第33話 蒼龍
文字数 2,508文字
おかしな話だ。後から生まれたのなら弟ではないのか。
内に湧く疑問など見通しているのか、男は瞳に憎しみを湛えたまま、口元の笑みを濃くする。
「理由は定かではありませんが、双子の場合、先に生まれた方を弟とするのだそうです」
言われてみればと、随分以前に聞いた話を思い出す。
母親の胎内、奥深くにいる方が繋がりが強いとか、兄の露払いのために弟が先に生まれるだとか、諸説あるが――いずれにせよおかしな道理だと思った。
天涯孤独の身、自分には関係のない話と、今まで気にも留めていなかったけれど。
「それを知らなかった父は、あなたを弟だと思った。また、双子の存在は厭われている。それで弟と思われたあなたが、邵家に養子に出されたのです。――けれどその後、後から生まれた方が兄と知った父は、邵殿に取り替えを依頼した。我々が七つのときです」
勝手な話だ。七歳ともなれば、すでに自我はある。双子であることも知られてはならぬ状況では、取り替えた後は違う人物を演じなければならない。長きに渡るはずの生涯を別人として歩めというのは、酷だ。
邵が断ったのは、子供達を不憫に思ったのではないだろう。月龍に愛着を抱いていたわけでもない。
七つといえば、月龍はすでに亮の傍にあった。入れ替わりが成功する可能性は限りなく低く、失敗による不利益を考慮した結果なのだろう。
「邵殿に断られてもなお、父は家を継ぐのは長子でなければならないと申しております。それであなたに、お戻り頂きたいと」
そのために、自分が迎えに来た。
語られる言葉に、違和感を覚える。
筋は通っているのかもしれない。だが不自然だった。
男の話を信じるのならば、双子であることを知られぬ前提で話を進めなければならない。月龍が薛に戻れば、彼の居場所がなくなるということだ。
この年になって、入れ替わりもないだろう。
わざわざ、自らを窮地に陥れるためにやってくる者など、いるはずがない。
「ごめんなさい、月龍」
僅かに身を離した蓮が、月龍の袖を小さく引いた。
「あの方のこと――家のこと、黙っていて。けれど
「蒼龍?」
「私の、
眉間に力が入る。
胡散臭い。顔が同じとはいえ、離れて育った兄弟の字まで似る偶然など、ありえない。
蒼龍と名乗った男は、笑みを刻んでいた口の端を更に吊り上げる。
「元々は違う字だったのですが――あなたの名を知り、変えました」
「名を似せるほど、あなたのことが大好きなのですって」
蓮は嬉しげに笑うが、到底そうは思えなかった。むしろ当てつけと考える方が自然だ。
蓮や月龍に向ける笑みも、一見優しげではあるが薄ら寒さを禁じ得ない。
蒼龍が、両腕を広げる。
「ずっとあなたに会いたかった」
如何にも感極まった、という口調だった。
なにをしようとしているのかはわかる。触れられたくない。けれど身が強張るばかりで、逃げることもできなかった。
身動ぎもできない相手を捕まえるのは容易い。硬直したまま、蒼龍に抱き寄せられる。
瞬間、ぞくりと背筋が冷たくなった。
男に抱き竦められた気色悪さではない。接した頬から伝わる、生温い体温のせいでもない。
耳元に吹き込まれた、囁きが。
「同じ人間は、二人いらない。偽者はどちらだろうな?」
低い声が発したのは、悪意に満ちた言葉。
心臓が凍りつく寒さだった。
咄嗟に蒼龍の胸を突き飛ばしたのは、本能的な自己防衛であろうか。
愕然と見つめる先で、蒼龍は困ったように笑っている。
寂しげに見える表情の裏に滲み出るのは、怒り、憎しみ、敵意――負の要素がちりばめられた、暗い光だった。
「月龍?」
どうしたの、と蓮が不思議そうに首を傾げる。蓮に聞こえないように、わざわざ耳元で囁いた蒼龍の姑息さに気付かざるを得なかった。
初めて会った生き別れの弟を突き放した月龍を、蓮の目に酷薄と映させるためだったのだ。
「仕方がない。突然のことに兄上が戸惑われるのは、当然だ」
言葉が出ない月龍に変わり、蒼龍が放ったのは白々しい台詞だった。一気に嫌悪感が増す。
「でも――お寂しいでしょう? あんなに会いたがっていたのに……」
「ああ、心配してくれたのか。大丈夫。すぐに受け入れてもらえるとは思っていなかったから――覚悟は、していた」
まるで健気な弟だ。先程の宣戦布告を聞いていなければ、騙されるかもしれない。
蓮がすっかり、信じ込んでしまっているように。
心配げに見上げる蓮と、安心させるかのように微笑む蒼龍。
見つめ合う二人の姿に、ちくりと胸が痛む。
「ありがとう、蓮」
蓮――蒼龍がそう呼んだことが、決定打となった。
反射的に体が動く。蓮を背後に隠し、蒼龍の胸倉を掴み上げた。
「気安く呼ぶな」
月龍は名を呼び捨てるだけで数ヶ月を要した。なのにこの男は、易々と蓮と打ち解けたのか。
否、同じように時間をかけたのかもしれない。
――月龍の知らぬところで、ずっと会っていたのかもしれないのだ。
至近距離にあった蒼龍の顔に、驚きが浮かぶ。だがすぐに、面白がるような笑みに変わった。
「けれど、蓮がそう呼んでほしいと――」
「黙れ!」
再び口にされた名前が起こさせた衝動の前に、理性は無力だった。叫ぶよりも早く、蒼龍に拳を叩きつける。
蓮の口から、小さく悲鳴が洩れた。
「月龍、どうして――」
続けられるだろう非難を遮るために、蒼龍の胸を離す。投げ捨てるような動作の反動で、蒼龍の体は地面に叩きつけられ、倒れ込んだ。
「月龍!」
名を呼ぶ蓮の声に、咎めの色が濃い。
それがまた、気に入らなかった。
誰のせいでこれほどの不快を覚えているのか、わからないのだろうか。
月龍にだけ見せる蒼龍の敵意、そして蒼龍に見せる蓮の好意的な態度。
出自を知った困惑や蒼龍への嫌悪より、蓮に関する嫉妬心が最も強いのに。
蒼龍に駆け寄ろうとした蓮の腕を掴み上げると、引きずるようにして歩き始める。
蓮が幾度も振り返るのには気づいていた。
それ程あの男のことが気になるのか。
腕を掴む手には更に力が入り、足を速める。それは体の内で燃えるような熱を発する、怒りのためだった。