事故で亡くなった若者の検死

文字数 2,079文字

作者注:気の弱い方は読むのをおやめください。

「交通事故で亡くなった人の検死をお願いします」
 警察からの電話が私の勤務していた病院に掛かってきた。そしてしばらくすると、その人はブルーのシートを掛けられ、警察のトラックの荷台に乗せられて病院までやって来た。
 それからみんなでその人を抱え、救急外来のベッドの上へ運んだ。
 そして警察の鑑識の人による検死が始まり、私は立ち会った。
 警察の人の話では、自分の運転していた車が道路脇の、おそらく歩道との境のコンクリートに衝突し横転。その人は車の窓から道路に投げ出され、その直後、自分の運転していた車が、その人の上に乗り上げたらしい。
 発見されたとき、その人は自分の運転していた車の下敷きになって亡くなっていたらしい。
 そして救急外来での鑑識による検死が終わった後、私たちはその人の処置をした。
 体中アザだらけで傷だらけ。何かものすごく大きな力がその人を押しつぶしたのだなと、私は思った。想像を絶する状況。一般の人はこういう光景を目の当たりにしたときにどう感じるのか、想像に難くない。
しかし我々医療従事者は「ああ、若いのに、気の毒に…」とか「せめてこの体を可能な限り元の綺麗な姿に戻してあげよう」と思う。
 我々はこんなことでは決して気が動転などしないのだ。
 それが職業意識ってもんだ。
 もちろんそのとき私はその人を目の当たりにし、自分が何をすべきかを冷静に考えた。
 そしてもはや救急蘇生など全く意味を為さない状況で私が出来ることは、とにかくその人を綺麗な姿に戻し、ご家族にお返しすることだけだった。
 
 その人は二十歳そこそこで、遠距離恋愛中で、何百キロも離れた土地から夜を徹して車を
走らせ、恋人のいる街へと向かっている最中の事故だったらしい。
 きっと居眠り運転だったのではなかろうか。そしてあと数十キロで、彼女のいる街へ到着
する筈だった、だけど私の勤務していた病院の近くで事故を起こしてしまった…
 だけど、もしシートベルトをしていれば、車から投げ出されることはなかっただろう。
 シートベルトさえしていれば…
 
 そんなことを考えながら、私はその人の体を綺麗に、出来るだけ綺麗にしてあげようと、
処置を始めた。
 看護師さんはあらかじめ何百キロも離れた、その人の御両親に電話をしていた。だから
御両親が到着するまでに、その人を綺麗な姿に戻してあげよう、私はそう思ったのだ。
 顔や体や、あちこちの裂けた皮膚を縫合した。縫った糸は見えにくいように、糸はなるべく皮膚に埋没するように心掛けた。
 生きている人なら縫ったところが決して開かないように、糸は表面から見えるように
しっかりと掛ける。いずれ抜糸もしなければいけないし。
 だけどこの人にとってはもはや「縫合不全」などはないのだから、とにかく「見た目」が
綺麗になるように縫ってあげた。
 それから外来にあった生理食塩水で血だらけの髪を洗い、救急外来に櫛などあろうはずも
ないから、私の手でその人の髪を整え、元のイカしたリージェントの髪型に戻してあげた。
 そして血だらけの全身を生理食塩水で浸したガーゼでふきあげると、その人は生前にそう
あったであろう、綺麗な、そして凛々しい姿に戻った。
 それから真新しい浴衣を着せてあげ、両手を胸の前で組ませ紐で縛り、全身に、そして端正なその顔に白い布を被せてあげた。

 それから私は救急外来のデスクで死亡診断書を書いた。
 死亡原因…全身打撲。
 年齢は二十歳そこそこ。
 なんという若さ。
 これからいろんな人生を経験し、多分、遠距離恋愛の彼女との、幸せな未来が待っていた
だろうに。
 そう思うと私はいても立ってもいられなかった。
 どうしてシートベルトをしていなかったのか? 車から投げ出されさえしなければ… 
 警察の人の話では、少なくとも車は原型をとどめていたそうだから。

 それからしばらくして、御両親が病院に到着した。
「息子さんは事故に遭い、現在こちらの病院にいます」
 看護師さんは家族にそれだけを告げていた。生きているとも死んでいるとも告げなかった。
 本当のことを言えば気が動転し、何百キロもの夜道を猛スピードで走ってくるかもしれない。  
 途中で事故でも起こせば大変だ。
 そのことを慮り、看護師さんは御両親に簡潔に「事実」のみを伝えたのだ。
 その看護師さんは「空気が読める」立派な人だと思った。
 さすがベテランだと思った。

 そしていよいよ、救急外来にご両親が着いた。
 御両親は、少し心配そうな顔で言った。
「あの、息子はここだとお聞きしたのですが…」
 それで私が、
「息子さんはそのカーテンの向こうにいます」
 そういうと、御両親は心配そうにカーテンの向こうへと歩いた。

 私はその様子を見ていて、辛くて辛くて、いたたまれなかった。
 それに、家族だけの時間を作ってあげようとも思い、それで救急外来のデスクを立ち、席を外すことにした。
 そして救急外来を出て、ドアを閉めようとしたそのとき、私の耳に、母親の声が聞こえた。
「あ~~~!」
 その声は永遠に、私の頭から離れない。

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