たられ馬券

文字数 4,850文字

「万馬券を当てましょう! 勝ちたくないですか? 絶対当たりますよ~」

 レース終了後、彼はよれよれのジャージ姿で、毎晩のように大声でそう言いながら、とある競馬場の入場門近くで押し寄せる人波に向かい、ビラを配っていた。
 だけどほとんどの人は、彼の身なりを見るや迷惑そうに彼を迂回し、そそくさとモノレール駅の方へと向かった。

 本当に万馬券が当たるのなら、あんなよれよれの格好の訳がない。ばりっとしたスーツを着て、ロレックスの腕時計なんかもしている筈だ。

 どうせイカサマだ! 

 誰しもそう思っていたのだ。
 だけどある日、たった一人だったが、彼を迂回しない人がいた。

 その人は彼同様、よれよれのジャージ姿で彼の前に立ち止まり、すっとビラを受け取り、そのままどこかへと歩いていった。

 そして翌日、競馬場近くにある彼の安アパートの固定電話がリーンとなった。
 ノスタルジックな黒電話だが、彼はケイタイの類が大嫌いで、昔風のダイヤル式固定電話を愛用していたのだ。まあそれはいいのだけど…

 電話を掛けたのは、件のよれよれのジャージ姿で彼のビラを受け取った、まさにその人である。
「当たりますか?」
「見に来ますか?」

 早速その人は、よれよれのジャージ姿で彼の安アパートを訪れた。
「どうぞお入り下さい」

 それから彼はその人に、一枚の馬券のような、シート状の物体を見せ、こう言った。
「これです。〈たられ馬券〉といいます」
「たられ馬券?」
「そうです。良い名前でしょう?」
「よい名前ねえ。う~ん。だけど何の変哲もない、ただの馬券に見えますが」
「見掛けはただの馬券。もっとも、これを券売機に入れても払い戻しは出来ません。馬券の形にしたのは、ただ単にデザインの問題です」
「デザイン?」
「これを持って券売機付近をうろついても、誰も不審に思わない」
「何ですか、これを持って券売機の前で人様に不審に思われるような行動を取るのですか?」
「当たらずしも遠からず。いやいやちがいますよ。だけど、まあいいじゃないですか」
「はぁ?」
「ともあれこれは、とんでもない代物なのです」
「この馬券のような物体が、とんでもない代物?」
「実はこれ、タイムマシンなんです」
「たたた…」
「実は私はず~~~~っと、タイムマシンの研究をやってきました。最初にこれを思い付いたのは中学一年の時だった。中間試験で、あれは国語の試験中でした」
「国語の試験中?」
「そうです。それでそのとき物凄いおならが出たのです」
「おならが? へぇ~」
「そしてそれは物凄い音だったので、私のクラスのみならず、両側の、合わせて3クラスの全員が爆笑したのです」
「3クラスの全員が…、爆笑? そりゃまたわっはっは」
「笑い事ではありません! それで全員が爆笑し、そして国語の試験ができなくなり、そのことに対してPTAから抗議の電話が学校へ殺到したのです」
「はぁ~」
「それで私は、担任はおろか校長にもこっぴどく叱られ、罰として学校中の便所の掃除をやらされたのです」
「それはまたお気の毒に…」
「でもまあ、おならも爆笑も便所掃除もどうでもいいです。で、そのおならが出た、まさにその瞬間、どかんと閃いたのです」
「何を?」
「だからタイムマシンです!」
「へぇ~」
「で、それから数十年間、私は自由な時間が欲しかったので定職にも就かず、バイトをしながら、そのときに思い付いた、タイムマシンの研究に没頭したのです」
「そうだったのですか…」
「そして完成したのがこの〈たられ馬券〉です」
「ええと、タイムマシンを研究して〈たられ馬券〉が出来たのですか? で、そのこころは?」
「だから〈たられ馬券〉はタイムマシンなのです」
「う~ん。何だかよく分からん」
「つまり〈たられ馬券〉はタイムマシンです!だけど実は、私が開発したタイムマシン…つまり〈たられ馬券〉には、致命的欠陥があったのです」
「どんな致命的?」
「通常タイムマシンはどんな時間、それは過去でも未来でも、とにかく自由な時間へ、どぽ~んと移動出来るものです」
