時の止まったあの日 前編

文字数 6,070文字

 2話に分けて掲載。
 以下本文

 学校からの帰り、僕の乗った電車は駅にに着いた。ドアの前に立っていた僕は、ドアが開くと真っ先にホームへ降りた。それからとぼとぼとホームを歩いた。だけど何だか辺りの様子がおかしかった。僕の後に誰も降りてこなかったんだ。
 僕は少しのんびりした人間なので、いつもみんなより少しだけゆっくり歩く。だから電車を降りたら、忙しそうな人たちに、すぐに追い越される。だけどそのとき、誰も僕を追い越さなかった。
 おかしいなと思って振り返ると、電車のドアは開いたままで、降りようとする人はいっぱいいたけれど、みんな電車の中で、そのまま固まっていたんだ。
 それだけじゃなかった。
 ホームにいた人たちもみんな、固まっていた。身動きひとつしていない!
 それを見て僕はぎょっとした。
 何だか嫌な予感がした。

 それから僕は、ポケットからスマホを取り出し、画面を見た。
 するとホーム画面で、家の犬が写っていて、その上に電車の到着時刻が表示されていた。
 だけど画面を触っても、全く反応しなかった。
(やっぱりおかしい…)
 そう思いながら僕は、ホームで歩く姿で固まった人たちの間を通り抜け、階段を降りて改札を出た。改札には駅員さんがいたけれど、やっぱり固まっていたので、僕はそのまま出た。
 そして待合室でも、みんな動いていなかった。椅子に座って新聞や雑誌を読んだり、スマホを見たりしている姿で、そのまま固まっていたんだ。もちろん待合室のテレビの画面も「静止画」になっていた。
 それから通りに出ると、歩道を歩く人も道路を走る車も、みんな止まっていた。
 バス停へ行くとバスは来ていて、ドアが開いていたので乗って、空いた席に座り、もしかして動くかなと思ったけれど、待てど暮らせどバスは出発しなかった。もちろん他のお客さんも運転手も、みんな固まっていた。
(一体全体どうなっているのだろう…)
 とにかくそのとき、僕の頭はパニックになっていた。
 それから仕方なく、僕はバスを降りて、人の間をぬうように歩道を歩いて、ともかく家へと歩くことにした。
 パニックになっていても仕方がない。とにかく落ち着こう。とにかく歩こう。
 そう思い、それから僕は家へ向かって、てくてくと歩くことにした。そもそも、てくてく歩く以外に、僕には方法がないし。

 家へと歩きながら、僕は周りの様子を観察した。動かないのは人や車だけじゃなく、驚いたことに飛んでいる鳥も空中で静止していた。それどころか着陸進入のため旋回している旅客機さえも、機体を傾け車輪を出したまま、音も立てずに空中で止まっていたんだ。
(これは三次元の静止画だ!)
 僕は思った。
 そして僕の頭がイカれてしまったのだろうかと、僕はとても心配になった。
 そしてそれからも、僕はその「静止画」の中を、てくてくと歩き続けた。

 延々と歩いて、家に着いて門から入ると、庭にいた家の犬が固まっていた。茫然と立っているだけだった。いつもはしっぽを振って、くさりを引きちぎりそうにして、嬉しそうに僕に飛びかかろうとするのに。
 それで僕は犬に触ったけれど妙に固くて、もちろんなでても、名前を呼んでも、ちっとも動かなかった。
 それから僕は玄関へ行き、ドアを開けようとしたけれど、重くてなかなか動かなかった。
 それで根性で引っ張り続けていたら、ゆっくりとゆっくりとだけど、動き始めてくれたので、何とか僕が通れるぎりぎりまでドアを開け、それから家の中に入った。
 家の中ではお母さんが、和室で掃除機を持って掃除をする格好で固まっていた。
 いつものように「お帰り」とは言ってくれない。
 それで僕はお母さんに大きな声で「ただいま!」と言ったけれど、やっぱりお母さんは固まったままだった。
 それから僕はお母さんを揺り動かそうとした。眠っているのなら目を覚まさせてあげたかったから。
 だけどお母さんも妙に固くて、なかなか動かなかった。
 それで仕方なく僕は二階へ上がり、重たい自分の部屋のドアを何とか開けて中へ入った。
 それから重たい椅子を引き、僕はそれに座り、ポケットからスマホを出したら、やっぱりまだホーム画面で、時刻は電車が到着したときのままだった。
 あれほど延々と、僕にとっては一時間以上、てくてくと歩いたのに、時間が過ぎていないじゃないか。そもそも日が暮れないし。
(きっと時が止まっているのだ!)
 そのとき僕は確信した。だからみんな動かない。とにかくみんな、止まった時間の中にいる。
 いや、僕だけが別の時間の中にいるのだろうか…
(これはえらい事になったぞ!)
 
