僕とボールと壁(不思議な話です)

文字数 2,883文字

 僕が物心ついたときから、僕の近くにとても大きな壁があった。
 その壁は左右も高さも「無限」と言える程の大きさで、どこまでも続いていた。
 そして僕のいた土地はどこまでも平らで、遥か遠くの地平線まで、建物はおろか草一つ生えてはいなかった。
 そして、それ以外は無限の壁で半分に仕切られた空だけだった。
 僕は壁からあまり離れてはいけないということを知っていた。知っていたというよりは、誰かにそういう暗示をかけられていたような気がする。
 それに壁から離れると迷子になりそうで怖かったということもあった。
 その場所には僕以外誰もいなかった。
 だから僕が見ることの出来る物といえば、「壁」と「地面」と「地平線」と「半分の空」だけだった。
 そんな環境で僕は育った。
 でもそれだけでは、僕はきっと発狂していただろう。
 でも発狂しなかった。
 それは、僕に友達がいたからだ。
 友達といっても人間ではない。
 それは一個のボールだった。
 
 僕の一日はこんな感じで過ぎていった。
 朝目覚めると、僕の傍には何故かいつも食事が置いてあった。きちんとお盆に入れてあり、栄養も考えてあるような、ちゃんとした食事だった。
 そして「壁からあまり離れてはいけない」という暗示と同時に、僕はもうひとつの暗示にかけられていたような気がする。
 それは、食事をしたら壁に沿って相当の距離を走らなければいけないという暗示だ。
 暗示であると同時に、それには合理的な理由もあった。とにかく、かなりの距離を走らないと次の食事にありつけないのだ。
 というのは次の食事はかなり離れた場所に置かれていたからだ。
 だけど、かなりの時間的余裕があった。
 だから僕は食事を済ますと一休みして、さらにしばらくしてから走り出せばよかった。
 そして走り出すまでのしばらくの間、僕は僕の友達であるそのボールと遊んだ。
 遊ぶといっても壁にボールを投げるだけだ。ただ、壁からあまり離れてはいけないと暗示されていたから、僕はボールが届く範囲と勝手に自分で決め、そこから壁に向かってボールを投げていた。

 僕がボールを投げ始めると、なぜかいつも壁に四角形の図形が現れた。
 僕にはそれが不思議で仕方がなかったけれど、でも僕にとってはちょうど目標になったので、とても都合がよかった。
 そしてしばらく投げると、壁の四角形の図形が消える。それは僕が走り始める合図だと、僕は勝手に思っていた。それで僕はいつもボールを持って、壁に沿って走り始めた。
 しばらく走ると汗びっしょりになるし、暑くてたまらなくなるから、それでいつも着ていたトレーニングウエアや下着も全部脱いでから走る。誰も僕を見ていないから気にしない。
 それと、おしっこもうんこも、壁の近くでやればいいから問題ない。用を足したらまた走る。

 それで僕が汗だくで走っていると、なぜか必ず雨が降ってきた。その雨は最初はお湯で、ちょうどいい温度だ。
 しかも途中でシャンプーになったりボディーソープになったりする。そして最後は必ず土砂降りになる。
 土砂降りのとき僕はよく上を向いて口を開けた。おいしい水が飲めたし、うがいもできた。それにシャンプーなんかもきれいに落とすことが出来た。

 雨が上がると、何故か乾燥した暖かい風が吹き始めた。だからしばらくするとすっかり体も乾く。さっぱりして気持ちいい。
 そして体が乾いた頃、壁の近くの地面に、なぜか着替えの下着と、トレーニングウエアがきちんとたたんで置いてあった。
 置いてある理由はどうあれ僕には都合が良いので、ぼくはいつもそれを着た。
 それからもう汗はかきたくないので、走るのはやめて、それからゆっくり歩くと食事が置いてある場所に到着する。
 そこで食事をし、しばらく休んでまたボールを投げて、走って、雨が降って、風が吹いて、着替えて、歩いて、食べる。

 三回目の食事が終わる頃、辺りは暗くなり始めた。
 そこから少し歩くと壁の近くに枕が置いてあったので、そこで寝る。目が覚めると明るくなっていて、そこに食事が置いてある。
 僕はこんなサイクルで毎日を過ごした。そんな日々がずっとずっと続いた。
 そしていつしか僕は、ボールを投げるのも、走るのもとても上手になった。
 とくにボール投げでは壁に現れる四角形をはずすことはほとんどなくなった。

 その頃から、壁に現れる四角形が四分割されるようになった。そして、右上とか左下とかが点滅するようになった。その点滅する部分にたくさん当たったときは、なぜか次の食事はおいしいものが多かった。
 そのことに気づいた僕は、投げ方をいろいろ工夫して、正確に投げられるように努力した。とにかくおいしいものが食べられるので、寝る前なんかも、どんなフォームで投げたらうまくなれるか、いろいろ考えたりした。
 それから、どんなフォームがいいかなぁ、なんて思いながら投げ方を工夫していると、何故か足元にタオルが置いてあり、僕はそのタオルを拾い、手に持って腕を振り、投げ方の工夫をした。
 それに一汗かいたらそのタオルで拭く事も出来たし。

 それから調子が悪くて、四角形にさえほとんど当たらないときもあった。そんなとき食事は芋しか出なかったこともある。
 くやしいので寝る前にもういちど投げる練習をすることもあった。投げ始めると何故か辺りが少し明るくなり、壁には四角形も現れた。
 しばらく投げて、それで調子を取り戻したら、夜食にホットケーキが出たこともあった。
 それと、ふわっと投げて四角に当ててもだめなようだった。そのとき壁の四角形は変な感じで点滅し、それはなんだか壁が怒っているように見えた。
 それで、強い球をびしっと投げて、それが四角形に当たったら、今度はその四角形が違った点滅のしかたをした。それは壁が僕をほめているように見えた。
 そして、壁が何度もぼくを「ほめた」ときは豪華な食事が出た。
 とにかく、ボール投げは楽しかった。上手に投げることが出来た時は、食事もおいしいし、だから僕はとても幸せだった。

 こうして月日が流れた。
 でも、一つだけ不思議なことがあった。
 ボールがだんだん小さくなっていったんだ。
 最初は僕の手のひらいっぱいの大きさだったのに。だからボールをつかむのも大変だったのに。
 でもいつの間にかボールは僕の握りこぶしくらいになった。投げるのにちょうど良い大きさになった、とも言えるけれど。
 でも、どうしてボールが縮んだのだろうか?
 どうしてこんなことが起こるのだろう。
 不思議でしょうがなかった。
 なぜだかさっぱりわからなかった。どうしてボールが縮んだのか…
 
 そんなある日。
 僕が走っていると、かすかに見覚えのある女の人が壁の近くに立っていた。
 それは僕がこの壁から別れを告げる日だった。
 その女の人は僕の手を取り、目に涙を浮かべて僕にこう言った。
「辛かったでしょう。でも、よくがんばったよね。それに、こんなに大きくなったのね! ここに来た頃は、こ~んなに小さかったのにね! それからあなたはきっと、レジェンドと言われるような大投手になるわよ」
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