首吊り自殺の検死

文字数 3,906文字

「首つり自殺と思われる事件の通報がありました。これから警察官と鑑識が現場へ向かいますが、先生には検死の立会いをお願い出来ないでしょうか?」
という電話が私のいる病院に掛かり、それで私はその現場へと向かうことになった。
 それは午前三時頃。話に聞くその現場は山の中だが、往診などで私はその辺りの地理をよく知っていたのと、警察署から現場と病院は逆方向で、警察の人が病院まで私を迎えに来るにはかなりの遠回りになり、余分な時間も掛かる。
 夜中だし警察も人手が少なかろうと、そのとき私は変な気を回し、それで私は自分の車で
現場へと向かい、そこで警察の人と落ち合うという段取りになった。

 それから私は一人で現場に着いた。午前四時前。
 そこは人里離れた山奥で、道路脇に車を止め懐中電灯を持ってゆるい斜面を少し登ると木立があり、そこが現場だろうと私は思った。
 ところが何故かそこには警察官も通報者も誰もおらず、私は場所を間違えたのかと思ったが、その木立の中の一本の木に、人がぶら下がっているのがかすかに見え、それで私が懐中電灯で照らすと、その人はロープのようなもので首を吊り、木からぶら下がっているのが分かった。
 だから現場はここに間違いない。
 しかしどういう訳かそこには「その人」以外に誰もいなかったのだ。
 それで仕方なく私は、その場所でその木からぶら下がった人と「二人きり」で、警察の人が来るのを待つこととなった。
 しかしそれから待てど暮らせど、警察の人は来なかった。それで私は警察署に電話をしようと思ったが、運悪く、すぐに携帯の電池が切れてしまい、だから連絡の取りようもなくなった。
 それで私はなすすべもなく、そこで待つ以外になかった。

 それから少しすると、そよそよと生暖かい風が吹き始めた。それは真夏の深夜。そしてその風で木々がゆさゆさと揺れ、その人もゆさゆさと揺れた。
 それを見ていて、私はその人が気の毒にも思えたし、だから首に掛かった縄を解いて、木から下ろしてあげようかとも思ったけれど、自殺の現場は保存していなければいけないだろうと思い、それで私は、その人に手を出すことは出来なかった。
 そういう訳で、その人は木からぶら下がったままで、私はその傍らにじっとしている以外になかったのだ。
 それから私はその人に思いをめぐらせた。この人はどういう人生を送っていたのだろうと。
 一体この人は、どうして首を吊ることになってしまったのか…
 何時来るとも分からない警察の人を待つ間、私は地面に座り込み、首を吊った、まだ若いとおぼしきその人の人生に思いを廻らせたのだ。
 そしたら私に心の中に、聞いたことのない声が聞こえ始め、それは今この木にぶら下がっている、この人の声ではないかと私は思った…

…私が会社勤めを始めた頃、パチンコにはまりました。友達に誘われ初めて行ったとき、大当たりをしたのです。
 私はたった数時間で、私の一ヶ月分の給料以上の大金を手にしたのです。
 そしてその翌日から、私のパチンコ通いが始まりました。
 毎日仕事が終わったら直行し、閉店まで。
 休みの日は開店から閉店まで。
 初めて行ったとき手にした大金を軍資金に、打ちまくったのです。そして初めて行ったとき程ではないけれど、時々大当たりが出ました。
 するとそのたびに、初めて大当たりを出した時と全く同じ快感が、私の脳内で炸裂するのが、私には分かりました。
 そして沢山のドル箱を抱え、カウンターへ行くときの優越感。他の客が羨望の眼差しで私を見る。
 それは何物にも代えがたい、何というか自分が世界を征服したかのような、すさまじい快感でした。
 そして私はその快感を求め、パチンコ通いを続けたのです。
 しかしいつも大当たりする訳ではありません。何万円つぎ込んでも、全く当たらない日もたびたびでした。
 だから最初に大当たりをしたときの「軍資金」は、あっという間に底をつきました。
 それで私は生活費を切り詰め、給料の大部分をパチンコに使いました。
 しかし給料前になるとお金が無くなり、水だけを飲んで給料日まで何とか生き延びることもしばしばでした。
 それと不思議な事に、私はパチンコをしている間は空腹感が全くなかったのです。
 だけど喉は渇くのでパチンコ屋のトイレで、手洗いの水を飲んだりしていました。
 そして給料が出たらそれを軍資金に打ち続ける。とにかく金が足らず、いつもぎりぎりの生活でした。
 そんなある日、私は店の近くにある、ある消費者金融の無人契約機を見付けました。
 そこでは簡単な手続きでカードがもらえ、そして驚いたことに貸付限度額は百万となっていました。
 私は興奮しました。そしてその百万が、何だか自分のお金のような錯覚を覚えました。
 だから、それからもそのお金を元手に「よっしゃ、もう一万!」と、熱くなって深追いすることもたびたびでした。
 そして何より、大当たりをした時のあの快感が忘れられず、常にそれを追い求めていた私は、冷静な判断が全く出来なくなっていたのでしょう。
 そしてその貸付限度額を使い切ると、二枚目、三枚目とカードを作りました。
 そして気が付けば数百万の借金。
 だから金利支払いだけでも、私の給料のかなりの部分を占めるようになっていたのです。
 そして私は仕事中もパチンコのことばかりを考えていました。
 夢の中でも…、とにかく大当たりの、あの快感が忘れられなかったのです。
 そのため私は仕事のミスも多くなり、そのことで上司から叱られたりするうちに、だんだんと仕事も嫌になり、いつしか学校をずる休みするように仕事をサボり始め、平日の午前中もパチンコ屋へ行ったりもしました。
 こうして新しいカードを作っては借金を重ね、それを軍資金に…、そしてある日、五枚目のカードを作ろうとしたとき、私は審査に落ちてしまいました。

