第86話 蹂躙

文字数 1,335文字

 深く貫かれながら、なおも蓮は手足をばたつかせて逃げようともがく。その抵抗がさすがに疎ましくなってきた。蓮の両手首を掴まえ、さらに奥深いところまで突き上げる。

「いや……放して、やめて……っ!」

 半狂乱で泣き叫ぶ姿に、奇妙な感慨が浮かぶ。心が痛まないわけではないのに、言い知れぬ興奮が胸を満たしているのを、否定できなかった。
 ――否、これは蓮の「遊び」だったか。嫌がる素振りを見せてはいるが、そもそも誘ってきたのは蓮だ。月龍が拒否せず、初めから応じていたとしてもきっと、難癖をつけてはこうやって抵抗していたのだろう。

 そうか。蓮は月龍の暴力性に惹かれたのかもしれない。
 思い返せば、初めて体を重ねたときも力ずくで奪った。それが蓮の中では基準になったのだろう。
 ようやく得心した。だからこそ優しく包み込んでくれる亮ではなく、月龍を選んだ。
 ならば蓮に触れようともしなくなった月龍では、役に立たない。別れたくもなるはずだ。
 ずっと、蓮が体で月龍を引き留めようとしているのだと思っていた。まさかその逆だったとは思いもよらぬことだった。

「――こうしてほしかったのか」

 蓮を深く抱き竦め、耳元に囁きかける。口元に皮肉が閃いているのは自覚済みだった。
 おそらく、正気ではなかったのだろう。でなければ髪を振り乱して泣く蓮を、正視できたはずがない。
 悲鳴を上げ、顔を涙でぐしゃぐしゃに濡らす蓮の姿も、身を襲う悦楽も、薄紙を隔てた何処か遠い世界の出来事のようだった。

 何度蓮の中に吐き出したことか。なのに、どうしても満足感を得ることができなかった。
 おそらく、紫玉のときと同じだ。体だけが満たされても、心は空虚なまま。より一層、虚しさが高まってくる。

 真の絶頂感を諦めて蓮の身体から離れたのは、すでに空が白み始めた頃だった。
 体と心が苦痛に耐えきれなかったのだろう。腕の中で、蓮は幾度も失神した。その度に揺り起こし、無理矢理相手を続けさせた。
 最初の内こそ抵抗していた蓮も、気絶をくり返すうちに暴れることはおろか、泣き声を上げる力すら失っていた。
 月龍が離れたときも、両手両足を投げ出したままだった。床に落ちていた夜着を拾い、蓮の上にかけてやる。

 なんの反応もなかった。途中で脱ぎ捨てた衣服を、のろのろと身に纏う月龍の姿を見ているのだろうか。視界に映っているはずなのに、虚ろな瞳から音もなく涙を流し続けている。
 冷たい床に転がったまま、身動ぎすらしない。まるで打ち捨てられた人形だった。
 ため息が零れる。泣き声にも似た震える呼気が、他人事のように自分の耳に聞こえた。

「これでいいのか」

 膝から力が抜けた。横たわる蓮の傍らで項垂れ、両の掌で顔を覆う。

「これで――これから先もずっと、傍に居てくれるのか」

 蓮は否定も肯定もしない。そもそも月龍の声が耳に届いているのかも怪しかった。涙でぼやける眼差しを、宙でさまよわせている。
 もう、おれを見てもくれないのか。
 呼吸さえままならぬほど、胸が痛い。今更ながら、己の過ちに気づかずにはいられなかった。
 このような行為を、蓮が望むわけがないのだ。自分の愚劣さを思い知る。
 狂気と理性の間で感情を持て余し、蓮だけではなく、自分の望みすら見失い始めていた。
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登場人物紹介

月龍《ユエルン》

古代中国、夏王朝の武官。

武に関しては並ぶ者なきと評される腕前。

無愛想で人の機微に疎い。

有力な宦官の孫として養子に入る。出生に秘密あり。

蓮《レン》

王の姪。王子の従妹。

穏やかだけれど型破りなところのある、小柄な少女。

月龍との出会いで、人生が一変する。


亮《リーアン》

夏王朝の第一王位継承者。

蓮のいとこ、月龍の親友。

亮を出産時に母が死亡し、妃を溺愛していた父王からは仇のように嫌われている。

絶世を冠するほどの美青年。頭脳明晰。

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