「どぼ~んと?」
「ところが私の開発したタイムマシン、つまり、あの大きなおならが出たときに思い付いた、このタイムマシンは、『7分だけ過去へ行ける…』ただそれだけの機能しかなかったのです」
「ただ7分だけ過去へ…」
「そうです。たったの7分です。だから通常そんなタイムマシンは何の役にも立ちません!」
「う~ん…」
「私は猛烈に落ち込みました」
「そうでしょうねぇ。学校中の便所掃除をさせられて、その成果が、たったの7分しか戻れないタイムマシンだっただなんて…」
「あの、このタイムマシン、便所掃除をしながら便所で作った訳では…」
「ああそうでした」
「ところが!」
「ところが?」
「たまたま私は競馬場の近くに住んでいて、時々競馬を見ます。ただ単にお馬さんが走るのを見るのが好きなもんで」
「そうそう。私もそのクチですよ!」
「そうですか。たったかた~っと馬が走るの見るのは楽しいですもんね。それじゃ私たち同士だ!」
「そうですね。同士だ!」
「ええと、それで思い付いたのですが…」
「何を?」
「だからタイムマシンの使い方ですよ」
「そうでしたそうでした。で、どんな使い方?」
「実は私は、このタイムマシンの超小型化と超薄型化に成功したのです。それで、紙よりは少し分厚いけれど、まあ馬券と言って差し支えない形になったと思います。つまり私は、タイムマシンを馬券そっくりにしたかったのです」
「どうしてそんなことを?」
「それは…、競馬の世界ならたったの7分でも過去へ行けるというのは、大きな意味があるということに気付いたからで、そういういきさつで馬券のデザインにしたのです」
「そういういきさつで馬券のデザイン?」
「競馬場の券売機付近で操作するであろうという理由で、タイムマシンはスポーツカーや人力車の如き大それた形では都合が悪いのです」
「はぁ。で、競馬で大きな意味があるというのは?」
「ええと、馬券の発売締め切りは、レース開始の2分前くらいで、レースは2、3分で終わるでしょう?」
「そうですね」
「だからレース終了を見届け、結果が分かったら、とりわけ高配当の馬券が出たら、すかさずこの〈たられ馬券〉のバーコードを指でこするのです」
「バーコードをこする?」
「そこがスイッチになっていて、こするとタイムマシンが作動し、7分前の過去へ戻れます」
「あ、もしかして、それから馬券を買う?」
「そうです。だから〈たられ馬券〉は『たられば』なのです。即ちあの番号の馬券を買っていたら、あの連勝の馬券であれば…」
「なるほどね。それでたられ…」
「馬券です! だけど馬券を買うのにあまり時間はありませんよね」
「そうか。レースが終わって、結果が分かって、それから7分前だったら…」
「そうです。即行で馬券売り場へ行っても、発売締め切りまで2分くらいしかないでしょう?」
「そんなもんでしょうね」
「だからレース終了の頃には、すでに馬券売り場で並んでおく必要があります。7分戻ると発売締め切り2、3分前ですから、きっと混雑しているでしょう」
「そうか。レースの結果は、場内アナウンスでも分かるから、高配当馬券が出たら…」
「そうです。すかさず〈たられ馬券〉を作動させるのです。そして7分前、つまり高配当馬券の出るレースの出走2、3分前に戻り、高配当になるであろう番号の馬券を買う」
「なるほど! だけど高配当馬券にこだわらなくても、全部のレースでそれをやれば?」
「実は〈たられ馬券〉は物凄くエネルギーを使うのです」
「エネルギーを?」
「一回の作動で、落雷くらいのエネルギーが必要です」
「そんなに?」
「だから一回作動させたら、3日間日向に置いて充電しなければなりません」
「充電? 太陽電池でも付いているのですか?」
「直接太陽のエネルギーを吸収するのです。これは特殊なもので、企業秘密です」
「はぁ」
「ともあれ、〈たられ馬券〉の使用には、中三日あける必要があるのです。それと雨や曇りはだめですよ。とにかく3日間日向に置いて充電して、それからレースに臨み、『これは』というレースのときに作動させるのです!」


