第12話 布石
文字数 2,272文字
宮殿の回廊を歩く蓮を見つけた。
一際小さな姿は、後ろからでも一目でわかる。いつもと同じのんびりとした歩調が、足早に横をすり抜けて行く人々と対照的だった。
ふと、蓮の足が止まる。
回廊は中庭に面していた。美しい庭園に目を向けた蓮の横顔が見える。
見惚れたような視線の先に、桃の大木があった。確か、月龍と初めて出かけた日に待ち合わせた場所と聞く。
あれからもう、2ヶ月余りが過ぎた。
当時のことを思い返しているのか、口元には穏やかな笑みが浮いている。
他の男を想う様ですら見惚れていられることに、自嘲を隠せなかった。
「――あ」
蓮を見つめていた視界の端に、人影が映る。
何気なく目を向けると、見知った顔があった。名前は知らないが、宮中にいる女官のはずだ。
表情の厳しさに気づいた時には、すでに遅かった。女は佇む蓮に、勢いをつけた肩でぶつかる。
偶然ではない。明らかに意図的だった。
ぶつかられた蓮は驚いたのか、手にした花束を落とす。束ねられていなかったようで、花々が床に散った。
拾うために屈んだ蓮が、声を発したのを聞く。言葉を聞き取れる距離ではないが、性格から考えると謝ったのではないだろうか。
蓮が拾おうと伸ばした手の先にある花を、女が踏みつけた。
あからさまな悪意にも、きっと蓮は怒らない。悪意にすら気づかないのではないか。後姿しか見えないのに、きょとんと見上げる蓮の顔まで想像できた。
女が、蓮を見下ろして言葉を口にする。
険のある声だった。なにを言っているのか聞こえないのに、敵意をぶつけているのははっきりとわかる。
亮は、表情が消えるのを自覚した。
女が蓮に因縁をつけている――言葉は聞き取れずとも、理由だけは見えていた。
あれは以前、月龍と関係のあった女だ。女に対しては冷酷な月龍のことだから、恨まれているのは無理もなかった。
しかし、非難されて動じる月龍でもない。ならばと、付き合っている女にあたって憂さ晴らしをと考える心情は、理解できた。
けれど、承服はしかねる。
月龍の過去の女問題など、蓮には関係ない。蓮が傷つけられなければならない理由はなかった。
亮は足を速める。このような場面を、見過ごせるはずがない。
厳しい視線に気づいたのだろうか。女が顔を上げた。
亮と目が合うと、はっと息を飲む。顔色を返ると、蓮から離れて歩み去った。
さすがに亮の前で蓮をなじるほどに厚顔ではないのだろう。
もっとも、慌てて逃げ出した割には、踵を返して遠ざかるのではなく、かえって近付く形で向かってきた気の強さは大したものだ。
とはいえ、亮の目を睨みつけていられるほどの度胸はないのか、あらぬところを見てすれ違う。
亮も振り返らず、冷たい横目で見送った。
二度と蓮に近付くなと啖呵の一つも切ってやりたいところではあったが、抑える。
不思議そうに女の後姿を見つめていた蓮と、目が合ったのだ。
女相手に怒鳴りつけているところなど、蓮には見られたくない。
「大丈夫か」
軽く駆け寄る亮を、蓮は屈んだまま見上げる。
「お花、落としてしまって」
「そうか。手伝おう」
照れた笑みに、亮も曖昧に笑い返す。
あの女になんと言われたのか、気にならないわけではなかった。
しかし蓮の笑顔が、亮に心配をかけたくないと言っているような気がしたのだ。
なにより、蓮は華奢な外見に似合わず、豪胆なところがある。多少のことならば笑って受け入れられる器量があった。
それでもなお辛いときには、きっと亮を頼ってくれる。そうなった時に受け止めてやればいい。
亮も腰を曲げ、一つひとつ花を拾い上げる。二人で集めれば時間はかからなかった。
拾った花を渡しかけて、不意に気付く。
「これはおれに、か」
蓮が頷く。亮は蓮の手の中にある花も受け取りながら、ふと苦笑した。
「しかしなぁ、蓮。おれに気を使ってくれるのは嬉しいが、もう土産はいらんぞ」
蓮と二人、肩を並べて亮の部屋に向かって歩き出す。
昨日は月龍が休みだったから、二人で遠乗りに行ったのだろう。
遠乗りの時だけではない。蓮は出かける度に、花だとか装飾品だとかを持って、亮を訪ねてくる。
立場上、王宮の外へほとんど出ることのない亮に、幼い頃から続いている習慣ではあった。
けれど月龍が面白く思っていなのを、亮は知っている。
当然だ。いくら幼馴染とはいえ、恋人が自分以外の男のことを考えていると知って喜ぶ男はいない。
しかも蓮は、未だに亮と二人で会うことをやめていないのだから特に、だ。
むしろ会う回数は、月龍と付き合う前よりも格段に増えている。月龍が休みの日以外、毎日来るようになったからだ。
どちらから言い始めたかは知らないが、まずは蓮が来て、仕事を終えた月龍が合流する。
ただ待ち合わせに使っているのではない。亮の部屋で過ごし、帰りに月龍が送って行って終わりなのだそうだ。
蓮は鈍いから気づいていないようだが、月龍は不満に思っているらしい。むしろ、満足しろと言う方が無理がある。
本当はもっと早くに、亮から言って聞かせなければならなかったのだろうが、蓮と会えるのが嬉しくてつい、言いそびれていた。
だが、王朝の滅亡は意外に早いかもしれない。
だとしたら、現在ほぼ唯一の王位継承者である亮の傍にいては、蓮にも危険が及ぶ可能性がある。
ふと、嘆息した。
亮は今、父王との謁見を終えて帰る途中だった。弱気なことを考えるのも、その内容のせいである。
亮は今日、忠告のために父王を訪ねた。夏台に捕らえている大乙を解放するとの情報を得たからだった。