N先生の胃潰瘍

文字数 4,724文字

 おれはN先生が好きだ。
 好きというよりファンだ。
 前の話でも言ったように、おれは医者なのだけど、実は俺は同時に物理学者で、タイムマシンとどこでもドアみたいな機械の研究をしてきた。
 これは極秘の研究で、おれが開業している医院の地下に実験室を作り、主に夜中に実験をやっている。そして昼間は街の胃腸科医院として営業している。愛宕胃腸科という。
 胃腸科といっても風邪ひきやら何やらも診るので、正確には「内科・胃腸科」だ。
 ちなみに「愛宕胃腸科」は、愛宕山という、とある小さな山の麓にあるからそういう名前にしたのだ。
 まあどうでもいいけれど。もちろんこれがおれの飯のタネだ。
 おれは二十余年ここで開業し、だからおれのタイムマシンとどこでもドアみたいな機械の研究も二十余年になる。
 そしてその機械が完成した!
 さて、それで完成したマシンで、試しに近未来なんかにも行ってみたが、問題なく作動した。
 どこでもドアの機能もちゃんと確認できた。
 ええと、どこでもといっても滅多な所では都合が悪いのだ。銭湯の女湯なんかに行ってしまえばたちまち逮捕されてしまう。
 そこで手始めに夜中の自分の医院の診察室とか、近くの公園とか、最後は思い切って富士山頂へも行ってみた。うっかり短パンとTシャツ姿で行ったものだから大風も吹いていて、恐ろしく寒くて息苦しくもあったし、早々に帰ってきた。
 そういうことはどうでもいいが、とにかくこの機械はおれの一世一代の大発明だ。それで名前を考えたがおれはそういう事にうとく、良い名前が思いつかんかった。
 まあ、「タイムマシン」と「どこでもドア」が合体しているので、「タイムドア」にでもしようかと思ったが、実はこの機械、人力車の形に仕上げている。
 で、人力車風にしたのには少しばかり訳がある。
 ともあれそういう訳で、機械の名前は、「タイム人力車」にした。
 我ながらつまらん名前だ。

 さてさて、おれには行きたい時と所があった。
 時は大正のとある時代。所は東京の某所。
 おれは大好きなN先生に逢いに行きたかったのだ。
 しかしこの日にしたのには理由がある。
 その翌日、N先生が吐血をされ、その後お亡くなりになるのだ。
 
 さてその日、N先生は知人の結婚式に出席しておられた。
 そうとう暴飲暴食をされたようだ。
 奥さんから禁じられていたらしいけれど、いろいろと御馳走を食べておられたようだ。
 おれはというと式場の外に「タイム人力車」を止め、その傍らでN先生を待った。
 時代が時代だけに、イカしたスポーツカーの如きタイムマシンでは少々都合が悪い。
 そこで人力車スタイルに仕上げたという訳だ。

 さてさて、そこでしばらくおれが待っていると、N先生が式場から出て来た。
 そこでおれはすかさず、
「やあ先生、お久しぶりです!」なんて言ってN先生に近づき、いきなり先生の腕をむんずと掴み、
「ささ、先生、お車の御用意が出来ております」などといいながら、強引にタイム人力車に座らせた。
 そしてタイムマシン作動。どこでもドアも…

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「やや、一体ここは、何処ですかな?」
 N先生が驚かれるのも無理はない。
 タイム人力車が到着したのは二十一世紀のおれの研究室だ。愛宕胃腸科の地下の…
「先生が驚かれるのも大変御もっともです。私は先生を人力車で拉致をするという、とんでもない暴挙に出たのですから。しかしながら私は、先生を誘拐したわけではありません」
「ほう、あなたは私を拉致はしたが、誘拐などしてはいないとおっしゃる」
「あのう…、先生は大変胃がお悪いでしょう?」
「そうです。あなたはよく知っておられる」
「先生。実は…、ここは、二十一世紀なのです」
「二十一世紀? それはまた私は大層な所へ来たものですな」
「実はあの人力車は、時を越えることが出来るのです」
「時を越える人力車? それはまた大層なものをこしらえましたな」
「大層はまあとにかく、これから一階に、ええと、ここは地下ですので、そこの階段を上がると一階へ上がることができます。そこは私の胃腸科医院の診察室です」
「胃腸科医院の診察室?」
「もちろんそこで先生の胃を治療させていただきます。最新の二十一世紀の医療です。しかも、私が開発した、とっておきの…」
「とっておきの?」

