第45話 決意
文字数 2,083文字
天から降り落ちてくる雪の白さが、暗闇の中の微かな光明だった。
寒い冬の日。窓の外、風流とも呼べる光景に、しかし月龍は注意を向ける余裕はなかった。
蒼龍が月龍の前に姿を現してから、二カ月近くの月日が過ぎていた。
表面上、穏やかな時間が流れていたともいえる。水面下では
蒼龍への警戒は、怠っていない。衛兵や従者に尋ねても、蒼龍が近づくことすらあの日以降はないという。
もしやって来たとしても、もう従者は通しはしないだろうが。
それはきっと、蓮も同じだ。
隠すことなく怒りを蓮にもぶつけ、さらには従者や衛兵への不満として彼女に聞かせた。
心優しい蓮のこと、自分のこと以上に、彼らが叱責される事態を避けたく思うはずだと推測をして。
功を奏して、蓮は蒼龍の話題を自分から口にすることはほぼなくなった。
最初の頃は時折、和解を促すようなこともあったが、月龍が不機嫌な顔を作って見せると、すぐに口を噤む。
蓮と過ごす日々は、おおむね月龍の希望通りになったと言えた。
もう蒼龍は二人の間に入り込む隙はない。唯一不満があるとすればやはり、亮とのことだった。
仕方がないと諦めている部分もある。亮の存在なくして、今の蓮はない。訪ねて行くのも、彼の話題が上るのも当然だとは思っている。
それでも、二言目には亮の名を口にし、時間を見つけては亮に会いに行ってしまう。
亮も亮だった。忙しいだのあまり訪ねて来るなだのと口では言うが、実際に蓮の訪問を受けると、嬉々として歓待する。
彼らの仲に疚しさがないことは承知していても、面白くはなかった。
不満と不安が抑え難くなったとき、月龍は決まって、蓮に別れ話をするようになった。
別れを切り出せば、蓮が泣いて縋ってくれる。そのあと、ほんの一言優しい言葉をかけただけで喜んでくれる。肌を合わせて体温に寄り添えばまた、月龍に満足を与えてくれる。
もはや蓮の気持ちを確かめるためですらない。ただ想われる幸せを、目に見える形で見たいというだけだった。得られる反復的な快感に、中毒にでもなっているのかもしれない。
知っているのだ。いくらそのような自分勝手をしても、蓮は必ず許してくれる。激しい自己過信であり、蓮への甘えなのかもしれなかった。
――けれど、今日はいつもとは違う。
帰るなり、待ってくれていた蓮に別れを告げる月龍の胸には、決意があった。
「――どうか、お傍にいさせてください」
抱きついてきた蓮の肩を掴んで、引き離す。
おれと別れてほしい、理由も告げずに言い放つのとほぼ同時、蓮の瞳にはみるみる涙が溜まった。
この反応は、わかっていた。今までと同じだ。不安に駆られて別れを言い渡す、反射的に蓮が涙を流して縋りつく。
月龍を満足させるための、
「君の気持ちなど、知ったことではない」
できるだけ冷徹に聞こえるように、言葉を選んだ。
「おれは、君の身分が欲しかった」
涙に暮れる蓮を見ていることができなくて、顔を背ける。目を固く閉じ、眉間の皺も自覚した。辛い心情の表れなのだが、怒気にもきっと見えるはずだ。
「外戚筋の公主を娶れば、おれも覇権を握られると思っていたが、もうお王朝は終わりだ。
だから、別れてくれ。
重ねて口にしながら、矛盾はないはずだと頭の中で反芻する。
実際、月龍の想いは別として、周囲にはそう見られているのは事実だった。卑しい成り上がり者が身分を求めて高貴の女に近づく――古来よりよく聞く話だ。
「――嘘」
消え入りそうな呟きが洩れて、月龍はそっと、瞼を押し開く。盗み見る月龍と、目も合わない。泣くことも忘れたのか、愕然と見開かれた蓮の瞳が、虚空を見つめていた。
「嘘ではない。信じようが信じまいが、それが真実だ」
胸が重くて、息苦しい。
深く息を吸い、ため息の代わりに、ははっと乾いた笑いを吐き出した。
「幸い、おれは薛の長子だという。薛侯も、おれに跡を継いでほしいと言っているそうだしな。――そこは、蒼龍とおれの和解を進めようとしてくれた、君のおかげか」
「では――蒼龍と、和解できたのですか」
「話をする余地ができた、というだけだ」
真実味を持たせようと出した蒼龍の名に、蓮が食いつく。
別れ話の最中だというのに、あの男の名には反応するのか。自分が口にした話題のくせに、苛立ちが浮く。
「――ともかく、薛は商寄りの諸侯だ。あちらで名家の娘でも娶れば、出世の算段はつく」
よほど蒼龍のことが気になるらしいなと、浮かびかけた皮肉を飲みこむ。嫉妬など見せては、月龍の気持ちを語るのと同じだった。
「出世がお望みなら――私はやはり、あなたのお役に立てると思います」
口元を押さえる手が、震えている。けれど掠れた声には、はっきりと決意が見えていた。