 私は愕然としました。カードさえ作れば、いくらでもお金の工面ができると思っていたのに…
 それでも私はパチンコがやりたくて仕方がなく、それから電柱に張ってあった闇金融の携帯番号に電話をし、十万、二十万と借金をしました。
 だけどそのお金も底を付き、しかもその頃からは、いろんな業者からやいややいやと催促の電話が掛り始めました。
 だけどその頃、私の財布の中には消費者金融のカード以外は、五円玉と一円玉が数枚しかありませんでした。
 そんなある日、たまたま通りかかったコンビニの駐車場に、車高を落としたヤンキー風のセルシオが止まっていて、ふと見るとそのナンバーが777となっていました。
 それを見た私は、もはや自分を制御することが出来なくなっていました。
 その並んだ数字から、パチンコ屋の、あのじゃらじゃらという騒音、タバコのにおい、積みあがったドル箱、優越感と快感。
 とにかく私の頭の中は、そういうことで埋め尽くされていたのです。

 とにかくパチンコがしたい!

 それから私はふらふらとそのコンビニに入り、気が付くと私はカウンターの向こうへ行き、店員の胸ぐらを掴んで「金を出せ!」と叫んでいました。
 だけど幸か不幸かお金を奪うことは出来ず、そしてコンビニにいたほかの人たちも集まり、それで私は逃げようとしましたが、店員にオレンジ色のカラーボールを投げつけられ、そして程なく、駆けつけた警察官に強盗未遂で現行犯逮捕されました。
 しかし初犯で未遂だったため不起訴となり、しばらくして釈放されましたが、私はそれを理由に会社をクビになりました。
 とにかく私は、生活のすべを失ってしまいました。

 またやり直せばいいと思うかもしれませんが、私はわりといい大学を出てちゃんとした会社に勤めていましたから、そんな私のプライドは、もうづたづたになっていました。
 警察で取調べを受けていた、そんな自分が信じられませんでした。
 コンビニ強盗を企てた、そんな自分が信じられませんでした。情けなくて情けなくて、自分はもう落ちるところまで落ちるしかない。
 永久にこんな状態でいるしかない。そう思っていました。
 とにかく私には、人生をやり直す方法など、全く思い浮かびませんでした。

 そんな私は途方にくれ、自暴自棄になり、そしてある日、私は発作的にカッターナイフで自分の手首を切りました。でも死に切れませんでした。
 だけどそれから私は、ふと、自分の家にあった洗濯物干し用のロープを見付け、そして何故かそれをポケットに忍ばせ、それから私は家を出て延々と歩きました。
 切った手首からはぽたぽたと血が流れていましたが、私はそれを意にも介さずに歩き続けました。
 そして私が向かった先は、私が子供の頃父親とよく山遊びをした、この山道でした。
 それからも私はとぼとぼと歩き、そしてこの木立を見付けました。
 するとその中の一本が、私の心を魅き着けました。それは素晴らしい枝振りの木でした。
 そして振り返るとそこからは遠くの渓谷が見下ろせました。
 とても素敵な場所でした。
 そして私は発作的にポケットからロープを出し、そしてその木の枝にロープを掛け…

「先生、先生…」
 と、突然、誰かが私を揺り起こした。
 私は居眠りをしていたようだ。
 辺りはすでに明るく、見渡すと朝焼け広がり、遠くに綺麗な渓谷が見えた。
 私を起こしたのは、遅れてやってきた警察官だった。

「遅れて申し訳ありません。私どもは鑑識のものです。たった今署から到着いたしました。
どうやら私たちは道を間違えてしまったようで、他の山の中をさまよってしまい、すっかり
遅くなってしまったのです。本当に申し訳ありませんでした。それでは早速検死の準備を始めますので…」

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