第7話 友

文字数 2,136文字


 蓮が訪ねてきたのは、昨日のことだ。毎日来ることはまずないので、おそらく今日の来訪はないだろう。
 それを承知で待つ自分自身を、おかしく思う。

 昨日亮が言ったのは、明らかに余計なことだ。
 幼い頃から、妻になるのだと言い聞かされてきた蓮が、亮を慕ってくれているのは知っている。その亮にああ言われては、蓮も複雑だろう。
 昨日も、笑顔は見せてくれたものの、すぐに帰ってしまった。顔を合わせ辛く思っているのかもしれない。
 四、五日経っても訪ねて来なければ、理由をつけて呼び出してみようか。

「亮」

 呼びかけられて、落としかけたため息を飲み込む。
 衛士は、月龍に対してはほぼ無防備だった。彼らにとっての上官であるし、亮もそれを許可している。帯びた刀を渡せば、勝手に入ってくることが多かった。
 月龍の顔を観た途端、無性の苛立ちに襲われる。

「待っていても、今日は来ないと思うが」
「そう、だな。これから嬋玉殿のところへ行くと仰っていた」

 何処か呆然とした表情も声も気にならなかった。
 はっと息を飲む。

「会ったのか、蓮に」

 胃に痛みが走る。
 今日は、亮も蓮に会っていない。こちらに向かう途中で会ったのなら月龍と一緒のはずだが、それもない。
 考えられる理由は一つだった。

「どうも、おれの鍛錬が終わるのを、待って下さっていたようだ」

 亮の予想を裏付けたのは、淡々とした声だった。
 蓮が亮にも顔を見せず、月龍に会いに行ったという事実はなにを意味しているのか。
 推測など必要ない。
 胸を圧迫する程の勢いで走る鼓動に、眉を歪める。

「よかったではないか。それで? 何処に誘われた」
「――は?」

 息苦しさをごまかすように吐き捨てた亮への返答は、訝しげなものだった。
 しかめた顔には、喜色らしきものはない。

「なんだ、違うのか」
「いや――やはりあれは、お誘い頂いたと思っていいのか」

 複雑そうな色と瞳に浮かべたまま、難しい顔をしている。
 歯切れの悪い物言いだった。

「次の休みに、予定がなければ、花畑につれて行って欲しいと言われたのだが」
「阿呆」

 呆然とした月龍に、反射的に吐き捨てる。

「それが誘い以外のなにに思えるのか、お前は」
「そうか――やはりお前もそう思うか」

 そう思うもなにもない。
 同時に納得した。突然我が身に起こった幸福に、現実味を感じられなかったのだろう。
 亮にも断定されて、ようやく確信に到ったらしい。みるみるうちに頬が紅潮する。

 後押しをしてやるつもりならば、喜んでやらなければならないはずだった。
 けれど、言い様のない苛立ちが胸を襲う。ふんと鼻を鳴らした。

「あまり期待はするなよ」

 寝そべっていた臥牀から身を起こす。片眉を上げて腕を組み、座った状態から月龍を見上げた。

「あれは幼い娘だ。花畑に連れて行けと言われたなら、ただそれだけの意味かもしれぬ」
「だが、それならばわざわざ、おれにお声かけ下さるとは思えん」

 月龍の目が、花瓶に活けた花を見る。
 確かに今までも、従者を伴って何度も通っていた。別に頼まずともいいのだから、月龍の言い分は理解できる。
 そうだなと応じてやるべきなのに、何故か認めたくない。

「いつも従者と一緒ではつまらぬだろう。車で行くより馬の方が早いしな。そう思い立ち、従者ではなくて頼めそうな人物ということで、おれの友人であるお前を思い出したにすぎん。期待をしすぎると、後が辛いぞ」
「だがな亮、期待するのが人情ではないか。あのように愛らしく笑われては、なおのこと」
「よくいるのだ。あの笑顔が自分にだけ向けられていると勘違いして、舞い上がる莫迦が」
「それがおれだと言いたいのか」

 喜びのために弛んでいた頬が凍りつく。
 毒舌に怒ったのではない。不安なのだ。怒気を含みながら、弱さを宿す眼光に呆れる。

 否、呆れたのは自分自身に対してかもしれない。
 さすがに意地悪が過ぎた。自嘲を苦笑に紛れさせ、軽く肩を竦める。

「おれが言ったのは一般論だ。お前に関してはまぁ、脈がないわけではなかろう」
「気にかかる表現だな」

 心配げに歪む眉を、鼻先で笑う。

「ともかく、お前が別格なのは事実だ。なにせ、この亮さま直々のご推薦なのだからな。感謝しろ」

 意味ができているのかいないのか、返ってきたのは惚けたような眼差しだった。

「鈍い男だ。だからな、昨日おれが蓮に言ってやったのだ。月龍はお前に惚れているのだから考えてやれ、とな」
「それでは」
「昨日の今日だからな。すぐにあれの気持ちが動いたとは思わんが、少しは考えてみる気になったのは確か」

 だろうな、とは続けられなかった。
 駆け寄ってきた月龍に抱きすくめられる。勢いを支えきれず、臥牀に押し倒される格好になった。
 亮の耳元で、囁きが聞こえた。

「感謝する。やはりお前は、無二の友だ」

 普段の月龍からは到底考えられない言動だった。
 単純なことだと呆れるも、感情を表すのが苦手な男が示す大げさな感謝に、悪い気はしない。
 だが一方で、違う感慨も湧いた。人の気も知らないでいい気なものだ、と。

 人の気とは――亮の気持ちが何処にあるのか、自分でもわからないくせに。

「わかったからやめろ。気色の悪い」

 わき上がった疑問と月龍の体を押しのけて、亮はひっそりとため息を落とした。
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登場人物紹介

月龍《ユエルン》

古代中国、夏王朝の武官。

武に関しては並ぶ者なきと評される腕前。

無愛想で人の機微に疎い。

有力な宦官の孫として養子に入る。出生に秘密あり。

蓮《レン》

王の姪。王子の従妹。

穏やかだけれど型破りなところのある、小柄な少女。

月龍との出会いで、人生が一変する。


亮《リーアン》

夏王朝の第一王位継承者。

蓮のいとこ、月龍の親友。

亮を出産時に母が死亡し、妃を溺愛していた父王からは仇のように嫌われている。

絶世を冠するほどの美青年。頭脳明晰。

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