猫の惑星のぴゃーさん 中

文字数 4,546文字

   4
 その翌日、ぼくのいるおりは一つだけずれて、ガス室の一つ手前になった。
 だから明日ぼくは殺される。
 朝ごはんの後、となりのおりの類人猿たちはガス室に入れられ、全員殺された。
 死んだ類人猿は、猫公務員らが一人ずつ袋に入れ、猫車でどこかへ運んで行った。
 もうどうしようもない。
 明日ぼくは、同じおりにいる類人猿といっしょに、ガス室で殺されるのだろう。
 だけどぼくは不思議なくらい冷静で、死ぬ覚悟も出来ていた。
 だって人間の世界では、犬や猫が、明日ぼくがされるのと同じように殺されている。
 ぼくがこうしている今、この瞬間も。
 だったら「お互い様」じゃないか! 仕方がない。
 ぼくがそういう風に自分を納得させたのだ。
 とてもとても辛かったけれど…
 だけどその日。
 ぼくが殺される予定の一日前のこと。

 一匹のきれいな長毛の猫がやって来て、おりの外からぼくらを見ていた。
 銀色に白が混ざった、きれいな毛並みの猫だった。
 凛々しい顔で、緑のつぶらな瞳で、その猫はぼくらをじっと見ていた。

 そのときぼくは、なぜかぼくがお父さんに連れられて保健所へ行き、殺処分寸前の猫を引き取ったときのことを思い出した。
 ぼくはお父さんと一緒に、おりに入れられた猫たちの中から、可愛くて懐きそうな仔を選んで、それから保健所の人が用紙を出して、それには「終生責任を持って飼育することに同意します」というようなことが書いてあり、お父さんがそれにサインをして、そしてその仔を連れて帰った。
 なぜだかぼくは、そのときのことを思い出したんだ。
 そしてその長毛のきれいな猫は、しばらくの間おりの中にいる類人猿たちや、ぼくを見て、だけどそれから食い入るようにじっとぼくを見て、そして保健所の公務員猫に何かを言うと、公務員猫から書類をもらい、猫の手で器用に文字らしきものを記入しているように見えた。
(もしかして…)

 それからしばらくして、ぼくのいるおりの入口のカギが開けられ、公務員猫が少しだけ中に入り、ぼくを呼ぶような仕草をした。
 同時にその長毛の猫もいっしょにのぞき込み、そしてその長毛のきれいな猫は何と、
「おいで」と、人間の言葉をしゃべった。
 それでぼくはとても驚いて、それからその長毛の猫に近づき、思い切って甘えるような仕草をしてみた。
(もしかしたらこのきれいな猫が、ぼくの里親になってくれるかも知れない…)
 ぼくは期待に胸を膨らませた。

   5
 それからぼくは無事、その長毛の猫に里親になってもらうこととなった。
 ぼくは、ぼくがちょうど入れるくらいのかごに入れられ、その長毛の猫が運転してきた猫車に乗せられ、その猫の家に着いた。
 そしてぼくはその猫の家の中で自由にしてもらい、すぐに食べ物と新鮮な水がもらえた。お腹が減っていたので、ぼくは夢中でその「人間フード」を食べた。
 ぼくが食べ終えると、そのきれいな猫はぼくに話しかけた。

