えるだろうということだった。これは大変な被害が発生する地震だ。それがこんなに小さな地震になったのは、時の制御装置の効果だったんだ。
 それから博士の予測では、地震は外の世界の時間で10秒程、この施設の時間で10時間ほどで収まるはずだったが、実際はそれを過ぎても地震は延々と続いた。この施設の時間で何日か過ぎても、地震は収まらなかったんだ。
 それで博士の話では、この巨大地震は「長周期地震動」というものらしく、それは博士の予想をさらに上回る巨大地震だったということが、それから判明したのだ。
 それで僕は、博士が地震収束を確認するまで待つことになった。といっても、施設にずっと待機したわけではない。博士と一緒に外の様子を見まわったのだけど、僕らの目で見る限り、大きな被害は出ていないようだった。もちろん僕らは、地震を体に感じることもなかった。
 だけど僕らにとって数日後、僕が野球を見に行くと、選手たちは両軍ともベンチに入っていて、心配そうにあたりの様子を見渡していた。やっぱり震度3くらいの地震で、野球は中断されていたのだろう。
 それから家へ行くと、犬は少し警戒したように立っていたけれど、お母さんは構わず掃除を続けているようだった。掃除機を掛けていると、地震に気付かないのかもしれない。とにかくその程度の地震だったんだ。

 それから何日観察しても、街では建物も何もかも、全く壊れなかった。そしてこの巨大地震、つまり長周期地震動が収まるまでには、僕らの時間では、何と10日を要した。つまり外の世界では、4分ほど揺れが続いたことになる。
 そして揺れが収まってから、博士は津波の発生がないかを見に行こうと言って、施設の屋上へ行き、ヘリコプターで出発した。僕も乗せてもらった。
 それから博士は、観測された震源海域の上空を飛んでまわり、海面の様子を観察したけど、海面にもほとんど変化はなかった。
 こうして、僕らにとって何日も街や海の観察を繰り返し、博士が最終的に地震の終息と、津波の心配のないことを宣言したのは、施設の時間では、地震が収まってからさらに10日後のことだった。
 それから僕はもう一度、家の様子を見に行った。お母さんは掃除を終え、掃除機のコンセントを抜こうとしていた。それから犬はのんびりと庭で寝ころんでいた。


 僕は博士に、ヘリコプターで駅まで送ってもらった。博士は僕に、「駅から時をやり直しなさい」と言ったんだ。駅前広場にヘリコプターが着陸したとき、誰もそのことに気付かなかった。誰も動かなかった。
 まだ時は「止まった」ままだった。
 それから僕は、時の止まった駅で博士と別れた。博士は僕に手を振ってから、ヘリコプターで飛んで行った。
 そして僕が待合室のソファーに座り、僕にとって30分くらい過ぎた頃、突然、待合室が雑踏に変った。きっと博士が時の制御装置を止めたのだと、そのとき僕は思った。
 人々の声、テレビの音、電車の出発を知らせるアナウンスが聞こえ始めた。そしてテレビでは、地震速報が始まった。
〈震度3 津波の恐れなし 建物の被害なし 怪我人なし〉

 博士の作った時の制御装置のおかげで、予測された巨大地震は、ごくありふれた、小さな地震に変わったのだ。
 それから僕は駅を出て、止まっていたバスに乗った。僕に続いて何人かが乗り、それからバスは出発した。
 バスの窓から、いつもと変わらない街並みが見えた。いつもどおりの、人々の生活が見えた。
 わずか10分ほど前に、これから僕がやろうとしていた、当たり前の日常。
 本当なら破滅していたであろう、この日常…
 博士のおかげで、僕は、そして人々は、それを失わずに済んだ。

「時の止まったあの日」 完

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