第114話 恐慌

文字数 1,092文字


 痛み、苦しみにしか反応しない蓮。
 そしてふと、気になった。

「――亮は、君をどう抱いた?」

 最中に尋ねたことがある。どうせ心を通わせられないのならば、せめて体だけでも「睦み合っている」錯覚に溺れたい。
 望まれていないのだとしても、快楽を分かち合えたらまだしもいいのではないか。
 問いかけに、蓮の身が竦む。

「申し訳ございません」

 謝罪と共に、月龍の腕から逃れようとする。久しぶりに見せた抵抗と怯えだった。

「違う。責めているのではない」

 安心させようと、できるだけ優し気な声を作った。亮ならばきっと、そうする。

「亮のときは感じたのだろう? おれも君に、悦んでもらいたいだけだ。だから教えてくれ。同じようにする」

 耳元に囁きかけても、蓮は身をよじるだけだ。逃げようともがく姿に、不意に思いつく。

「それとも、楊の方がよかったか?」

 楊闢は好色だ。亮以上に女に慣れている。年季の入っている分、房中術には長けているのかもしれない。
 もしそうだというなら、楊闢の真似でもいい。蓮が悦んでくれるなら、矜持もいらない。

 だが月龍が口にした楊闢の名に、蓮は恐慌状態に陥ってしまった。
 いや、ごめんなさい、やめて、助けて――半狂乱で泣き叫ぶ蓮を、結局は力で押さえつけて犯すだけになる。
 これならばまだ、無反応の方がいい。あの薬を飲めば身体的にも満たされるし、幻の中で幸せそうに抱きついてくる蓮を見ることができる。

 ――一層のこと、蓮に薬を飲ませてしまおうかとも考えた。
 あの威力には抵抗できまい。薬を飲ませたあとに抱けば、強制的に快感を味わわせることができる。

 思い留まったのは、薬の強さを身をもって知っているからだった。月龍の屈強な体をもってしても、使い方を誤れば死ぬと言われている。
 蓮の、か弱く小さな体を考えれば、たとえ死は免れても異常をきたす可能性が高い気がした。

 蓮を壊すくらいならば、自分が壊れた方がまだいい。

 薬は幸せな夢をもたらしてくれる。柔らかな笑みを浮かべて、幸せそうに腕の中で眠る蓮――目を閉じて浸る幻に、現実に感じる蓮の温もりが重なる。

 なんの解決にもならない。無益なだけではなく、有害だ。
 わかってはいても、もう止められない。現実から逃れて浸る、蜜のように甘い悪夢だけが、月龍の細い神経を繋ぎ止めていた。

 朝まで眠れていればよかったのだけど、夢からも薬からも醒めてしまった。青白いだけではなくやつれた蓮の顔に、虚しさが掻き立てられる。このまま再び眠りに落ちるのは、不可能だった。
 蓮を起こさないようにそっと、体を起こす。枕元の卓に置いた小さな棚――その中の薬へ、再度手を伸ばした。
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登場人物紹介

月龍《ユエルン》

古代中国、夏王朝の武官。

武に関しては並ぶ者なきと評される腕前。

無愛想で人の機微に疎い。

有力な宦官の孫として養子に入る。出生に秘密あり。

蓮《レン》

王の姪。王子の従妹。

穏やかだけれど型破りなところのある、小柄な少女。

月龍との出会いで、人生が一変する。


亮《リーアン》

夏王朝の第一王位継承者。

蓮のいとこ、月龍の親友。

亮を出産時に母が死亡し、妃を溺愛していた父王からは仇のように嫌われている。

絶世を冠するほどの美青年。頭脳明晰。

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