 それから僕は怖くて、それで自分の部屋に閉じこもって、そして僕にとっては何時間かを過ごした。
 それから、少しお腹もへってきたので、それでお母さんの様子を見に和室へ行った。
 するとやっぱり掃除をしながら固まっていたけれど、お母さんのいる場所が微妙にずれていて、掃除機の吸い込み口の場所も変っていた。
 それで僕は、もしかして時間は、物凄くゆっくりだけど少ずつ進んでいるのではないのかって、考え始めた。
 だけど進み方があまりにも遅く、だから母さんはいつまでも掃除をやっていそうだったから、僕は台所へ行き、重い冷蔵庫の扉を根性で開け、中から食べられそうな物を出して食べた。
 だけどどれも固くて困った。プリンだって五分くらい噛んでいないと、つぶれてくれなかった。
 それから水を飲むのも一苦労だ。水道のノブを動かしても水はすぐには出ない。
 だけど動かしてからしばらく待つと、水飴のようにゆっくりと水が流れ出てくる。本当にスローモーションみたいに。
 それで僕はその流れている水を少しずつ噛み切って、口の中で噛んだらじわじわつぶれてくれたので、それからごくんと飲み込んだ。
 それと、水道は出しっぱなしにすることにした。そうすれば僕が水を噛み切っても、また水はだんだん「伸びて」くる。のどが渇けば、またその水を噛んだらいい。
 とにかく僕以外の森羅万象は、ゆっくりとしか動かないんだ。
 そして僕は、だんだんとこの世界で生きていく要領が分かってきた。
 だけど僕は食べ物にも水にも、とても苦労した。何だか、災害でも起ったような気分だった。

 それからどうしようもなく、僕は自分の部屋へ戻り、ベッドの上で大の字になって寝た。
 ベッドのマットは初め固かったけれど、15分くらいを掛けてゆっくりと沈んでくれた。
 それから僕はいろんな事を考えた。
 僕以外の「時」が、ゆっくりとゆっくりと進んでいる。
 それは間違いのない事だ。
 それからもう一度スマホを見たけれど、やっぱり電車を降りたときのままだった。この世界では、あれからまだ1分も過ぎていない。一体どのくらいの速さで時は過ぎているのだろう…
 それからいろんな事を考えて、そして僕は眠りに就いた。

 次の日の朝…いやいや、朝かどうか分からないけれど、スマホを見たら、やっぱり昨日の、僕にとっての昨日の、電車の到着時刻だった。
 まだこの世界は1分も進んでいない。だけど僕は起きた。
 一体僕は何時間寝たのか、さっぱり分からなかったけれど、とにかく起きて階段を降りたら、お母さんはまだ掃除をしていた。
 それで、台所で乾パンのように固いメロンパンを根性で食べ、水飴のような水を無理やりごくんと飲んで、そんな避難生活のような朝食を済ますと、僕は玄関の重いドアを根性で開け、家の外へ出た。
 庭では犬がお座りをしていた。
 やっぱり時が過ぎているのは確かだ。昨日…、僕にとっての昨日、犬は立っていたのだから。
 それから僕は門から出て、通りを歩いた。歩道には人々が歩く姿で固まっていた。多分僕にとっての昨日から、何歩かは前へ進んだのだろうけれど。
 それから僕は家の近くを歩いて、「止まった街」を散策した。本当に三次元の静止画の中をさまよっているような感じだった。
 鳥たちも昆虫も空中で止まっていたし、家の外壁の塗装をしている人も道路工事をしている人も、もちろん自動車も、みんな止まっていたんだ。
 だけど僕は、その「世界」にいることに、だんだんと慣れているような気がした。
 いや、妙におもしろかったりしたんだ。

 それから少し歩いて、野球場のそばを通りかかった。そこでは野球をやっていた。
 そしてピッチャーの投げたばかりのボールが、空中で止まっていた。
 それで僕はフェンスの隙間からグラウンドに入り、なんとなくいたずら心も出て、それで僕はそのボールのすぐ近くまで歩いて行った。
 もちろん僕が歩いて行っても、ボールはほとんど進んでいない。
 それに選手たちから見れば、きっと僕は凄まじい速さで動いているのだろうから、多分僕が見えていないだろう。実際僕が内野へ入っても、守備をする選手の誰ひとり、僕に反応しない。ただひたすら、守備の構えをしているだけだ。
 それから僕は、本当にボールのすぐ近くでまで行き、そしてそのボールを近くでまじまじと見た。
 するとボールは、ゆっくりとゆっくりと回転しながら、少しずつ進んでいた。
 どのくらいの回転速度だろうと思い、ボールの縫い目に目を付け、それから大体一秒に一つずつのペースで1,2,3…、と数えたら、120数えたところで、ボールは一回転した。回転方向はきれいなバックスピンだった。だから球種はストレートだろうと思った。
 そして僕は、ピッチャーが投げた球は、1秒に30回転くらいしているということを以前から知っていた。
 だからこのとき初めて、僕はこの世界での時の流れの速さが推定できたんだ。
 つまり、実際は30分の1秒で一回転。だけどここでは120秒に1回転とすると、30分の一秒が120秒の中にいくつ入るかって計算だ。
 それは、
 30x120=3600
 つまり3600倍
 一時間は60秒が60あるから3600秒
 ゆえに1秒が1時間だ!
 これってとても切りのいい割合だ。
 そうすると掃除をしているお母さんの動きも、お座りした犬の動きも、水道から流れる水の動きも、だいたい辻褄が合うではないか。
 このグラウンドに来て、僕は大発見をしたのだ!