「私は、『ぴゃー』という名の猫よ。よろしくね。ところであなたは、人間でしょう。だからちゃんと名前があるはずよ」
「名前? うん。ぼく、コウジっていうんだ」
「そう。コウジ君ね」
「やっぱりあなたは人間の言葉を話せたんだね!」
「私は人間の言葉が話せる、多分、唯一の猫なのよ」
「唯一の?」
「そうよ」
「だから、保健所でぼくに『おいで』って言ってくれたんだ!」
「そう。あなたが私のところに来るように、そう言ったの」
「そうかぁ」
「それから私、ここで何匹かのエイプの里親をしているの」
「エイプ?」
「あなたに近い種類の生き物よ。類人猿ともいうでしょ。でも私たち猫はあの類人猿を『エイプ』と呼んでいるの。サルの仲間ね。でも彼らは遠い遠い昔、『人類』と呼ばれていたの」
「人類?」
「そう。彼らはその遠い遠い昔、高度な文明を築いていたの。だけど退化して、あんな姿になって、言葉も失って、そしてここで『野良エイプ』として生きているの」
「言葉を失った?」
「そう」
「で、退化した?」
「そうよ」
「そうなんだ…」
「うん」
「そうか。だから野良エイプなんだ。彼ら、公園とか路地とか街なんかにもいたよね。ゴミ箱をあさったり、ゴミを捨てたりしてね」
「そう。彼らは街や路地や公園なんかにいるの」
「うん」
「それで、野良エイプが増えすぎるとゴミ箱をあさったり、中には気の荒いエイプが私たち猫にケガをさせたり、そして街を汚したりするの」
「ぼく見たよ。エイプが猫から食べものを奪うの」
「そう。それはよく見かけること。それに、私たち猫に病気なんかを運んでくるかも知れないし。だから保健所の公務員猫が彼らを駆除するの」
「駆除?」
「そうよ。餌を仕掛けたかごで彼らを捕獲して、保健所に連れて行かれ、何日かしたら、かわいそうだけど、殺処分されるのよ」
「じゃ、ぼくもエイプと思われて、殺処分されるところだったの?」
「多分そうね。だけどね。エイプが好きな猫もいるのよ。私もそうだけど、そういう猫が殺処分前のエイプを引き取って、里親になるの。だけどそうしてもらえるのは、おとなしそうで、猫に懐くエイプだけ。そういうエイプなら一緒に暮らせるの」

 そんな話を聞いて、それからぼくはぴゃーさんの部屋の中を見渡した。
 確かに優しそうなエイプたちが、ソファーなんかでくつろいでいた。
 大人のエイプが仔エイプを抱っこして、毛づくろいをしてあげていたり…
「彼らは本当の親子じゃないの。どちらも私が保健所から保護したのだけど、今では親子みたいに仲良しなの」
「そうなんだ」
「だけどそうやって飼いエイプになれるのはごく一部」
「飼いエイプ? そうか。ここにいるエイプたちは飼いエイプだよね。それじゃぼくは『飼い人間』?」
「コウジくんは立派な人間だよ」
「人間? うん。そうだね。ぼく、人間だよね!」
「だけど私、今日、偶然保健所へ行って、あなたを見付けて、そしてすぐにあなたのことをエイプではなくて、人間だとわかったの。だから私、とても驚いた」
「でも、どうしてぼくが人間だと分かったの?」
「あなたはエイプとは全然違うわ。きれいな洋服を着ているし、一目見て、エイプとは知性が全然違うと分かったわ」
「知性が?」
「そうよ。そして私は人間…、つまり人類のことを知っているの。一般の、もちろん保健所で働いている公務員の猫たちもみんな、そのことについては何も知らないけど」
「何も知らない?」
「そう。だからあなたを、エイプと一緒に殺処分しようとしたし」
「ねえ、どうして人類のこと、あなたしか知らないの?」
「それは…、実は私、考古学者なの。でも、異端とされているけどね」
「異端?」
「そう。そして私はこの星、私たちのサファイア星の歴史を調べているの。十万年も前の歴史よ」
「サファイア星?」
「あ、でもサファイア星は地球のことよ。だけど私たち猫の文明ではそう読んでいるの。青くてきれいな星だから」
「そうかぁ。サファイア星か。すてきな名前だね」
「あなたにはたくさんお話しすることがあるみたいね。いいわ。せっかく私の家に来たのだから、今夜はたくさんお話しましょう」

