第156話 諦め
文字数 1,490文字
亮の言う通りだ。何故愛せなかったのだろう。
蓮の妊娠がわかったときには、思っていたはずだ。傍に居てくれる、幸せそうに微笑んでくれる、それだけで充分だと。
「お前がそう思えなかったというなら、それはお前の気持ちが半端だったからだ」
亮の両手が、月龍の襟首を掴んだ。
力任せに持ち上げられ、首が絞まる。息が苦しい。窒息状態を理解するが、抵抗などする気にはなれなかった。
「独占欲? 悪いとは言わん。それも愛情の形だ。嫉妬も、愛情からくる執着だろう」
亮の双眸が、狂気の色に染まっている。蓮と同じ、美しい琥珀の瞳だった。
一層のこと、このまま殺してはくれないだろうか。この瞳に看取られるとすれば、きっと満足できる。これ以上苦しむこともなく、楽になれる。
――壊れた精神が、蓮を傷つけることもなくなる。
「だが行き過ぎたそれらは、愛ではない。ただの妄執だ。妄執に囚われたお前は、蓮の幸せを奪い取った。お前の醜い感情が、蓮を――殺そうとした」
亮の拳が、月龍の腹にめりこむ。
いくら鍛え上げられた筋肉があっても、力を入れて引き締めなければ威力は少ない。男にしては華奢で細い拳は、易々と急所に突き刺さった。
痛みを覚えるも、まだ足りない。蓮が感じたのと同じ痛み、苦痛が欲しかった。
ただ、覚悟があるから恐怖感だけは味わえないけれど。
「殺さない」
幾度殴られ、どれくらいの時間が経ったのか。傷つき、倒れた月龍の頭を踏みつけた亮の息が上がっている。
「天乙が兵を起こして、親父がとうとうおれの立太子を認めた。二、三日内には正式に公布される」
肩で息をしながら、亮が続ける。
「蓮が助かったら――動かせるようになったら、すぐに宮殿へと連れ帰る。傷が言えたら、正式に王太子妃として迎え入れるつもりだ」
踏みつけてくる亮の足に、じりっと力がこもった。
抵抗したのは、痛みを覚えたからではない。発せられた言葉のせいだった。亮の足を掴むため、手を上げる。
掴まれ、転がされることを察したのだろう。亮は自ら足を引いた。
瞬間、月龍は勢いよく上体を起こす。
「なんだ、不服か?」
未練がましい態度を、亮が鼻で笑う。
「言っておいたはずだ。機会は一度だけだと。その一度だけでもよく許されたとは思わなかったか?」
反論する言葉など、ない。ぎりぎりと奥歯を噛みしめる。
「ともかく、お前はそれをふいにした。今度はおれの番だ」
文句はあるまい。続けられなくとも、言外の声が聞こえる。
「たとえ朝廷が滅んでも、王子の地位を失っても、何処かへ亡命する羽目に陥ったとしても、おれは蓮を守る。必ず幸せにして見せる。――だからこそ、お前は殺さん」
亮の唇が、凄絶な笑みを刻む。
「自決も許さん。おれに――蓮に、生涯仕えろ」
亮が命じたのは、月龍を最も苦しめるための罰だった。
蓮を腕に抱くことはおろか、指一本触れさせてはもらえないだろう。否、親しく口を利くことさえ許されないかもしれない。
それでも傍に居ろと言うのだ。亮の元で幸せになる蓮を見ていろと。
他の男に抱かれて眠る蓮を想像するだけで、腸が千切れそうな痛みに襲われる。亮と二人、幸せそうに微笑み合う蓮の前で平伏しながら生涯を過ごすのだと思えば、死ぬよりも辛い。
――否、そうあるのが本来の姿だったのか。
亮が言う通り、一度でも機会が与えられたのは奇跡だった。蓮が子を宿し、共に生きて行くことを選んでくれた、それだけで感謝するべき立場だったというのに。
もう反抗する気力すらなくなった。悔しさも、腹立たしさもない。
ただ床にへたりこんだまま、亮から向けられる忌々しげな視線を受け止めていた。