 それからその人は〈たられ馬券〉を程々の良心的な価格で買い、そして結構当てた。
 ただし、高配当馬券にはあまりこだわらずに、あっさりと最初のレースの複勝あたりで小金を稼ぎ、あとは馬券を買う訳でもなく、指定席で「お馬さん」の走りを眺つつ、のんびりと一日を過ごしたのだ。

 だってずっと券売機付近に張り付いているのもつまらないし…、ああそれと、作動には中三日開けなければ…

 ともあれその人は「競馬で最低限食っていける」くらいにはなった。
 ただし、お金にはあまり興味が無かったので、大金を稼ぐ気は毛頭なかった。

 だからその人は〈たられ馬券〉を一人占めにし、各地の競馬場を荒らしまわり、大金を稼いでセレブのタワーマンションに住んだり、高級車を買ったり、ぱりっとした紳士服や高級時計や高級アクセサリーで身を固め、颯爽と社交界へ…

 ああ、この小説を書いている私もそうなのだけど、その人はそういう類のことには、ぜ~~~んぜん興味が無かったのだ。

 ただ単に安アパートの家賃と競馬場の入場券と指定席券合わせて1100円と、カツオのたたきに焼酎一合と、それ以外の質素な食事代とそれに5年に一度買うジャージ代くらいを稼げばそれで十分だったのだ。

 それではどうしてその人は、〈たられ馬券〉を見に来たのかというと、それは単に知的欲求を満たしたかったからに他ならない。

 要するにその人はお金に興味がなく、謙虚で控え目で、そしてただ単に、たったかた~っとお馬さんが走る姿を観たかったに過ぎないのだ。
 そして実は〈たられ馬券〉を開発した当の彼もまた、その人と似たようなキャラの人物だった。

 そもそも彼は〈たられ馬券〉などという金の卵を産む鶏のような、途方もない物を発明したのだけど、それはただ単に、中学校のときの国語の試験中おならが出た時に思い付いたアイディアを、実現したかったからに他ならない。

 だから彼もその人同様、相変わらず安アパートに住み、つつましい生活を続けていたし、ほとんどの時間はジャージを着ていたのだ。

 そして彼は、中学校の頃から温めていたその素晴らしいアイディアを、まがりなりにも実現出来た現在、とにかくそれを多くの人々に知ってもらい、そして、それを使って欲しくて欲しくてたまらなくて…
 つまり彼はそういうお人よしで、ともあれそういう訳で、毎日わざわざ競馬場の入り口でビラを配っていたという訳だ。

 そして実はビラを受け取ったその人もまた、「一人でも多くの人に〈たられ馬券〉の感動を味わってほしい」などと、殊勝なことを考え始めていたのだった。

 そういう訳で、彼らは「同人」となった。
〈たられ馬券〉がメカ的に好きで、お馬さんが走る姿が好きで、お金には興味なく、そして二人ともお人好しだったのだ。

 ともあれ、それから二人とも〈たられ馬券〉でぼちぼち当て、月10万くらい稼ぎながら幸せに暮らし、そして多くの人に〈たられ馬券〉を使って欲しいと願い続けていたのである。

 そういう訳で、やがて二人はお揃いのよれよれのジャージ姿で、仲良く競馬場の入り口付近でビラを配るようになったのだ。
 より多くの人々に〈たられ馬券〉使って欲しいが為に。

 だけど彼らの身なりを見て、そのビラを受け取る人は誰もいなかった。
 それでも競馬場の入り口では、今夜も彼らの声が響いていた。

「万馬券を当てましょう! 勝ちたくないですか? 絶対当たりますよ~♪」

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