 それから僕は、一塁のファウルラインの辺りにしゃがんで、しばらく野球観戦をした。
 そして僕にとっての30分くらいが過ぎると、つまりこの世界の時間で0.5秒くらいが過ぎると、ボールはいよいよバッターの近くに到達し、バッターが顔をしかめながら、そのボールを打とうとしていた。
 それで僕はバットがボールに当たる瞬間を見たくて、それでバッターに近づいて、ボールに顔を近づけて、まじまじと見入っていたら、バットがボールに当たると、それから徐々にぐしゃりとつぶれ始め、それから戻り始め、それから跳ね返って逆方向に飛び始めた。
 回転が逆になって、30度くらいの角度で、ピッチャーの球よりも明らかに速い速度で飛び始めたんだ。
「打った瞬間ホームラン」という感じの打球だった。
 それから僕は、僕にとって3時間くらい野球を観た。だけど観たといっても、ほとんど止まっている退屈な野球だし、それで外野の芝生に寝転んだり、ネット裏だけにある観客席に座ったり、それから内野の守備位置についてみたり。守備位置に着くと、何となく一緒に野球をやっている感じがして、不思議に楽しかった。
 それで、打ったランナーは走り始め、そしてボールがレフトの頭上に達した頃、僕はお腹が減ってきたので、また家へ帰った。

 庭では犬が寝転んでいて、お母さんはまだ掃除中だった。それで僕は台所で固い食べ物を何とか食べ、水道から流れている水を、ちぎって噛んで飲み込んだ。
 それからもう一度グラウンドへ行くと、ちょうどボールがフェンスを越し、打った選手はガッツポーズで一塁近くまで走っていた。
 それから僕にとっては夕方くらいまで観ていたけれど、ランナーは2塁を過ぎるあたりまでしか進まず、ちょっと退屈だったのでまた家へ帰った。
 犬は庭でまだ寝ていて、お母さんもまだ掃除中だった。それから僕は固い夕食を食べ、風呂にも入りたかったけれど、水があんな様子で、とても風呂なんか入れそうになかったから、それで何も動かない家の中をうろうろしたりして、そしてすぐには沈まないベッドで寝た。

 僕にとっての3日目。性懲りもなく、僕は野球を見に行った。ちょうどその頃、ホームランを打った選手はベンチ前でハイタッチをやっていた。そのハイタッチは、僕にとって朝から夕方まで続いた。
 それでどうせならと僕もベンチへ行き、物凄くゆっくりと動いているその選手とハイタッチをして、それからベンチに座ったり、昼寝したりして一日過ごしてから、また家へ帰って食べて寝た。

 そして僕にとっての4日目。僕の周囲の時間の進み具合はあんなだけど、僕は自分の体内時計で動いているのかなって思っていた。やっぱり一日という感覚はある。だから僕は一日3度おなかが減るし、一定時間起きていたら眠くなるし、一定時間寝たら目が覚めるし。
 だから僕は目覚めたそのとき、それが4日目の朝だと確信、とまではいかないけれど、きっとそうだろうと思う事にした。
 それで、目覚めてスマホを見たら、何と、時刻が一分だけ進んでいたんだ。学校帰りの夕方、電車が駅に到着した時刻よりも1分だけ。
 それで僕は考えた。僕にとってあれから丸3日過ぎるのは、僕にとっての今日の夕方だ。それで今が僕にとって朝の8時くらいなら、丸3日まであと9時間ほど。そして丸3日は24時間×3だから72時間。それから9時間を引くと、あの時の止まった瞬間から、僕にとっては60時間ほど。
 そして野球場で見たピッチャーの球の様子から、僕は1秒が1時間と予測した。そして60時間程でスマホが1分進んでいた。
 これならばっちり話が合う。やっぱり僕にとっての1時間が、この世界の1秒なんだ!
 僕はそれが何となく嬉しくて、一人でガッツポーズした。
 だけど全く反応せずに、何日も過ぎてからやっと1分進むスマホなんて、持っている意味はないと思い、僕はスマホを机の上に置いてから部屋を出て階段を下りた。
 それから和室で掃除をしているお母さんを確認し、固い朝ごはんを食べ、庭で寝ころんでいる犬を確認してから、また野球を観に行った。
 こんな世界だから、「動いている」と言えるのはここくらいだったんだ。

 ハイタッチはすでに終わり、次の打者が打席へ歩くところで、ピッチャーは悔しそうな顔でマウンドをならすような姿で立っていた。
 それから僕にとって数時間観て、また家に帰り寝ころんでいる犬と掃除をしているお母さんを見て、固い昼ご飯を食べて、それから今度は動かない街をぶらぶら散策したりして、そしてまた野球を観に行った。
 すでに次のバッターが立ち、ピッチャーがキャッチャーのサインを見ているところだった。
 そして僕は、一累のファウルラインの辺りに立ち、しばらく野球を観ていた。
 すると突然、誰かが僕に話し掛けたんだ。
「君は…」

後半へ
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み