 それからN先生には内視鏡用のベッドに休んでもらい、そして麻酔の注射をした。
「だんだん眠くなりますよ。眠り薬を注射しましたからね。先生が眠っておられる間に、先生の胃の中を調べさせてもらいます」
「胃の中を? さすが二十一世紀ですな。それにしても一体どうやってふにゃふにゃ…」
 N先生がぐっすり眠られたのを確認。
 脈拍や酸素飽和度、血圧なんかのモニターも正常。
 それでおれは、おれが最近開発した最新型のハイビジョンの内視鏡をN先生の口の中に入れ、それから食道のトンネルをくぐりぬけるとN先生の胃の中だ。
 さて、N先生の胃の中は結婚式で食べた御馳走と胃潰瘍から出血したらしい血で、それはもうカオス(!)だった。
 だけどおれが開発したこのハイビジョン内視鏡には、そんじょそこらの内視鏡にはない、画期的な機能があった。それは「強力お掃除機能」だ。
 もちろんそんじょそこらの内視鏡にも「吸引機能」というのもが備わっている。
 しかしせいぜい三ミリくらいの通路しかなく、吸引できるのは主に液体のみだ。
 ところがN先生の胃の中にはその日の、といっても大正時代のことであるが、とにかくN先生が知人の結婚披露宴で食べられたらしい、食べ物の残骸で、胃の中はカオスだった。
 したがって、そんじょそこらの内視鏡では吸引出来ず、早速検査不能となってしまう。
 何たって胃の検査が目的だ。食べ物の残骸を検査しても始まらない。
 ところがおれが開発したハイビジョン内視鏡なら、その「強力お掃除機能」で、お肉だろうがお魚だろうが、ぐんぐん吸いだしてくれる。まあ簡単な話、吸い出すための通路が物凄く広いのだ。
 庭に水を撒くホースくらいはある。
 それで、そうこうしているうちにN先生の胃の中は空っぽになった。
 それからおれはN先生の胃を洗浄した。おれが開発したハイビジョン内視鏡には「強力放水機能」も付いているのだ。
 これも凄い性能で、たとえ検査中胃の中で火災が発生したとしても、たちどころに消火が出来る程の水力だ。いやいや、胃の中で火災が発生してたまるものか。
 ともあれその吸引機能と放水機能で、N先生の胃の中はすっかり空っぽになった。
 そして空っぽになったら、胃の奥のほうに立派な潰瘍が見付かった。
 血管が露出し、そこからじりじりと出血もしていたのである。
 実はおれの開発したハイビジョン内視鏡には、その他いろんな機能が付いているのだが、いちいち説明するのも疲れたので、あとはやったことを順に述べる。
 内視鏡の先端から小型の注射器を出し、出血している血管に特殊な薬剤を注入。これで出血はぴたりと止まった。
 一応潰瘍とは思うが、万が一癌だといけないので、内視鏡の先端から、ごく小さなパクパクするような機械を出し、潰瘍の部分のサンプルを採取。
 次に潰瘍の部分全体に粘膜を保護する薬を塗っておく。
 それから最新の胃潰瘍の薬を胃の中に注入。そこまでやっておれは内視鏡を抜いた。

 次の朝、N先生は清々しく目をさまされた。
「この数年間無かったような清々しい朝ですな。それに信じられん程、胃の調子も良い」
「それは良かったです。でも先生には一ヶ月ほど入院してもらいます。その間に先生の胃潰瘍は完治できると思います」

