第177話 理解不能
文字数 1,393文字
蒼龍もまた、月龍の言葉を否定しなければならないはずだった。蓮に近づいたのは月龍への復讐のためだったと。
けれど、言えなかった。これ以上自分を偽ることなど、できない。
蓮は、月龍が愛していい女ではなかった。倫理観ではなく、復讐の道具として扱うためには、情など傾けない方が都合はいい。
実際、蓮のことは気に入らないと思っていた。蒼龍を別人と見抜くのは、月龍に心底惚れこんでいるせいだ。しかも、いつも蒼龍の調子を崩しては目論見を失敗させる。
こんな女、大嫌いだ。幾度もそう思った。
だが、月龍に惚れているのが面白くないのは嫉妬だった。調子を崩され、危害を加えられなかったのも、想いをかけていたからではないのか。
疑念は、蓮が死んだかもしれない状況で受けた衝撃の強さが、確信に変えた。
そして、蓮の鋭さにも気づかされていた。
まだ出会ったばかりの頃だ。蒼龍と名乗ったとき、名を似せるほど月龍のことが好きなのねと笑顔で言われた。
あのときは、なにを莫迦なと憤ったけれど、今にして思えば真実だったのだろう。
まだ見ぬ兄の幻影と比べられ、苦しめられてきた日々。だがその兄もまた、身元がわからぬせいで苦汁を舐めさせられたのだと言う。
環境は違えど、似た境遇で育った兄、月龍に、本当は親近感を覚えていたのではないか。
愛憎とは紙一重のところにあり、自分では月龍を憎んでいるつもりだったけれど、逆だったのかもしれない。
そうだ。本当に嫌いならば関わらなければいい。せっかく薛 から出奔したのだ、どうせ権力もなにも得られないのならば、さっさと誰も知らぬ土地に行ってしまえばよかっただけの話である。
なのにそうせず、復讐などと理由をつけて会いに来た。
奥底にあった蒼龍の本心を、蓮は見抜いた。自分では気づきたくもない真相を突きつけてくるからこそ蓮を苦手だと思い、気に食わないと錯覚したのだろう。
蓮の心を奪ってやろうと考えたのは、復讐のためなどではなかった。初めて会ったときから、蒼龍こそが蓮に心を奪われていたのだろう。
長い沈黙を経て、蒼龍はようやく、重々しく首肯した。
「お前が気に病むことはない。悪いのはおれだ。おれの自制心のなさが、すべてを壊した」
「しかし」
「亮に言われた。蓮が身籠った子供の父親がたとえ誰であっても蓮の子であることに違いはない。何故お前は愛してやれなかった、と」
「それは――ただの綺麗事だ。殿下は、自分のことではないからそう言えたに過ぎない。多かれ少なかれ、あなたと同じように――」
「亮は立派な男だ」
くすりと笑みを洩らして、月龍は続ける。
「あいつなら言った通り、蓮を愛し抜いただろう。それができなかった時点で、おれは亮に負けた」
「月龍」
「そしてお前にも負けた。蓮はそれほどまでに想ってくれる亮を拒んでまで、お前への愛を貫こうとしている。おれの入り込む隙などない」
優しく笑う月龍の顔が、奇妙なものに思えてならなかった。怒りでも憎しみでも悲しみでもない。ただ静かな笑顔は、月龍らしくないものだった。
無理をしているからだ。そうやって表情を固め、感情を押し殺しているのだろう。
「けれど蓮の傍を離れて生きてなどいけない。それで戦死を条件に、結婚してほしいと縋った」
ここで最初の話に戻るのか。過程を説明されて、ようやく月龍の心情を知る。
もっとも、知っただけで理解できたわけではないけれど。
けれど、言えなかった。これ以上自分を偽ることなど、できない。
蓮は、月龍が愛していい女ではなかった。倫理観ではなく、復讐の道具として扱うためには、情など傾けない方が都合はいい。
実際、蓮のことは気に入らないと思っていた。蒼龍を別人と見抜くのは、月龍に心底惚れこんでいるせいだ。しかも、いつも蒼龍の調子を崩しては目論見を失敗させる。
こんな女、大嫌いだ。幾度もそう思った。
だが、月龍に惚れているのが面白くないのは嫉妬だった。調子を崩され、危害を加えられなかったのも、想いをかけていたからではないのか。
疑念は、蓮が死んだかもしれない状況で受けた衝撃の強さが、確信に変えた。
そして、蓮の鋭さにも気づかされていた。
まだ出会ったばかりの頃だ。蒼龍と名乗ったとき、名を似せるほど月龍のことが好きなのねと笑顔で言われた。
あのときは、なにを莫迦なと憤ったけれど、今にして思えば真実だったのだろう。
まだ見ぬ兄の幻影と比べられ、苦しめられてきた日々。だがその兄もまた、身元がわからぬせいで苦汁を舐めさせられたのだと言う。
環境は違えど、似た境遇で育った兄、月龍に、本当は親近感を覚えていたのではないか。
愛憎とは紙一重のところにあり、自分では月龍を憎んでいるつもりだったけれど、逆だったのかもしれない。
そうだ。本当に嫌いならば関わらなければいい。せっかく
なのにそうせず、復讐などと理由をつけて会いに来た。
奥底にあった蒼龍の本心を、蓮は見抜いた。自分では気づきたくもない真相を突きつけてくるからこそ蓮を苦手だと思い、気に食わないと錯覚したのだろう。
蓮の心を奪ってやろうと考えたのは、復讐のためなどではなかった。初めて会ったときから、蒼龍こそが蓮に心を奪われていたのだろう。
長い沈黙を経て、蒼龍はようやく、重々しく首肯した。
「お前が気に病むことはない。悪いのはおれだ。おれの自制心のなさが、すべてを壊した」
「しかし」
「亮に言われた。蓮が身籠った子供の父親がたとえ誰であっても蓮の子であることに違いはない。何故お前は愛してやれなかった、と」
「それは――ただの綺麗事だ。殿下は、自分のことではないからそう言えたに過ぎない。多かれ少なかれ、あなたと同じように――」
「亮は立派な男だ」
くすりと笑みを洩らして、月龍は続ける。
「あいつなら言った通り、蓮を愛し抜いただろう。それができなかった時点で、おれは亮に負けた」
「月龍」
「そしてお前にも負けた。蓮はそれほどまでに想ってくれる亮を拒んでまで、お前への愛を貫こうとしている。おれの入り込む隙などない」
優しく笑う月龍の顔が、奇妙なものに思えてならなかった。怒りでも憎しみでも悲しみでもない。ただ静かな笑顔は、月龍らしくないものだった。
無理をしているからだ。そうやって表情を固め、感情を押し殺しているのだろう。
「けれど蓮の傍を離れて生きてなどいけない。それで戦死を条件に、結婚してほしいと縋った」
ここで最初の話に戻るのか。過程を説明されて、ようやく月龍の心情を知る。
もっとも、知っただけで理解できたわけではないけれど。