  6
 それからぼくらはいろんな話をした。ぼくがぴゃーさんに保護されるまで、ぼくがどうしていたかとか、そしてぴゃーさんも、ぼくにいろんな話をしてくれた。
 ぴゃーさんの話によると、十万年前、ぼくたち人類は核戦争か大規模な放射能事故で滅亡したらしい。
 ぴゃーさんが十万年前の地層を調べたら、ものすごい放射能と、おびただしい数の人間の化石が見付かったそうだ。
 それから長い長い時間が過ぎ、人間に飼われていた猫たちが地球を支配するようになったらしいんだ。
 それは昔、人類が絶滅する少し前に、人間に飼われていた飼い猫の中に…そのころにはすでに大量の放射能があったらしいのだけど…、その放射能の影響で、突然変異をした飼い猫が生まれたらしく、その猫は物凄い知性と大きな体を持ち、二足歩行をし、器用に「手」を使うことも出来たらしい。
 そしてその猫は子孫を残し、それから十万年の時が過ぎ、この新種の猫たちは地球、つまりサファイア星を支配し、ここに高度な文明を築いた。
 一方、ごく一部に生き残った人類は、猫の支配する地球上で細々と生き延び、退化し、知性を失い、言葉を失い、野生化し、現在この猫の世界で「野良エイプ」として猫社会に共存、いや、寄生しているらしかった。
 そして理由は分からないけれど、どうやらぼくはこの十万年後の世界に紛れ込んでしまったらしいんだ。
 お父さんと公園を散歩していて、クワガタを捕まえようとしたその瞬間に、カシの木の根元に開いた黒い穴に吸い込まれて…
 それからもぼくらはいろんな話をした。

「でも、どうしてぴゃーさんは人間の言葉が話せるの?」
「このサファイア星…、地球のことね。そこで人間という生き物のことを知っているのは、たぶん私だけだと言ったでしょ。そして私は人間の言葉を知っているの」
「ぴゃーさんだけ?」
「多分そうよ。私は考古学の研究のため、いろんな地層を調べていたの。そして十万年前のある地層から、ここにいるエイプとよく似た化石を見付けたの。それもおびただしい数。だけど頭骨の大きさから、とても高い知能を持っていたと考えられたの」
「それってもしかして?」
「きっとあなたたち人類よ。そして人類が使っていた道具や、いろんな文字や、いろんな資料なんかも見付かったの。だけどおびただしい数の人間の化石が一度に見付かったということは、それは…、コウジ君、それは何を意味すると思う?」
「それは…、ええと、うーん。たくさんの人間が一度に死んじゃった?」
「そうよ。きっと滅亡したのよ。そして私はその原因を調べていたのだけど、その頃から、なぜかその地層を調べた後、家に帰ってから、体がけだるくなったりすることが続いたの」
「体がけだるく? どうして?」
「それで、その原因をいろいろ考えていくうちに、このけだるさは放射能の影響じゃないかって考え始めたの。それである日、発掘現場に放射能を測る線量計という機械を持って行って測定したら、ものすごい放射能が検出されたの」
「ものすごい放射能?」
「そう。そして、その地層から出る放射線を調べてみたら、アルファ線という放射線だったの」
「アルファ線?」
「そうよ。そしてそれを出すのはプルトニウムという放射性物質なの」
「プルトニウム?」
「そう。プルトニウム。そしてそれを吸いこんだら、肺癌になる危険があって、つまりそれは猛毒なの」
「じゃ、ぴゃーさんはそのプルトニウムを吸い込んだの?」
「そうよ。そして私は、この地層は決して掘ってはいけないと気付き、元どおりに埋め戻して、その地層のことは永遠の秘密にしたの。もしほかの猫が掘ったらそれこそ大変なことになると思って」
「そうなんだ…」
「だからそのことは私しか知らないし、もちろん人類のことも私しか知らないの」
「そうだったんだ…」
「それとね。その地層の資料から、人類が核戦争で滅びる少し前に、放射能の影響で突然変異して生まれた、物凄い知性を持ったその猫が、人類についてのたくさんの資料を残していたの。それは猫語と、そして人間の言葉で書いてあったの」
「それでぴゃーさんは、人間の言葉を…」
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