 それからおれは、昨日N先生の潰瘍からパクパクする機械で採取したサンプルを顕微鏡で見たが、癌細胞は存在しなかった。
 おれは胸をなでおろした。
 ところがおびただしい数のピロリ菌を発見した。これは想定していたことだ。
 除菌すればよい。
 でも胃の中に変なバイ菌がいるなんてことをN先生に告げると、変な心配をすると思ったので、胃潰瘍の薬とピロリ菌を駆除する薬を一緒にして、
「胃潰瘍の薬です。一日三回しっかり飲んでください」と手渡した。

 それからN先生はどんどん血色も良くなった。
 食欲も旺盛だ。
 いや、もともと旺盛だった。披露宴で暴飲暴食してたし。
 そして一ヶ月後、もう一度内視鏡で胃の中をのぞいてみたが、潰瘍はもののみごとに治っていたし、ピロリ菌の検査も陰性化していた。
 そして調子が良くなると、N先生は二十一世紀の様子が見たいと言い出したので、東京見物をすることにした。
 新幹線に乗せてあげた。車体にN700と書いてあるのには、いたく感動しておられたようだった。
「あのNは私の頭文字だ。私は二十一世紀でも汽車に名前が付く程有名なのですな」
 そういうとN先生は意気揚々と乗り込んだ。
 しかし乗ったものの「速すぎて気分が悪い」と早速言いだし、品川で早々に降りてしまった。
 それからサンシャイン60にも連れて行ってあげた。
 しかし、
「この建物はゆらゆらと揺れておる。時期にひっくり返るから早速外へ出た方が良かろう」と、早々に下りのエレベーターに乗ってしまった。
 まあいろいろあったけれど、とにかく楽しい数日間だった。

 そしてN先生をタイム人力車に乗せた。いよいよお別れの日。
 おれはタイム人力車を、大正の某日の夜中、東京の某所のN先生の自宅前にセットした。
「大層世話になりましたな。お蔭様で胃もすっかり良くなりましたし、二十一世紀も見せてもらいました。これは大いに楽しかった。本当にありがとう。しかし私が一月も家を留守にしていたので、早速家の者が大層心配しておるだろう」
「その心配は御無用ですよ。この人力車は時を越えることが出来ます。だからこれから先生が披露宴に出席された日の夜中に連れて行きます。奥さんには『古い友人にばったり出会って、その人と飲みに行った』くらいに言っておいてください」
「それもそうですな。しかし、飲みに言ったなどと言えば、早速女房から大目玉を食らうかも知れんな。わっはっは」
 それからタイム人力車が作動!

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 そしてあっという間にN先生宅の玄関前。
「本当に私は金輪際胃で悩むことは無いのですね?」
「もちろんです。多分一生悩むことはないと思います」
「それは夢のようだ。本当に有り難い」
「そういっていただけると嬉しいです。それで、先生、実は…」
「何ですか? そうかそうか、お礼ですな。五円や十円位のお礼なら…」
「いや、お礼ではありません。お金なんか一円も要りません。だけどお願いがあります。一つだけ、お願いがあるのです」
「お金は一円も要らず、願いだけ? あなたは謙虚なお方だ。よろしい。私に出来る事なら何でもおっしゃって下さい」
「それじゃお願いします。いや、約束してください」
「約束? 分かりました。言って下さい」
「それは…、今、先生の書かれている小説、きっと最後まで連載してくださいね」
 おれがそういうとN先生は、
「ああ、そのことですか」
 と言ってにっこり笑ってから、
「きっと約束しますよ」
 そう言うとN先生は門をくぐり、中へ入って行った。

 すると玄関前で待ち構えていた出版社の人らしい人物の声が聞こえた。
「夏目先生! 原稿は…」
「わかったわかった。早速これから書きましょう」 


 N先生は大正の某日、知人の結婚披露宴に出席した翌日に吐血し、その後大出血を起こし、「死にたくない」と言いながら死去。
 連載中の小説は絶筆となった。
 二十一世紀の医学なら、おそらくN先生を救えたのに…

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