第32話 出自

文字数 1,617文字


 蓮の隣りにある月龍の姿を、何故月龍自身が他人の目で見ているのだろう。
 愕然と目を見開き、ただ立ち尽くす。

「迎えに来てくださったの?」

 月龍を見つけると、蓮はなんのこだわりもなく笑う。無邪気な表情と口調は、まるで子どもだ。まろぶように駆け寄って来ると、棒立ちになった月龍に飛びついてくる。
 蓮を抱き止めることもできず、愕然と男の顔を見つめていた。

 通りの向こうにいれば、姿身でも置いてあるのかと思うだろう。
 けれど鏡などではない。面立ちは酷似していたが、月龍にあのような装飾品は似合わなかった。
 なによりもその顔に刻まれた笑み。妖艶さを醸し出す微笑の優美さは、月龍とはかけ離れている。
 ざりっと、男の足音が聞こえた。体ごと向き直り、足が踏み出される。その分、月龍は後退した。
 男の目が細められる。

「お初にお目にかかる――兄上」

 男が発した声はやはり、月龍と同じだった。予想できてはいたけれど、いざ耳にすると怖気が走る。

「本当はもっと早く会いに行かなければならなかったのでしょうが――私の顔は、ご覧の通り」

 微かに苦味を含んだ笑みが、口の端に閃く。自らの頬に手をやる仕草が、妙に艶めかしかった。

「初めて遠目であなたを見たときは、心臓が止まるかと思いました。まるで自分自身がそこにいるようで――双子の兄弟がいると知っていた私ですら衝撃を受けたのですから、突然姿を現しては、兄上を混乱させるばかりかと」

 双子の兄弟。男はさらりと、重大な単語を口にした。
 確かに、この似方は異常だった。そうでもなければ、説明がつかないほどの類似ではある。
 兄弟がいると知っていたこの男は、出自も知っているのだろうか。
 ならば生涯わからぬと思っていた月龍の出生も、わかる。
 見えない拳が胸を打ち続けているかのように、痛みが心臓に走る。呼吸もままならない。息を吸っているのか、吐いているのかさえ定かではなかった。

「折りを見て、彼女に仲介を頼むことになっていたのです」

 嘘だ。直感が否定を叫ぶ。突然現れては驚きもするし、混乱もするだろう。
 だが「折り」とはいつだ。どのような時期であれば、困惑させずにすむと言うのか。
 まして、男の表情。余裕を刻んだ笑みは、月龍が受けた衝撃を楽しみこそすれ、同情などとは程遠いところにある。
 挑発的な光を瞳に乗せて、男は続けた。

「あなたを養子に出す時、父は邵殿と約束したと聞いています。あなたの出自を、絶対に他言しないこと、と。邵殿は、その約束を守っていたのですね。周囲だけではなく、あなた自身にも話していなかったとは。――もっとも、知れば近付きたくなるかもしれない。そうなればもう一つの条件、あなたを(セツ)家には近寄らせない、との約束を違えることになるから、あえて教えなかったのでしょうが」

 長々と続くのは、思わせぶりな調子。自分とよく似た顔、声が紡ぐ饒舌ぶりに辟易とし――
 薛家。男が口にした名に、ようやく気づく。

 薛は、北方の諸侯だ。政情に疎く、また、まるで関心のない月龍でさえ名を知るほど、有力だった。
 薛候を父と呼ぶこの男が双子の兄弟と言うなら、月龍にも貴族の血が流れているのか。

 否、それはおかしい。
 男は、月龍を兄と呼んだ。もし二人が薛家の子息であったとして、どちらかを養子に出すのならば弟だろう。あえて嫡男を外に出すとは考え難い。
 ならば何処かの双子を、薛と邵、それぞれ一人ずつ養子に出したのではないか。
 それもない。兄と弟では扱いが違うのは当然で、より兄の方が尊重される。ならば宦官などではなく、諸侯の方に兄を差し出すはずだ。
 何より男の口ぶりからは、薛家から養子に出されたとしか思えない。

「――何故」

 兄が養子に出されたのか。近付いてはならぬ月龍に会いに来たのか。問いかけは、喉の奥に張り付く。
 男の目に浮かぶ、憎悪の色に気圧されて。

「あなたが、後から生まれた兄だったからです」

 男が発したのは、不思議な言葉だった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

月龍《ユエルン》

古代中国、夏王朝の武官。

武に関しては並ぶ者なきと評される腕前。

無愛想で人の機微に疎い。

有力な宦官の孫として養子に入る。出生に秘密あり。

蓮《レン》

王の姪。王子の従妹。

穏やかだけれど型破りなところのある、小柄な少女。

月龍との出会いで、人生が一変する。


亮《リーアン》

夏王朝の第一王位継承者。

蓮のいとこ、月龍の親友。

亮を出産時に母が死亡し、妃を溺愛していた父王からは仇のように嫌われている。

絶世を冠するほどの美青年。頭脳明晰。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み